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【連載小説】第1話 白山の蛇 #創作大賞2024#ファンタジー小説部門

あらすじ
陰陽師の家系に生まれた御堂仁雅は、自分の生業を嫌いながらも命令に従い動いていた。ある日、当主から特命が下る。同じく陰陽師を生業とする西園寺家へ半年間赴き、毎夜西園寺の女を抱くという指令だ。他家との交流を避けてきた西園寺が何故。
単身西園寺へ身を置く間、椿の花の前で出会った西園寺紫乃から、仁雅は西園寺の秘密を知る。雪深い山のふもとに住む西園寺の女たちと交流を深めながらも彼女らの運命に怒り悲しむ、和風×恋愛×ファンタジー。


第1話  (約4000字)

 行燈の灯火が揺れる。衣擦れの度、焚きしめられた香が部屋に舞う。いや、香ではなく女の肌か白粉か。酒の匂いのする俺の息が感覚を痺れさせるようなこの香りを打ち消してしまう。

 息を止めよ。脳を溶かせ。

 俺は半ば強引に彼女の唇に食らいつく。緋色の肌襦袢が彼女の桃色に色づく肌をより扇情的にみせる。この時だけは、何も考えない。考えなくていい。



仁雅ひろまさ様」

 ぼんやりとたゆたう意識を、柔らかな彼女の声が救い上げる。

 薄目を開くと、微笑む胡蝶こちょうの顔が見える。少し眠っていたらしい。結った髪は乱れていたものの、いつの間にか彼女は着物を着ていた。

「お迎えがお越しでございます」

 起き上がるのも億劫で、うつ伏せのまま顔だけ向けると、わたるがいた。部屋の隅で胡坐をかき、立て肘で俺を睨みつけている。

「相変わらず無粋な男だ」

 乾いた喉から嗄れた声が出る。上体を起こし、杯で喉を潤す。

「こんなところまで迎えに来させられるこちらの身にもなってくださいよ」

「押しかけずとも、せめて明け方まで待てばいいだろう」

「そう遣手婆やりてばばあにも言われましたけどね。金を握らせたらすんなり部屋まで案内してくれましたよ」

 婆の変わり身を想像し、思わず笑う。

「俺の向こう二日の宿代と情報料をせしめたか。あの婆には敵わんな」

 山になった着物に手を伸ばすと、胡蝶がそれを制し丁寧に広げる。立ち上がり着物に袖を通す前に、泣き黒子のある彼女の頬をそっと撫でる。

「いいか胡蝶。俺と渉の金はお前のものだ。きちんと婆に伝えろよ」

「あい」

 彼女は微笑み禿かむろのような返事をする。俺はその泣き黒子にそっと口付けた。渉がわざとらしいため息をつき、視線を外す。

「それで、休む間もなく迎えまで寄越して、一体何の用だ」

「内容は直接伝えるそうですよ。だから一刻も早く連れ戻せとのご用命です」

 思わず手を止めて振り返る。

「直接? 聞いていないのか?」

「ええ」

「文でも伝言でもなく、直接?」

「ええ」

「気色悪いことこの上無いな」

「火急かつ特命だそうです」

 俺は大きく息を吐き、胡坐をかく。思わず脇息きょうそくにもたれ頭を抱えた。

「帰る気が失せた」

「勘弁してください。縄付けて引きずってでも連れて帰れって言われてるんです」

「なら縄持って来いよ」

「お車をお呼びいたしましょう」

 胡蝶が微笑み、襖越しに人を呼ぶ。

「胡蝶、お前」

 恨みがましい眼差しをものともせず、受け流す。

御堂みどう様方の旦那衆にはお世話になってございますゆえ」

 彼女は指先を揃え、首を垂れる。

「またお早うお越しをお待ちしております」


 くるわを出るとすでに車が停まっている。車に乗り込み、行き先だけを告げるとすぐに走り出す。

「仁雅様。また業務外の払いをしましたね」

 運転手には聞こえないよう小声で話す。

「なんだ、顕在化してないと思っていたのだが」

「領地内はすべて把握されていると思ってください」

「目障りな烏は追い払ったんだがな」

「監視の目は貴方だけでなく、依頼人や周囲の関係者、市井の人々にもついているんですよ」

「御熱心なことだ」

「とにかく命令外の行動は慎んでください」

 目くじらを立てられるようなことではない。たまたま立ち寄った飯屋の娘が病気がちというので、まとわりついていた穢気えげを軽く払っただけのこと。主人も理由なんてわかっていない。適当に慢性疲労だと伝えたら納得していたくらいだ。その程度のこと。その程度のことでさえ、命令がないと許されないという。

「馬鹿馬鹿しい」

 毒吐き、窓の外へ目をやる。街はまだ眠っている。真夜中までは外灯がついているところもあるが、この時間ではどこの家も寝静まり、野犬の遠吠えが聞こえるばかりだ。この車のエンジン音だけが静寂を掻き壊して進む。

 正門に降りた時には東の空の色が薄らいでいた。門の屋根に止まる烏を睨みつけ舌打ちをする。

「お館様もお待ちのようですね」

 横に並んだ渉が同じように見上げ口を開く。

「年寄りは朝早くから目が覚めるっていうからな」

「仁雅様。会話も筒抜けですよ」

 くぐり戸を開け、渋い顔を向ける。俺は門をくぐりながら彼の肩を軽く叩いた。

「別に陰口じゃねぇよ。事実だ」

 外庭は朝露に濡れしんと静まっている。そもそも屋敷の大きさに比べて住んでいる人数が少ないのだ。人気のない庭には、他の生物の気配すらない。植栽が植えられ白い砂利が敷き詰められた人工的な庭。弧を描く歩道を無視し、直線で砂利を踏みしめる音が響く。

「で、お前はどこまでついてくるんだ?」

「当然、お館様の目の前までですよ。縄をつけてでも連れて行くのが使命ですので」

 一度部屋に戻りひと眠りするつもりだったが、どうやらそうはいかないらしい。

 玄関を入り無駄に長い廊下を最奥まで進む。部屋の前で渉が俺を追い越し、襖の前に膝をつく。

「お館様。仁雅様がお戻りでございます」

「入れ」

 中の声を合図に、渉が襖を開く。俺は歩いて入る。彼がそのまま一礼をして襖を閉め、去っていくのがわかる。

 部屋の中は薄暗い。障子越しに外の薄明りが入るが日の浅い時間では朧げだ。俺はその場に座り、ゆっくりと瞬きをして目を慣らす。俺は畳に拳をつき、こうべを垂れる。

「ただいま戻りました」

「先の鬼の討伐、ご苦労だった」

 どうやら向こうにはひさしぶりの親子らしい対話を楽しむ気は無いらしい。無論、こちらにも無い。もう一度無言で礼をする。

「だが、依頼は魔払いのみだ。を配る必要は無い」

「お言葉ですが、払うだけでは時間の問題です。形式的にも必要かと」

「依頼に無いことはするな」

 顔を上げぬまま黙する。わかっている。何を言っても無駄なことは。

 今回の元をたどれば、依頼主の豪族に発端がある。依頼主のめかけが孕み、死産し、その無念の中で妾が自死した。その念が滞っていたのだ。それを知る周囲の人々の畏怖が増長し、噂が広がりさらに澱む。その穢気を払うことはそう難しくはない。だが祓うだけではまた澱むのだ。

 大切なのは祓い方だ。人々の通行の多い時間帯に大きく結界を張り、正装し、派手に振舞う。場が清められたという印象を与え、観ていなかった人々にも分かるよう、符を残す。さらに近所の家々にも配っていく。これらの符にさほど強い力は必要無い。簡易の護符だが、形のあるものに人は安心感を得るのだ。

「昨日も、街中で祓いを行ったな」

「目の前に苦しんでいる人がいれば助けるのが人の道でございましょう」

「勝手な真似はするなと何度言えば分かる」

「早いうちに手を打てば、鬼となるのも防げます」

 任務で相対した妾もかなり明確な形を成していた。もう少し放っておけば、普段気がつかない人々の目にも留まるほどに具現化していたことだろう。

「仁雅。我々の領地内にどれだけの穢れがあると思う。戦後、幾百幾千倍にも増えていることに気づいていないわけでもあるまい。対応すべき順序がある。混乱を避けるために秩序立てて事に当たっている」

 順序だの秩序だの。結局は金次第だ。小さな穢気は放っておき大きくなって依頼が来たら祓う。この男にとって、領地は金の生る菌床でしかない。

 俺は無言で首肯する。もうこの話は終わりだ。

「それで、火急の用とか」

「ああ」

 父が言いよどむ。珍しい反応に思わず顔を上げた。朝日が上ってきたのだろう。部屋は障子越しの柔らかな日差しに包まれていた。脇息に左腕を置き、右手で頬を撫でる父の顔を見る。まだ五十代半ばだが白髪だ。山狗やまいぬと評されるのはこの見た目も理由のひとつだ。

「先月、御前ごぜん会議があったのは知っているな」

「はい」

「その後、西園寺と内密の話をした」

「西園寺?」

 御前会議とは、陰陽師を生業とする五家の代表が安倍晴明の生まれ変わりとされる人物のもとに集い開かれる定例会だ。それぞれの領域内の状況を報告しているという。御堂も西園寺も五家のひとつだ。だが決してそれぞれの仲が良いわけではない。中でも西園寺は必要以上の交流を断っている。

「御堂の家から一人、半年ほど若者を貸してほしいらしい。お前が行け」

「どういうことですか」

「西園寺の持つ特別な力は知っているな」

「はい」

 西園寺の者は、鬼を調伏ちょうぶくし使役する。そのような芸当は安倍晴明を除けばあの家だけだ。

 口角を大きく上げ、山狗がわらう。

「あの家は血が薄まるのを何よりも恐れている。ゆえに近親相姦を繰り返した。彌津智みづち……西園寺ははっきりとは言わなかったが、外の血を受け入れようとしているのだ。よほど困ったことが起こっているのだろう」

 俺は思わず眉根を寄せる。

「どうせ外の血を入れるなら陰陽師の濃い血が欲しいそうだ。ここは恩を売っておきたいからな。分家の男を送るわけにはいかない」

「ならば兄が行くべきでは」

「兄弟の中ではお前が一番適任だ。女を抱くのは得意だろう」

 嗤う口内に犬歯が光るのが見える。朝日は完全にのぼっている。

たばかり事、という可能性は」

「有りうるな。せいぜい寝首をかかれぬよう用心することだ」

 次期当主の長男も、人の心を顧みず最速で命令をこなす次男も戦力として重要。命令に無い余計な祓いをする俺なら半年いなくても問題無い、ということだ。あるいは永久に、だとしても。

「ああ、それと。烏はつけるがどうせ消されるだろう。お前が中から様子を報告しろ。西園寺に入るまたとない機会だ。有効に使いたい。最低でも根城の位置の特定はしておきたいところだ」

 俺は視線を外す。

「それで、いつどのように」

「本日の暮れ、下町の大川のふもとまで迎えが来るらしい」

 思わず息を漏らす。渉に廓まで押しかけさせるわけだ。

「半日の猶予も無い、ということですね」

「御堂の名を汚さぬよう、尽くせ」

「御意」

 俺は今一度深く頭を下げると勢いよく立ち上がる。もう何も考えたくない。退室の礼も省き自室へ帰ると、たたんだままの布団に倒れ込み泥のように眠った。





第2話

第3話

第4話

第5話

第6話(最終話)




※このお話は、続編です。前のお話を読まなければ辻褄が合わない等はありませんが、よろしければこちらもあわせてご覧ください。

第一章

第二章


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