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『Beep21』新連載 B-SPEC 斗々屋堂 第1回「ファンタシースターII」データメモリー嬢【スマホ壁紙データ特典付き!】

【おしらせ】ただいまデザインのリニューアル中です。


毎回スマホ壁紙データ付き! 新連載「斗々屋堂」がスタートします!

『Beep21』新連載企画として
JUDY TOTOYA(山口恭史)氏の
「斗々屋堂」がスタートします!

「ソニック」のテイルスをデザインしたこと
でも有名な山口恭史氏は、メガドライブ初期に
「ファンタシーII」や「ソーサリアン」などにも
関わり、その時のエピソードはこちらでも明かして
くれていました。

かわいいキャラクターはもちろん
メカ系もこなすデザイナーとして
山口氏は現在も各方面で活躍中です。

Beep21』メガドライブミニ2臨時増刊号での
久しぶりのインタビューをきっかけに
今回から連載で新規イラストを毎回
描き下ろしていただきつつ、その裏側の
設定やエピソードなどを公開する
企画を始めることになりました!

記念すべき第1回は
「ファンタシースターII 還らざる時の終わりに」
でファンも多い「データメモリー嬢」です!

山口氏が描いたイラストは
本誌内特典として、
スマホ用壁紙データも
ダウンロードできる
ように
なっています。

山口氏に次回以降描いてもらいたい
イラストのご意見やご希望も
ぜひお待ちしています。

メガドライブミニ2版
久しぶりに「ファンタシースターII」を
プレイした人も、初めてプレイした人も、
何度となくお世話になったデータメモリー嬢
について、今回は細かい設定なども含め
山口氏が解説してくれています。

当時の「ファンタシースター」シリーズの
ファンの方もぜひご覧ください。

それではここから先は
山口氏にバトンを渡します。

どうぞ最後までお楽しみください!

※本記事はこちらから読むことができます(※下の「2023年間購読版」もかなりお得でオススメです)

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ごあいさつ

みなさん、はじめましての人もそうでない人もいらっしゃるとは思いますがJUDY_TOTOYAこと山口恭史やまぐち やすしと申します。

往年のSEGAセガファンの方には聞いたことがある名前かもしれませんが、メガドライブ立ち上げ時期~サターン初期のソフトの頃までSEGAに在籍していたデザイナーです。(海外だとアーティスト扱いになるのかな)

有名なところではソニック・ザ・ヘッジホッグ2のアートディレクションとマイルス“テイルス”パウアーのキャラクターデザインを手掛けました。

昨年『Beep21』さんからのインタビューを受けたご縁から、もう少し昔のゲームの話を聞きたいということでこのたび専用のコーナーを設けていただくことになりました。
レトロなゲームの話が主軸となりますがお付き合いください。
 
さて、第1回目のお題目は、昨年のインタビューともネタがかぶったりするのですが「ファンタシースターⅡ」に登場したデーターメモリー嬢の話となりました。

30年以上も昔のRPGゲームのたかだかSHOP画面のキャラですが、いまだに好きでいてくれる人も多くて今回のお題となりました。

データメモリー嬢の誕生までの経緯と「ファンタシースターⅡ」に関してもう少し掘り下げた形でお話したいと思います。

ゲームとの接点とゲーム映像の可能性

「ファンタシースター」の1作目と画風が変わってアニメ絵になった経緯に関しては自分がゲーム業界に入る前にまでさかのぼります。

中高生時代(’70年代)、世間はTVゲーム創世記で、ちまたではブロック崩しやインベーダーゲームが日本を席巻せっけんし、ゲーム喫茶きっさやゲームセンターが次々と出来ていた頃です。

ゲームセンターは当初不良の巣窟そうくつと言われ、なかなか足を踏み入れることができなかったのですが、「ゲームセンターあらし」などのブームによってゲームセンターも徐々に明るい方向に転換していきました。映画館に併設されたところも多く、たくさんのアーケードゲームが出てきてお金はないからプレイはできないけれど、後ろで他人のプレイを見るのが楽しみでした。

まだこの頃はゲームに対して純粋にゲームとしての楽しさを求めている程度で業界に行きたいというレベルではありませんでした。

グラフィックがまだまだ記号レベルで、ぶっちゃけ誰でも描ける程度のものでしかなかったからです。

‘80年代に入って、アーケードゲームのグラフィックはかなり向上してきて、ゲームも遅ればせながらファミコンを購入して(初めて買ったTVゲーム機はTV JACK1500でしたがすぐにきた)「スーパーマリオブラザーズ」や「ドラクエ(ドラゴンクエスト)」をプレイしてゲームの持つ可能性に期待し始めます。また色数の少ない表現でも、コナミやハドソンなどのうまいドット絵が目を引き始めました。

アニメ業界か、映像業界に行く目標のため、大阪芸大の映像学科に進学しましたが、徐々に考え方が変わり始めます。

学校の帰り道、ほとんどと言ってよいほど通学路にあった大阪日本橋のでんでんタウン徘徊はいかいするようになります。この頃は50円プレイのゲームセンターも多く存在し始め、バカのようにATARIの「スター・ウォーズ(1983年)」のインカムに貢献していました。ベクタースキャンによる3D表現や「タイムギャル(1985年)」「サンダーストーム(1984年)」と言ったアニメの映像を取り込んだゲームも出てきて、ゲーム業界もグラフィックに力を入れ始めたと思うようになりました。

またこの頃からパソコンゲームも先立って、アニメテイストが取り入れられ始めて、いよいよ自分の進む方向にゲーム業界が加わってきます

決定打になったのは2つ、まず友人とともに行った大阪で夢工場’87というイベントがあったのですが、これがすさまじくつまらなくて、中にあったゲームコーナーに逃げたんですよ。

そこで出会ったのが導入されたばかりの「アフターバーナー」!

1987年9月号『Beep』の記事より(※画像をクリックすると拡大して読めます)。7月に東京のホテルニューオータニで開催された’87夏季新製品発表会」でお披露目された「アフターバーナー」はダブルクレイドルタイプの体感筐体以上にその映像も大きなインパクトがあった。©SEGA Produced under a license from Northrop Grumman Systems Corporation.F-14D Tomcat is a trademark of Northrop Grumman Corporation.

これを初めてプレイしたときの衝撃はすごかった。すでにSEGAの体感ゲームである「スペースハリアー」や「アウトラン」はプレイしていましたが、それ以上に「アフターバーナー」のグラフィックの凄さに圧倒され、今のゲームはここまで出来るようになったんだ! 10年、20年先にはTVアニメや映画に追いつくだろ!と思い、(実際そうなりましたが)無理に映像業界やアニメ業界にいかなくてもそのうち勝手に融合するだろう。だったらわざわざ給料が不安定(と言われるよう)な業界を選ばなくても、(未来が楽しそうな)ゲーム業界のほうが良くない?と思うようになり、そして「ファンタシースター」のテレビCMを見て、コンシューマゲーム機でもこれだけのグラフィックが出来てアニメーションもするようになったのか!とも実感していました。

その頃には『Beep』などでセガの次世代コンシューマ機の情報も出始め、うまく行けば次のコンシューマ機でアニメのようなRPGや、映画のようなシューティングやアドベンチャーゲームが作れるんじゃないのか!?と思うようになり、大学4回生の時にコナミとSEGAを受けて、両方採用通知が来ました。結果的に自分の性格からSEGAの社風のほうが合っていると思い、SEGAに行くことに決めたわけです。

まあ、現在の様に超絶上手うまいアーティストやイラストレーターがこぞってゲーム業界に来るような時代ではなかったので、自分程度の絵描きでもあっさり採用されたのでしょう。

性能が上がってきたとは言え、当時のゲーム機ではまだまだプロのアーティストやイラストレーターの描きたい絵が描ける性能には程遠ほどとおく、(彼らが)仕事として選ぶ選択肢にはなかったからだと思います。
逆にゲームが好きが第一条件でそれなりに絵が描ける人材が多く採用された時代だったのでしょう。

さて、いよいよSEGAに入社です。

当時のセガでの配属の様子とセガでやりたかった「野望」

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