【連載小説】第4話 白山の蛇 #創作大賞2024#ファンタジー小説部門
第4話 (約3100字)
白い羽織を纏い、外へ出る。今日は雪も無く、天気も良い。空には相変わらず鈍く輝く結界がある。しばらく観察してみたが薄い部分は無さそうだ。
懐から符を取り出すと、息をかける。符は瞬時にして烏に変わり飛び立つが、結界の前で白い炎を上げて消え去る。
やはりそう簡単に通り抜けられる結界ではない。通り抜ける時はこの結界を壊すときだろう。壊れれば術師に気づかれる。父には悪いが、中からの連絡は取れない。この結界の外からも様子はわからないだろう。半年後、無事に帰ることができるなら報告をするのもやぶさかではないが。
もともと他との交流を断っていた西園寺家だ。これだけ邸内を自由に歩かせていることが不可解なのだ。歩かれたところで困らないのか、もう外へ帰すつもりがないのか。
まだすぐにどうにかなる話ではない。俺は考えながら椿のもとへ行く。すでに彼女はそこにいた。
「紫乃」
呼びかけると弾かれたように顔を上げ、微笑みを浮かべる。
「今朝はありがとう。花一輪で部屋が明るくなった」
「お気に召したようで嬉しいです」
「おかげで珍しい澪の笑顔も見ることができた」
彼女は少し目を見開き、嬉しそうに笑う。
「澪が喜んでくれるのは私も嬉しいです。澪はとても面倒見の良い方ですから、私たちにもとても気を遣ってくださるのです」
「ああ、そうだな。それはわかる」
俺が頷くと、彼女は呼応するように何度も頷く。
「初めて会った時は圧倒されたな。あれは鵺だろう」
ここに来る前に彼女の影から現れた、異形の怪を思い出す。
「澪は西園寺の中でも優秀な陰陽師です。それゆえお館様の信頼も厚く、忙しく外の仕事もこなしていますが、帰ってきた時まで私たちを気にかけてくださいます」
「西園寺の者は皆あれほどの怪を使役するのか?」
彼女は目を伏せ、ゆっくりと首を横に振る。
「いえ、残念ながら。この数十年では、誰もが顕現するわけでもなくなり、調伏ができる者はさらに数が減っているようです。あれほどの怪となると調伏も命の危険があり、片手で数えられるほどになってしまいました」
そうか、と俺は小さく呟く。このことを知れば父は大いに喜ぶだろう。だが伝える術がない。
「調伏とはどういうものなんだ? 西園寺だけができる芸当と聞いているが」
「仁雅様はご覧になったことがありますか?」
「いや、無い」
彼女は、ええと、と呟き、沈黙する。さすがに教えてもらえないだろう。俺は椿へ目を戻す。
「調伏は、真名を探る行為です」
「……真名?」
彼女は椿を見つめたまま、言葉を続ける。
「言葉の呪をかけるのです。そのものの心の有り様を形作る真の名を探り、その名で縛ることで調伏します。大抵は依り代を用意しておき、そちらへ怪を移し入れ、念で凝視します。ですが、澪の使役するような怪は、依り代が持ちません。そのため自らが憑坐となり身体へ受け入れるのです」
「自分の身体に化け物を入れるのか」
「はい」
「調伏できなかったらどうなる」
「身体が砕け散るそうです」
さらりとした答えに、言葉を失う。それは、と声に出し続く言葉を懸命に探す。
「途中で止める場合はどうする」
「一度凝視したら止めることはできません。同様に身体が砕けます」
俺は椿の花を見つめる。鮮やかな葉に隠されて見えていなかったが、足元にはいくつもの花が落ちていた。そうだ。椿の花は首から落ちるのだ。
「怪を調伏できず亡くなった者は一体どれほどいる?」
「それは、私にはわかりかねます」
俺の視線に気づいたのだろう。足元に屈みこむと、前掛けの中に落ちた花を拾い始める。彼女の表情は見えない。
一輪挿しの椿を見つめながら、考える。一体どれだけの西園寺の家の者が調伏に挑戦して、砕け散ってしまったのだろう。あまりにも粗雑で乱暴で残酷なやり方だ。顕現する者が減り、調伏できる者が減り、このままでは先細りになるからと外の血を混ぜ、子どもを増やす。人の命を何だと思っているのだろう。人の人生を何だと。
板戸の向こうに人の気配を感じ、ふと考えが止まる。おそらく今日の相手だろう。だが一向に戸は開かない。
立ち上がり、戸の前で一拍置きこちらから開く。開く戸の前には肩を震わせ俯く女が立っていた。
「……紫乃?」
思わず漏れた俺の声に、女は弾かれたように顔を上げる。驚く顔は昼に見た顔だ。だが泣き黒子が無い。
「姉さんを知っているのか?」
紫乃よりも少し高く、尖った声。それが緊張なのか敵意なのかはわからない。
背丈はほとんど変わらないが少し筋肉質だ。紫乃は華奢で触れれば折れてしまいそうな印象だった。
「ここに立っていても寒いだろう。とりあえず入れ」
何か言いたげに口を開きかけたが、素直に部屋内へ入る。戸を閉め、俺は部屋の中ほどへと戻ると、距離を空けて向かい合う。
「名前は何という」
「綾乃」
「綾乃。紫乃の妹か」
「何故、お前が姉さんを知っている」
あからさまな怒りだ。何か気にくわないことを言えば首を描き切られそうなほどの鋭い殺気。
「昼間に立ち話をした」
「それだけか」
「それだけだ」
綾乃は押し黙り、やがて殺気が鈍る。俺は小さく息をつき、座るように促す。彼女は立ったまま動かない。俺は諦めて先に座る。
「姉のことが好きか」
あえて隙をつくり、微笑んでみせる。彼女はその場から動かず、視線だけで俺を見降ろす。
「紫乃は大切な人だ」
「そうか」
綾乃の返事に心から安堵していた。西園寺の者は感情が見えにくい。血縁関係も分かりにくい。だが、姉妹の間に思いやる心はあるらしい。
彼女は二度深く呼吸をし、俺のそばに座る。心を決めた者といつまでも会話を続けるのは野暮だ。
俺はそっと彼女の頬へ手を伸ばす。一瞬怯んだものの俺の手のひらを受け入れた。冷たくしっとりとした肌。俺を見る目は少し目尻が上向いているものの紫乃と瓜二つだ。正直、やりにくい。むしろ初めて顔を合わせるくらいが丁度良いのかもしれない。
もう一方の手を背中に回し抱き寄せる。引き締まった身体に力が入るのが分かる。衣鶴も清螺も綾乃も、戦士の身体だ。家事をする筋肉ではない。いくつもの死線を越えてきたものの身体だ。
抱き寄せた身体から一向に力は抜けない。西園寺はみな蛇のようだと思っていたが、綾乃は針鼠のようだ。蛇のように絡め捕らわれた二夜と異なり、必死で針を出す。
抱き寄せた手でそっと背中をさする。澪が用意してくれた香も柔らかい灯りの行燈も、今の綾乃には効果は無さそうだ。俺はただゆっくりと背をさする。
「早う、抱かぬかえ」
抑えきれていない声の震え。俺は気付いていないふりをする。
「今、抱いている」
「妾を愚弄するか」
身体の力は抜けない。怒りと焦りか。
つくづく向いてないと思う。こういう時、相手の感情など考えずに、一方的に抱いてしまえればどんなに楽か。西園寺もそれを望んでいるのだ。俺に求めているのは子種だ。快楽でも愛情でもない。それでも、恐れられ拒まれながら情欲を高ぶらせられる性癖は持ち合わせていない。
「そんなつもりはない。だがそう焦る必要も無いだろう」
「ならぬ! 妾は子を産むことが使命ぞ」
針鼠が語気を荒げる。使命か、と俺は口中で呟く。
「それはお前も望んでいることなのか」
「無論」
迷いのない答えだった。俺は大きく息を吐く。決心する時間が必要なのは俺の方だった。
そのまま彼女の身体を褥へ沈める。ねめつけるような視線を受けながら、俺は帯に手をかけた。
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