見出し画像

「SEGA SOUND STREET on Beep21」01 デイトナUSA─光吉猛修─


セガサウンドの顔・光吉猛修氏の回顧録コラムがいよいよスタート!

1994年にアーケードでリリースされた「デイトナUSA」のボーカルサウンドで衝撃的な存在感を生み出した光吉猛修氏。歌うサウンドクリエイターとしてセガサウンドを牽引し続けてきた光吉氏自身による当時の回顧録シリーズが『Beep21』でスタートします。その名も「SEGA SOUND STREET on Beep21」!!

その第一回目は今年30周年を迎えた「デイトナUSA」をお届けします。
あまりにも有名なこのタイトルのサウンドの裏でどんなやり取りがあったのか? 当事者である光吉氏自身がつづる記録は、後世にのこすべきもの内容としてまさに必見。

記事の最後には光吉氏の直筆サイン入り「デイトナUSA」のサントラプレゼントもあります!

2024年6月7日(金)20時からの「SEGA SOUND STREET Vol.10」の中で生サインを入れてくれた光吉猛修氏。その模様はこちらでご覧いただけます

ぜひ皆さん最後までご覧ください!

この他、『Beep21』で好評連載中の回顧録シリーズもご覧ください!

▼光吉猛修氏のインタビュー記事もあわせてご覧ください!

※本記事はこちらから見ることができます(※下の「2024年間購読版」はかなりお得でオススメです)

◆「2024年間購読版」にはサブスク版にはない特典の付録も用意していますのでぜひどうぞ!

はじめに

本稿の依頼を頂いてから、自身が今までセガで関わったタイトルをどの順番で書き記していこうかと悩みました。

当初は時系列でと考えていましたが、現在定期配信の「SEGAセガ SOUNDサウンド STREETストリート」との連携として発売から区切りの良い年の過去セガアーケードのサウンドを紹介するコンテンツ構想とこの回顧録が伏線回収となって興味を持って頂けるのではと考えました。

その初稿として「DAYTONAデイトナ USA」を選んだ事にも理由があります。本稿が公開される2024年が本ゲームがリリースされた1994年から数えてちょうど30周年と言う事で流れとしても相応ふさわしいと言う考えに至りました。

また、本ゲームのサウンド開発にあたり、自身の記憶の中にあった可視化してこなかった部分に関して、それを明らかにしていく事で、私の中の暗黙知あんもくちに対しての何らかの「気付き」への期待も含んでおります。

可能な限り客観的に、正しい記憶を頼りに書きしるしていこうとは思いますが、30年前の話になりますのであやしい部分も含めどうか生暖かく受け止めて頂けますと幸いです。先ずはじめに、その「音楽」から紐解ひもといていきたいと思います。

その前に「DAYTONA USA」開発当時の経緯や背景等からまずは語っていきます。

1.  Historicalヒストリカル Contextコンテキスト ~時代背景~

1993年あたりだったと思うのですが私が楽曲制作を担当していた「Virtua Racingバーチャレーシング」の開発が終わり、当時のAM2研のフロアでは「Virtua Fighterバーチャファイター」にテクスチャがられた2作目のプロトタイプ「Virtua Fighter 2」が(鈴木)裕さんの席にある筐体きょうたいに映し出されていました。

BEEP!メガドライブ』1994年5月号で始まったAM2研コーナー。その中でアキラとパイのテクスチャバージョンが公開されていた。※クリックすると拡大して記事を読むことができます。

「Virtua Racing」で裕さんと一通り仕事をご一緒して、良くも悪くも少し距離をおいた仕事がしたいな、と思っていた矢先、当時2研の中でNo.2だった名越(稔洋)さんが「ドライブゲーム」を立ち上げる、という話を聞きます。

セガ初の3D CGボードMODEL1でリリースされた「バーチャレーシング (1992年)」。それに続く「デイトナUSA」はMODEL2基板を使い、テクスチャーマッピングをされたレーシングゲームとして出される予定だった。

ちなみに、私は1990年に当時のセガ・エンタープライゼスへ入社、所属先が「第8研究開発部」と言う鈴木裕さん率いる「体感ゲーム」を開発していたチームへ配属されました。その後、組織改変に伴い「第2AM研究開発部」略して「AM2研」となります。

BEEP!メガドライブ』1994年4月号の鈴木裕氏インタビューの中でAM2研の成り立ちは語られている。※クリックすると拡大して記事を読むことができます。

しばらくして名越さんの席へおもむ「私を(名越さんのプロジェクトに)引っ張ってもらえませんか?」直談判じかだんぱんしたのを覚えています。名越さんが忖度そんたくしてくれたのか、裕さんが旅をさせてくれたのかは不明ですが「Virtua Fighter 2」ではなく名越さんへとたくされました。

BEEP!メガドライブ』1994年4月号で雑誌の誌面に初デビューした名越稔洋氏。※クリックすると拡大して記事を読むことができます。

そのカウンターバランスで、その後「シェンムー」のサウンドディレクターをまかされる事になる訳ですが、その話はまた別の機会に…。とにかく、それが「DAYTONA USA」プロジェクトへ配属されるきっかけ、でした。

名越さんは初めてのディレクター業務で多忙だった事もあってか、サウンドに対してもほとんどど注文がありませんでした。むしろ私が報告や相談をしなさすぎました。本当に好きにやらせてくれたんだと思います。

当時の時代背景はこの様な感じでした。
では、その上で「DAYTONA USA」の音楽について語っていきます。

2. Music ~音楽とそれにまつわる誕生秘話~

色々な所でお話しているので耳タコ状態かも知れませんが、当時の「DAYTONA USA」開発チームに経営陣から一つのオーダーがくだされていました。それが

ここから先は

2,740字 / 4画像

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?