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「コーチングセッション」と「コーチング的関り」について書いてみた

うわー、やってしまった。
小1次女、「うわぁぁぁぁん」と盛大に泣いている。

先週習った漢字を書かせたらもののみごとに違う漢字のオンパレード。
「間違えて書いた漢字を3つずつ練習しなさい。」
「ヤダーっ。」
の応酬。しかも床の上を転がって拒否るムスメ。
抱き上げて無理やり椅子にすらわせたあたりで、これだ。

こうなると手が付けられない。
漢字を書く、書かないのレベルを超え、もはや時間とエネルギーの無駄。
ほとほとため息しかでない。

ここまでコーチング的関りを心がけ、漢字の学びという目的を穏やかに遂行しようとしていたわたしの目論見は座礁した。

「コーチング的関り」は忘れるっ。
母は怒りの鬼と化した。(嘆)
もちろんわが子相手に「コーチング」ができるなんて思えない。

・・・あとで後悔することは分かっていても感情は抑えきれない。
漢字の学びを遂行することに全エネルギーを傾けたい母。
漢字を何度も書きたくないと拒否ることに全エネルギーを向けるムスメ。
まったくもって相いれない。(笑)

かなーり呼吸をおいたあと、、、わたしが身近な人とのかかわり方で心がけているコーチング的関りについて考えてみた。
そのまえに、、、

まずは:コーチングについて考えてみた。


「コーチング」ってなに?と聞かれると答えるのが難しいので、言葉を探してみようとした。何冊か本を読み、わたしにすっきり感をくれた言葉はこれだった。

「コーチング」はコミュニケーションの技術である。

原田佳典(2008)人の力を引き出すコーチング術 平凡社新書


コーチングの技術とは具体的には「聴く」「話す」「質問する」の大きく3つに集約できるのではないかと思う。

その中で「聴く」について語るなら耳・目・心の全てを傾けて聴くこと。
聴き手は話される内容のいい・悪いを判断しないこと。
話されることをそのまま受け止めること。
「聴く」の流儀がある。
「聴いてもらう」だけでどれだけ癒しの効果があることか!「聴いてもらっている」だけで、受け入れられているという安心感。「聴いてもらって、話していると」すぽーんと自分の中から本当の気持ちや答えが出てきちゃったりするマジック。「聴く」に集中していると「話してくれている」世界を一緒に疑似体験できちゃう面白さ。「聴く」を練習しているとそんな「聴く」のパワーを体感する。「聴く」だけで一冊の本が書けるくらいだから奥深い世界である。

「話す」もまた然り。「聴いて」もらいながら「話し」ているだけで、先ほど書いたようにすぽっと自分の中から感情や本当の答えが出てくる不思議。「あれ?本当に自分の口が話したの?」と思うような瞬間さえある不思議に出会うことさえある。ほかのだれかについて話すのではなく、誰でもない自分について話すこと。「I(アイ)メッセージ」で伝えること、話すこと。話していくことで、自分の思いや思考、志向が浮き彫りになり、明確に浮かんでくる。結果、自分を知ることになる。自分を知り「こんな人なのかー」と客観的にみられると、自分を受け入れられるようになる。自己肯定感という言葉になる場合もあるだろう。わたし自身の場合は「仕方ないなー」という開き直りにも似た自己受容です。

そして「質問する」(コーチ)と「質問される」(クライアント)。
「質問力」をタイトルにしている本が沢山あるように、またまた奥深い世界。あー、もっと知りたいその世界。質問がクライアントさんの思いや思考、志向を浮き彫りにしていくツールが「質問する」。クライアントさんの感覚を鋭く呼び起こし、限界を超えた別の次元にいざなうこともあろう。質問によりクライアントさんの引き出しが開かれることもあれば、開かずの扉のままとなることもあろう。感情が噴出してくることもあろう。質問するコーチ側としても、質問しながら自分自身の思考が見えてきちゃう鏡写しのような「質問」という行為。クライアントさんを花と例えると、質問によってクライアントさんの花びらが一枚一枚開かれていくと同時に、コーチの花びらも一枚一枚開いていくよう。セッション中はそんな感覚を持ちながら質問している。クライアントさんへの質問が、逆に私の世界も開いていってくれている。質問する側も、される側も一緒に作業をしている。その先にある世界はどんな世界だろう。

「聴く」「話す」「質問する」と書くとあまりにシンプルなので、個々に書いてみたら止まらなくなってきたのでこの辺まで。
言葉にするとシンプルだけれど、一つ一つの行為が非常に深い世界だとあらためて思う。

ここまでが「コーチングとは?」「コミュニケーションの技術である」という話。

これをフル活用して個人と対峙する場がコーチングセッションだ


このコミュニケーション技術をフル活用して、クライアントさんと向き合うのがコーチングセッションである。
コーチングセッションの土台は「すべてのひとは自分の中に答えを持っている」ということ。
答えは欲求だったり、ありたい姿だったり、なりたい姿かもしれない。
大きな夢かもしれない。
「聴く」「話す」「質問する」をフル活用しながら、大きな夢を叶える道筋を描いていく。
もしくは眠っている、もしくはそこに見え隠れしているクライアントさんの答えに、クライアントさんが自分で気付くよう、他の視点や刺激を与えていくのである。
「自分で」気付いて、「自分で」進む方向を決める。
ここがとても大事。
自分で考えて決めたことは、自分の一部になっているから。

ちなみにわたしがコーチングセッションを受けはじめたときは、自分の夢なんて到底考えられないし、自分のなりたい姿なんて思い描けなかった。
海外引越を繰り返し、出産、子育てして、目の前の「やるべきこと」、つまり洗濯と掃除と料理と公園通いしか頭になくて、疲れ果てて、エネルギー残量ゼロ、いや、むしろマイナスで、怒りっぽい母親で妻だった。ユーモアのかけらもなくなって、涙もなくなったそんな自分を持て余していて、人生をリセットするボタンがあるなら、ボタンを押して、生き返りたい(でも、高校までの勉強は嫌だから、大学生時代あたりからが理想)、そんな状態だった。
コーチングセッションを受けたものの「こんなもんかな?なにか効果があっただろうか?」という程度の反応だった。

その後もセッションを受け続けたいま、わたしはエネルギー残量ゼロから80/100くらいにアップした。怒りっぽくもなくなった(と思う)。
なにが変わったのだろう。

コーチングセッションを受け続けたことで私のなにが変わったのか


  • コーチングを受け始めた当初わたしが話していたテーマはいつも「こどもとの関係」だった。「こどもが」「こどもが」って話していたのを覚えている。それがいまはほとんど「わたしは」「わたしが」になった。

  • 「わたしが」「わたしは」を話し続けているうちに、段々「自分のしたいことを見つけよう」とか「なにができるだろう」と先を見るようになってきた。

  • 自分について話すことが出来るようになってきた。自分が好きな映画の話。ドラマの話。好きな食べ物のこと。今日こんなことがあった。子供を産む前は普通にしていた話題が自分に戻ってきたと感じる。

  • 自分について話す中で、自分はこんなヒトなのかと知り、受容できるようになってきた。

  • 自分と他人は違う、特に価値観が違う、と明確に意識化するようになってきた。そのうえで、共感できるようになってきた。

  • 自分を受容し、他人も受容できるようになった。

  • なにかを解決したい局面で、「どうしたら一番いい解決方法」かを思い描いてからアクションを決めるようになった。すると、小さなことが気にならなくなってきた(修行中)。

  • 色々したい中で、本当にしたいこと、しなくてもよいこと、の色付けが明確に早く出来るようになった。

  • わたしはチャレンジしつづけることが大好きな人間だったと思い出した!
    変化にワクワクする人間だったことも!(←いまココ)

  • 笑顔が増えた。冗談を言えるようになった(←いまココ)

  • 結果、こどもがリラックスして楽しそうに暮らしている(←いまココ。まだ伸びしろあり。)

とまあ、小さい変化を挙げると、終わりがありません。
コーチングを受け始めて1年半ほどたち、来た道を振り返ってみたら、こんな風に自分が変化していたわけです。

なぜ、このような変化がおこったのか。コーチングセッションの効果を考えてみる。


まず一つに安心安全の場が用意されていること。
クライアントさんはなにを話してもいいのです。
なにを話してもコーチに受け入れてもらえる。
その前提のもと、自分の話をし続ける。質問を受けて、自分の内面を掘り進める作業を進める。自分について話すことに慣れていく。

わたしの場合、まず話すことに慣れてきました。
だんだん話の主体に自分を据えて話すことにも慣れました。
それが自分を知り、自分を受容することにも繋がってきたと思っています。コミュニケーションの技術が生かされるだけじゃなく、コミュニケーション力が伸びている。そんな気付きをいま得ています。

2つ目にクライアントさんが懐く未来の姿や夢を生き生きと描き出すこと。
思いついたところからでいいんです。
イメージを描くのはどんな人にもできる自由なこと。
これかな?あれかな?コーチとクライアントの力を合わせてイメージを膨らましてみる。
すると不思議なことに、イメージセンサーが発動して、日常生活でもそのイメージに合う出来事を無意識に拾い出すのです。ふと気付くとイメージに近づいている自分がいるのです。不思議の不思議。でも本当に起こった話。

3つ目はコーチが伴走してくれること。自分の話すことを限界値設定しないで応援してくれる人なんて、この世にそんなにいないんじゃないでしょーか。そこ、コーチの出番。クライアントさんの出来ていることに目をかけ、クライアントさんの強みを教えてくれて、そして目的地(2つ目で描いた未来の姿や夢)に向かって進むことを応援してくれる。箱根駅伝の伴走車から声をかけるコーチみたいに応援し続けてくれる。応援される、って嬉しいです。

上記のような効果がぱっと思い浮かぶのですが、その付随効果として、そんなことを繰り返しているうちに、自分で設定していた限界値を軽く超えちゃいそーだな、という気付きもまた。こうしたらどうかな?ああしたらどうかな?という自由な発想も鍛えられていく。それもコーチングセッションの効果だと経験を通してあらためて感じています。

まとめて:コーチングセッションの価値


コーチングセッションについてまとめてきた上であらためて考える「コーチングセッションの価値」。それは「クライアントさんが今から明日に向けて変化していくこと」だと言えます。

ここでようやく:コーチング的関りについて考えてみる


コーチングは「コミュニケーションの技術」
コーチングセッションは「コミュニケーションの技術をフル活用して、個人の未来の道筋を創造する場」
だと上記で述べてきました。

もう一つ優しいコーチングの使い方がある。それが「コーチング的関り」です。

コーチングセッションは普段の会話とは異なります。
コーチング的関りも然り。普段の会話とは異なります。

コーチング(コミュニケーション技術の利用)は意識してするものなのです。

例えば、家族との普通の会話。
言ってみると、わたし、人の話をあまり聞いておりません。
こどもたちによると「お母さんは、うん、うん、ていうけど、うわの空で聞いていないよね」とのこと。相槌打ちながら、夕飯のメニュー考えたり、家事の流れを考えたりしてますからね。
お友達との会話はちゃんと聞いてるつもり。(笑)
でも、今度は突っ込みを入れるし、自分のいいたいことを乗せている。

「宿題したー?」「お手伝いしてー」「いつまでipad見てるのさっ」など、こどもが嬉しくないことを伝える時に、感情的にヒートアップしないようコーチング的関りをします。
「宿題はいつ終わる予定?」「お手伝いしてくれるとこれ、片付いて嬉しいなー」「ipadそろそろ終わるのかな?」とか「自分で終わりに出来るよね?」てな具合に。
こちらのリクエストだけを伝えることを避け、どうしたら楽しく勉強できるのか、納得の形でお手伝いしてもらえるのか、お互いのソフトランディングをイメージしながら、聴く、話すを心がけるようにする。そんなときに「コーチング的関り」が登場しています。

パートナーとも「これ聞いたら嫌がるかな?」と感じるときや、価値観の違いが見え見えのテーマについて話すとき、コーチング的関りに会話を切り替えます。すると、相手の言うことを最後まできちんと聴けます(そのつもり)。

職場では基本コーチング的関りかな。理想的な解決後の形を共有してから、個々がなにをすればよいのか。次の行動を決めます。解釈はしないで事実重視。

総合的にみると、衝突が予想されるとき、相手の意見を尊重すべき局面で「コーチング的関り」を使っていることが見えてきます。

コーチング的関りは、具体的には「聴く」の比重多め。
話してくれている内容に判断はせず、ただ聴きます。
なにをしたいのか、なにを感じているのか、なんでか。

そして話し手が話した言葉をオウム返しする。
これ、聴いているよのサイン。
このサインを送るだけで、相手が安心するのが手に取るように伝わってきます。「聴いてくれてるんだねー」って。

ちなみにオウム返しは別言語での会話でとても役立ちます。
オウム返しするだけで会話が結構進んでいくからです。
さらに、オウム返し出来ない単語は「それなに?」と聞きやすくなる。
ほんとに余談ですが、コーチング的関りを英語で始めてから、英会話が飛躍的に楽になりました。オウム返し、おすすめ。

そして「話す」のときはI(アイ)メッセージで明確にリクエストを伝える。
なるべく理由も伝える。
事実を述べるけれど、解釈は入れないようにする。
もちろん意見を求められたら答えますけれど。
なるべく肯定語を使う。
「それできるの?」「無理でしょ?」と否定をしない。
そして、「こうじゃないのに」「これが違う」と言われたら、「こうしたいのね」「こうして欲しかったのね」と欲求型に言葉を入れ替えます。

こう書くと単純なのですが、この聴き方、話し方だけで、日頃のコミュニケ―ションはかなり円滑に回ります。
こどもとの関係はともすると、親の実効支配になりがちなので、お互いをリスペクトし合うのに役立つと感じています。

「コーチング的関り」は「関り方」により、コミュニケーションが円滑に回るものであり、その点で「クライアントさんの変化」を伴走する「コーチングセッション」とは異なるわけです。

コーチング的関りは意識して、努力していると使えるようになるという点で、だれもが日常生活に取り入れられるスキルです。

もちろん、最初の事例のよう失敗して、涙が流れる日もあります。ぶつかり合う日もあります。でもそんな日が減ったらHAPPY度が増しますよね。
トライ&エラーでコーチング的関りは少しずつ上達していきます。
子どもの発達過程でも、かかわり方が変わるので、常に変化していくのでしょうね。もちろんパートナーや職場も。環境により、自分も相手も変化していく中でのトライ&エラー。

こう書いてくると一言で「コーチング」と言っても、使い方は人の数だけ。人間関係の数だけ千差万別。
そこで変わらないのは、「よりよいありかた」「よりよい人間関係」「よりよい明日」を見るためにコーチングを使うってこと。

よりよい明日のために!


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