【連載小説】第2話 白山の蛇 #創作大賞2024#ファンタジー小説部門
第2話 (約3500字)
「それにしても、本当にそれだけでいいんですか。後で届けるとかはおそらく無理ですよ」
渉は俺の風呂敷包みを見ながら再度問いかける。中身は替えの衣が一つ。それ以外は護身用の道具だ。
「まあ向こうからしたら客みたいなもんだ。不足があっても多少なら相談できるだろう。
俺は濃いお茶をすする。大川の橋に人影は無い。そもそもこの橋は隣町に行く人しか通らない。人通りがあるのはもっぱら日の高いうちだ。
うっすらとたなびく雲を、夕日が朱に染める。欄干の影が本体よりも長く濃く色づいている。その欄干にふと影が差した。
黒く真っすぐに伸びた長髪、目元のすぐ下まで白い布で隠している。白い外套で全身を覆い、滑るように橋を渡る。
一言でいえば、異質。姿が見えるまで気づかなかったのが不思議なくらい、この場から浮いている。
俺たちは茶屋を出て、その前に立つ。白づくめの外套で手元は見えない。自然に体の横に下ろしているように見えるが、隙が無い。
「西園寺より迎えに上がった。御堂仁雅はどちらだ」
よく通る女の低い声だ。一歩前に出てみせる。
「俺だ」
「従者は連れていけない。お前だけだ」
渉は軽く両手を上げ、肩をすくめる。
「勿論。私はここで失礼させていただきます」
俺の脇を肘でつつき、小声で続ける。
「半年間、死なないでくださいね」
「そう願う」
息を漏らし後ろ手を振ると、俺は橋を渡る。
十歩先を歩く案内人は、こちらを振り返ることなく進む。
橋を渡り程なくすると足場は悪くなり、森へ入ってしまう。夕陽はもう半刻もしないうちに沈む。
「おい」
俺はさすがに不安になって呼びかけた。案内人は立ち止まり、振り返る。
「まさかこのまま歩いていく気か」
「いや、人目につくのを避けるために移動した。ここから先は徒歩ではない」
布で隠した口元がかすかに動く。読唇もできない。次の瞬間、案内人の影が膨らんだ。
否、影から大きな影が出現する。同時に思わず呼吸が止まるくらいの、禍々しい圧。
猿の顔、鷹の翼、虎の四肢、蛇の尻尾。鵺だ。
聞いたことはある。だが目にするのは初めてだ。
俺は大きく後ろへ飛び、符で防護壁を作る。
祓えるか。いや、準備が足りない。力量に差がありすぎる。
鵺が俺を認め、鳴く。耳をつんざくような奇声が軽々と符を破る。
さらに間合いを取ろうと下がった矢先、背後に気配を感じた。
気づいた時には遅い。白い影が俺の口元に布を押しつける。
俺は声を上げる間もなく、意識を奪われた。
目が覚めた瞬間に感じたのは強い横風。目を開けることすらままならない。俺は腹ばいで動くものの上に寝そべっている。俺の背に、手が置かれる。
「気がついたか。思っていたより早いな。じきに着く。そのまま動くな」
俺は返事も出来ない。猿ぐつわを噛まされ、後ろ手に縛られている。言葉も発せず手印もできなければどうしようもない。
薄目を開けると、薄暗い闇の中を高速で進んでいるのがわかる。目の端に映るのは大きな翼。俺は鵺に運ばれているらしい。
言葉通り、次第に下降していくのがわかる。突如、着地の衝撃を感じ、転げ落ちないようバランスを取る。
そのまま鵺の背から降ろされると、案内人の影へ巨体が吸収されていく。それを見ている間に、猿ぐつわと縄がほどかれた。
ふと視線を感じ、周囲を見渡す。開けた場所だった。屋敷の中庭、といったところだろうか。その庭にいる老若男女がその場で俺を見つめていた。誰もが独特の気配を持っている。三白眼のような、特徴的な目。目。目。西園寺の目が、俺という異物を観察していた。
「手荒な運び方をして申し訳なかった。お疲れとは思うが、まずは我々のお館様へお目通り願いたい」
案内人は先に立ち歩き出す。俺は不躾な視線を浴びながらそれに従う。
敷地は御堂家と比較にならないくらい広かった。いや、家というよりも街全体が塀に囲われているようだ。今目の前にいる人数を見ても、家族と呼ぶには多すぎる。比較的若く、女性が多い。いや、そんなことよりも。
異様なのは、全員顔が似ていることだ。同じ能面を被った白い顔が、俺の動きに合わせて動いているようにも感じる。薄気味の悪さに鳥肌が立つ。
やがて屋敷へと上がり、廊下を進むと、奥座敷へ案内される。俺は言われるがままその場に座り、深く首を垂れた。
「そなたが御堂仁雅か。面を上げ、よう見せ」
ゆっくりと顔を上げ姿勢を正した。先ほどまで下がっていた御簾が音もなく上がっていく。やがて、目の前に座る女性と目が合う。長髪は白く、華やかな柄の着物と相まって人形のような印象を与える。だがその人形の目は充血し虹彩が細く見え、爬虫類のそれを思わせる。その瞳を少しだけ細めた。
「ほう。山狗の面影はある」
「彌津智様、この度はお招きに預かり幸甚の極み」
女性は声を上げて嗤う。父と同じだ。圧倒的力量の差があり一息にひねり潰せることが分かっていて、あえて手慰みにいたぶるような嗤い。
「あの男からどこまで聞いているかは知らぬ。そなたには半年ほど、この地に滞在してもらう。特に縛り付けておくつもりもない。敷地内ならばどこへ行こうとかまわぬ。ただ毎夜、夜伽をしてもらう」
「何方のお相手をさせていただくことになりますか」
「それはこちらで決める」
俺は内心首を傾げる。てっきり本家の娘だと思っていたが、複数の候補がいてまだ決まらないのか。いや、本人の同意が取れないのかもしれない。その可能性は大いに有り得る。
「たとえ子を成したとしてもそなたの認知は不要。すべて西園寺の子となる。また婚姻を結ぶこともない」
「承知致しました」
半年間仕事をすることもなく敷地内で過ごし、毎晩女を抱く。誰が聞いても好条件だ。だが半年後、無事帰される保証はない
「案ずるな。客人としてもてなすよう皆に伝えておる」
視線を下げたままの俺に薄く笑む。さながら白蛇に睨まれた子犬か。
「澪」
呼びかけに応じ、案内人が俺の傍らに膝をつく。
「何か不便があれば澪へ伝えよ。澪も務めがある故、常には対応しかねるが、屋敷内に居る時は極力顔を合わせるよう努めよ」
「御意」
澪と呼ばれた女性は短く答えると、また部屋外の廊下で待機する。白蛇は俺に赤い目を向ける。
「では仁雅。至らぬ事もあるやもしれぬが、ゆるりと過ごされよ」
案内されたのは離れの一室だった。隣には簡単な湯殿も厠もあり、部屋は広く清潔で、窓を開ければ日差しも風も入る。箪笥や書院もある。想像以上に優遇されているらしい。
窓の外は白い。空が鈍く輝いている。雲ではない。何らかの結界だろう。
先ほど到着したときも感じたのだが、ひどく肌寒い。初冬とはいえ今にも雪が降りそうだ。凍てつく空気が肺を冷やす。
「朝餉・夕餉については部屋の前に置いておく。良い時に食し、部屋の前に置いておけ。お館様の仰るとおり、その他の時間は好きにして構わない。部屋内は日が高い頃に掃除をするが立ち会う必要はない。だが夕餉以降は室内におられよ。夜伽に酒が必要なら手配する。その他必要なものがあれば申し出られよ」
部屋の入口に立ったまま説明する。
「澪殿」
「澪、と」
「早速で悪いが、俺が想像していた以上にこの地域は冷える。暖を取れるものが欲しい」
「火鉢を用意しよう」
「助かる」
「他は無いか」
「ああ」
彼女は頷くと、部屋を出て板戸に手をかける。
「澪。世話になる」
布で隠した口元は見えないが、俺と目を合わせ小さく頷いた。
日暮れ前には部屋の前に膳と火鉢が置かれ、声をかけられることもなく立ち去られた。室内で観察し、口に含んでみるが妙な味は無い。初日から毒を盛られることは無さそうだ。尾頭付きの煮魚に、吹き寄せ、吸物、香の物とかなり豪華な食事だ。
汗を流し、火鉢に火を入れると夜の冷え込みも幾分和らぐ。
さてどうしたものかと思っていると、突然板戸が開いた。
正面に立っていたのは、夜着姿の女。黒い長髪はクセがあるのか少しうねり白い肌に流れる。虹彩の細い目が嗤う。
「そなたが山狗の子か」
返事をする間もなく部屋へ上がり込むと、褥へ上がり、俺の顎を掴む。意表を突かれたのはある。だが、速い。
「ほう。やはり違う匂いがするものよ」
「名前くらい名乗ったらどうだ」
顎を掴む女の腕をそっと下ろさせる。
「衣鶴。だが覚える必要は無い」
愉快そうに目の前で嗤う女を眺める。三十路は過ぎているだろう。彌津智が若ければこのような容貌だったろうかと考える。いや、そもそもこの家の者は顔が似ている。
「そなたはただ横になっておればよい。今宵は妾が抱く」
唇をなめる舌は長く赤い。やはり蛇に睨まれた子犬だ。
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