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街の星座

エッセイ
テーマ『街』

InstagramでDMが届いた。
ロシア人の友達からだった。
進撃の巨人を見ていたら、日本語の意味がよくわからない場面があったので、どういう言葉なのか教えてほしいという内容だった。
その場合はthanks to himというよりはthanks to thatのほうが文脈的に合ってるかもね、などと、ほとんどできない英語を頼りに説明をした。

彼女は大学のサークルで知り合った留学生で、カーチャというあだ名で親しまれていた。
カナダやアメリカからの留学生は比較的明るい性格をしていたけれど、ロシアからの生徒たちは落ち着いた雰囲気を持っていて、みんなどこか大人びた様子で生活をしていた中で、カーチャだけは天真爛漫を絵に描いたような性格をしていた。
ドトール行きたい! お菓子作り体験したい! カラオケ行ってみたい! と全身で日本を楽しんでいたように思う。一緒に色々なところに足を運んだのだけれど、いま思えば連れていったのか連れ出してくれたのか曖昧だった。どちらにしろ僕にとっても貴重な経験となった。

彼女が祖国に帰ってから、Facebookで繋がっていたことも手伝ってたまにメッセージが送られてきた。ロシアでの生活を報告してくれたり、僕の身の回りの変化についてまれに話すことがあった。
そこからプラットフォームがインスタに変わり、投稿される写真を見ながら生活の充実を感じることはあったが、DMが送られてきたのは数年ぶりのことだった。
興が乗り、お酒でも飲みながら久々に話したいねという流れからオンライン飲み会をすることになった。

僕の仕事が終わってから始めることになったので、日本時刻で深夜の二時、彼女の住むノヴォシビルスクという街では0時ちょうどという夜の深い時間に乾杯をした。
動き喋るカーチャを見ていたら懐かしい気持ちになった。彼女の後ろには真っ白い壁が広がっていて、左上のほうには本棚が立て付けられていた。椅子に座るカーチャはあの頃よりも落ち着きを得たように見えた。
後に会話の中で振り返ってみたら、彼女の留学から九年が経とうとしていることに気がついて驚いた。それに日本に滞在していた期間は三ヶ月しかなかったらしい。二人ともその分だけ歳を重ねたということだった。
三ヶ月という短い期間での繋がりが、国も時間も越えて保たれていることが嬉しかった。

ビールを飲みながらお互いの仕事のことについて話をした。
彼女は営業職に就いてチームで仕事をしていた。その中には日本人も含まれており、日本語の敬語を使ってプレゼンをすることもあるようだった。日本人であれば誰とでもすぐに仲良くなれるカーチャの特性はおそらくため口から来ていたこともあって、敬語を使うのが仕事で一番難しいところだと言っていた。
試しに敬語で飲んでいるお酒の説明をしてもらうと違和感のある言葉遣いになった。語尾が妙に甘ったるく伸びていく話し方で、それも愛嬌があって良いと思えた。甘いカクテルでして、最後にはほのかな苦さがございますう、とのことだった。

それから、普段から読書をしている僕にとっては左上にある本棚が気になったので、どういった選書なのかを尋ねてみると、自分の家ではないから分からないという回答が返ってきた。友人の家に住まわせてもらっているらしい。
夜中なのに大きな声を出していて大丈夫かと心配になったけれど、友人はタイに行ったので、一人で暮らしているようだった。
今のロシアは住めば都と胸を張れるような場所ではなく、祖国としている人たちがどんどん国外に出ていっていると彼女は言った。仕事の関連で行けるならもちろん出ていくし、そうでなくても、別の国へ逃げていく人は多いようだった。
カーチャ自身も、三月にはハンガリーに行けることになったから自分の部屋の契約を終え、そこに住み始めたようだった。
タイに行ったのとは別の友人も、アメリカに行ったりノルウェーに引っ越したりしているらしい。

その話題も終わり、「でもたまに本は読むよ」と彼女は言って、ロシア文学であれば『巨匠とマルガリータ』という本がおもしろいと勧めてくれた。マジックリアリズムの文学で、僕が最近購入したばかりのガルシア=マルケスが影響を受けた作家のようだった。
話しながら軽くWikipediaを読んでいたら、作者のミハイール・ブルガーゴフはロシア帝国の支配下であったウクライナのキエフで産まれたと書いてあった。ロシアの文学か、と少しだけ遠い目になった。

それからは、僕らの共通の友人が関東に移り住んでいることや、別の友人は東北に転居したこと、結婚をしている人がいれば、子供が生まれたりしている人もいると伝えた。
彼女はまた日本に来たいとも言っていた。ハンガリーに行けば国外への飛行機はたくさん出ているから行きやすいだろうとのことだった。日本に来れた暁にはカラオケに行ってみたいらしい。
歌うのが好きで、清浦夏実の『旅の途中』をアカペラで聞かせてくれた。はじめて聞いた彼女の歌声はものすごい美声だったので、思わず目が丸くなった。僕の周りで言えば断トツで上手に歌うのがカーチャのようだった。
そんなこんなで夜も深くなったので通話を終えた。

そして、少しだけ不思議な気持ちになった。
遠くの国のまだ見ぬ街にいる友達とこうして話せたことは奇跡みたいだなと思った。
少し前に僕はこんなTweetをした。

それを書いたときには悲しい気持ちになったけれど、カーチャと話したあとではポジティブな感情で捉えられるような気がした。
ノヴォシビルスクに行ってみたいと思っているのは彼女がそこにいるからだし、ハンガリーに興味が出たのも転居すると聞いたからだ。学生時代に知り合った、関東に行った友人たちのおかげで、その各々の街に行く機会があれば楽しめそうだと思えている。東北の知らない名前の街に出会えたのもそこに知人がいるからだろう。

友人たちと別れることは寂しいものだったが、歳のせいなのか、決別の経験が増えたからなのか、前向きに考えることもできるようになってきたようだ。
地球にちりばめられた友達がたくさんがいるのなら、その一人ひとりを星座みたいに線で結んでいけば、綺麗な道筋が出来上がるだろう。おかげさまで、その人がいる街に行くことの恐れは少しだけ減り、素敵な経験が待っているはずだと、胸を張れるような気がするのだった。

東の国の港 西の海辺
暗い森で 南の街 金の塔
北の丘 水に揺れてた同じ月が
差し出すその手を
繋いでいいなら どこまで行こうか

清浦夏実/旅の途中

著:藍草(https://twitter.com/aikusa_ok

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