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後遺症に対する患者と医療従事者の意識の乖離

辛い痛み・しびれ感

妻は最近左上下肢の痛み、しびれ感に悩まされている。
発症直後には左下肢の不全麻痺(動きにくさ)がみられたが、感覚障害については判然としなかったようだ。ただ、本人曰く「薄皮一枚貼ったような」違和感はついて回っていたらしい。だが回復期リハ入院中にその話をPTに話しても、あまり重要視されなかった。
病気(くも膜下出血)の重さと比べて、相対的に小さな問題だと思われたのかもしれない。
医療従事者目線で言えば、一般に運動障害に比べ、感覚障害は(特に軽度の場合)なかなか認知されにくい。患者自身もわかりにくいし、医療側からみても定量化がしにくく正常/異常の区別がつきにくい。
だが気づかれにくい反面、外傷、火傷や凍傷のリスクにもつながりうるわけで、決して軽視すべきものではない。
しかも、発症直後は知覚低下だったものが、数ヶ月経ち痛みやしびれ(長く正座したときになる、あの感覚)に変化してきた。
そうすると四六時中その症状に悩まされ続けることになる。しかも歩いたり物を持ったり、冷たいものに触れたりすると更に症状が悪化する。

脳卒中においては、こういう「後から起こる症状」というのがやはりあるそうだ。自分もあまり詳しくなかったので色々と調べたのだが、代表的なものに「視床痛」というのがある。脳の中央近くにある視床という部分が傷害を受けた後、数ヶ月経ってから夜も眠れなくなるぐらい不快な痛みが手指や口唇に出現するものだ。視床だけではなく、その周辺の脳実質に障害が起こってもなる場合があるらしい。

今回の妻の場合は傷害部位が当てはまらないようだが、同じようなプロセスで起こる他の疼痛があっても不思議は無い。いずれにしても、かなり不快なしびれ感・痛みが起こってきたのは事実。
下肢の症状が先に起こってきたので、それを外来で相談した時に、浴びせられた言葉。
「3割亡くなる病気なんですから。」

医療従事者の言葉

とくに急性期の医師の場合、まずは救命を第一にする。それは当然のことだし、非常に大事な仕事である。
ただ急性期を脱した後については、再発予防を主としたアプローチは行うことがあっても、残った後遺症については軽視されやすい風潮があると思っている。
「忙しくてそこまで手が回らない」「そこは近隣の開業医に任せる」そういう考え方もあるだろう。だが、専門科の疾患に関しては、少なくともどういう後遺症が予測されるか、あるいは予測されなかった後遺症が出現した場合どう対応するか、というスキルは持っているはずだ。
少なくとも、患者が後遺症に悩まされている時に、

「3割亡くなる病気なんです」
「死ぬような病気だったんだから」(こちらは他のメディカルスタッフから言われた言葉)

という言葉でまとめるべきではないと思う。
(これらのセリフには、「だから我慢しましょう」という言葉が後ろに隠されていると思いませんか?)

これは脳卒中のみに限った話では無い。例えば心臓の手術後や、癌治療(手術、薬剤、放射線など)の後遺症にだって十分当てはまる。
もちろん、忙しい外来の中では、すべての患者が満足できるほど「傾聴し、寄り添い、方針を伝え、理解してもらう」というのは非常に難しい。とにかく時間がないのだ。
でも、だからといって、下手をしたら「助かったんだから我慢しろ」と解釈できるような言葉を患者に浴びせることが、本当に適切なのだろうか?

医療従事者にはもっと想像力を持って欲しい

自分を含めた医療従事者が同じような病気になり同じような後遺症を抱えたとする。

「3割亡くなる病気だから、生きてるだけでラッキー。後遺症あるけど仕方ないね。」

本当にそう思えますか?突然メスが持てなくなったら?突然目が見えなくなったら?合理的な治療方針を考えることができなくなったら?患者に自分の言葉を伝えられなくなったら?
まあ誤解を恐れずに言えばウルトラハイパーな病院で疲弊しきって「これで閑職につける」とホッとする人ももしかしたら居るかも知れない。でも大多数はそうはならないと思う。

自身がそうなった経験がなくても、そうなった人たちをたくさん診てきているからこそ、持てる想像力もあるはずだ。
すくなくとも患者の療養意欲を失わせるような発言はもっての外だ。
少なくとも、「それは辛いですよね。」の一言をかける時間ぐらいは、捻出できるはず。

分断ではなく、同じ方向を向いて

ここまで書いたけれども、決して自分は医療従事者と患者の分断を望んでいるわけではない。
大事なのは、どちらにもおそらく自分たち側の理由があり、それがお互いに理解されずに居ることだと思う。
現在の医療供給の限界。高齢化まっしぐらなのに金をひたすら出し渋る政府。どこに行っても同じ医療を受けられるように見えて、実は医療従事者のスキルには大きな格差がある現状。しかもそれが可視化されず、他方で広告料で成り立つ怪しげな病院紹介本がまるで真実かの如くに蔓延っている現実。SNSの台頭で歪んだ意見が一般的な意見のように扱われるネット社会。本当に医療従事者と患者が同じ方向を向きたくても向けない世の中になっていると思う。だからこそ、何とかしてお互いに情報共有をしたい。このブログを立ち上げた目的の一つもそれだ。

翻って自分自身を見直すと、今回家族の後遺症を通して、自分のこれからの患者対応にも生かしていかなければならない、とも思うし、妻本人の辛さにも、これから更に寄り添って行きたいと、そう思う。


(自己紹介後の投稿一発目が文体含めかなり過激になってしまいました。色々溜まっていたので、ご勘弁いただければありがたいです。)


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