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【エッセイ】受け継がれる家庭のサイズ#うちのカレー

(読了目安4分/1700字+α)

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 私が幼い頃はあまり外食文化もなく、友達の家でご飯を食べることも無かった。だから、家で出てくる料理が基本であり、当然だった。

 小学校でカレーライスを作った。家庭科の時間だったのか、屋外での実習だったのかは覚えていない。5,6人の班に分かれ、分担して作業をする。

 カレーライスは家庭によってそれぞれで、普段は何の肉を使うのか、他の具材や隠し味等を話しながら、手分けして具材を切った。

 料理は家でも何度か手伝ったことがあった。私は皮をむいたジャガイモをいつものように半分にして、それを6等分か8等分に切り分ける。ふと横を見ると、隣の子がニンジンを同じくらいのサイズに切り分けるのを見て、内心どきりとした。

 私の家では、ジャガイモは乱切りでもニンジンは厚さ5㎜のいちょう切りだった。ニンジンは火が通りにくいからジャガイモより薄くするのだと、母から習っていたのだ。

 私はそのことを伝えようか迷ったものの結局黙っていた。作る前に手順を解説する先生も、いちょう切りにするとはおっしゃっていなかったからだ。ほどなくして出来上がったカレーライスは、ニンジンにもしっかりと火が通った美味しいものだった。

 私は家に帰り台所で夕飯を作る母に、今日カレーライスを作ったこと、ニンジンにもしっかり火が通っていたことを伝えると、母は悪びれもせず「だって、わたし、ニンジン嫌いなんだもの」と白状した。

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 母がニンジンを嫌いになったのは、幼少期の経験が原因らしい。

 母方の祖母の料理は豪快だった。とにかく具材の切り方が大きく、大量に煮る。様々な食材を一緒に煮ることで味の深みが増すのだと思うが、祖母はダイコンならダイコン、ニンジンならニンジンだけを煮る、といったシンプルなものが多かった。

 母は幼い頃から、おでんの輪切り大根のようなニンジンの煮つけを食べさせられ、母と叔父は姉弟そろってすっかりニンジン嫌いになっている。当時のニンジンは、金時ニンジンのように、味も匂いも今より強かったのだそうだ。

 確かに、祖母の家へ行くとお茶請けに煮物を出してくれることがあった。煮崩れるほどにしっかりと味の入った煮物は美味しいのだが、お茶請けには手をのばしにくい大きさで、私はほとんど眺めるに留めた。それでも母に言わせれば、昔に比べて切り方はかなり小さくなったらしい。

   🧆

 祖母の料理は、不格好ではあるが非常に美味しかった。

 手作りのおはぎは絶品で、スーパーの総菜コーナーで使われるプラスチックのパックに詰めて、おすそ分けしてくれたのをよく覚えている。

 炊き立てのご飯とあんが柔らかく、温かいままパックに詰められるため境目はわからなくなる。大きさを予想し、あんの波に箸を突っ込むと白いご飯が顔をのぞかせることもよくあった。塩味も甘味もちょうどよく、炊き立てのおはぎはペロリと食べることができた。

 売り物のような俵型とは程遠く、つぶあんの海原で宝探しをしているようで、外見を揶揄しながらも、家族で競うようにしてパックの隅まであんを掬い取り食べていた。

   🍜

 一緒に揶揄していた母は、はたして祖母を反面教師のように思っていたのだろうか。母の作るものに境目のわからない料理は無いが、(当人は否定しているが)祖母譲りの具の大きさだった。

 干し大根やアラメの煮物は麺のように細長く、俵型のコロッケは祖母のおはぎよりも大きなものが大皿に積まれた。味噌汁は具材が多すぎて、出来立てを食べるときには椀に盛られた野菜の味噌煮のようで、小松菜は箸ですくうと葉がきしめんのように伸びた。

 一口で頬張ることのできない母の料理に文句を言い、私が手伝うときには逆に母から文句が出てくるほど小さめに切った。しかし、物心ついたときから食べている料理は知らない間に身に染みているものなのだろう。

 以前母が入院していた時、兄と私で料理をして一緒に食べたことがある。遅い時間になったので、とにかく手っ取り早く作り、食べてしまおうとそれぞれ一品ずつ作り食卓に並べた。

 私が作った味噌汁の中の小松菜を、兄はのぼりのように高々と掲げ、母が返ってきたのかと思った、と笑った。



noteフードのお題に乗っかってみました。

おうちレシピとあったので私には無理と思っていたのですが(私のカレーは余った食材をぶち込む闇カレーなのでレシピなぞ存在しない)、よく見たらカレーにまつわる思い出、エッセイでも良いとか。
で、あれば、以前ひっそり書いていた雑記帳をアップしてみました。
カレーというか、具の話というかですが。

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