「SEGA SOUND STREET on Beep21」01 デイトナUSA─光吉猛修─
【更新情報】2024/07/05のライブ配信動画のアーカイブを追加しました!本記事の内容を光吉氏自身が解説・補完したうえに、最後に「Let's Go Away」の生演奏もあります。誌面と合わせてぜひご覧ください。
セガサウンドの顔・光吉猛修氏の回顧録コラムがいよいよスタート!
1994年にアーケードでリリースされた「デイトナUSA」のボーカルサウンドで衝撃的な存在感を生み出した光吉猛修氏。歌うサウンドクリエイターとしてセガサウンドを牽引し続けてきた光吉氏自身による当時の回顧録シリーズが『Beep21』でスタートします。その名も「SEGA SOUND STREET on Beep21」!!
その第一回目は今年30周年を迎えた「デイトナUSA」をお届けします。
あまりにも有名なこのタイトルのサウンドの裏でどんなやり取りがあったのか? 当事者である光吉氏自身が綴る記録は、後世に遺すべきもの内容としてまさに必見。
記事の最後には光吉氏の直筆サイン入り「デイトナUSA」のサントラプレゼントもあります!
ぜひ皆さん最後までご覧ください!
この他、『Beep21』で好評連載中の回顧録シリーズもご覧ください!
▼光吉猛修氏のインタビュー記事もあわせてご覧ください!
※本記事はこちらから見ることができます(※下の「2024年間購読版」はかなりお得でオススメです)
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はじめに
本稿の依頼を頂いてから、自身が今までセガで関わったタイトルをどの順番で書き記していこうかと悩みました。
当初は時系列でと考えていましたが、現在定期配信の「SEGA SOUND STREET」との連携として発売から区切りの良い年の過去セガアーケードのサウンドを紹介するコンテンツ構想とこの回顧録が伏線回収となって興味を持って頂けるのではと考えました。
その初稿として「DAYTONA USA」を選んだ事にも理由があります。本稿が公開される2024年が本ゲームがリリースされた1994年から数えてちょうど30周年と言う事で流れとしても相応しいと言う考えに至りました。
また、本ゲームのサウンド開発にあたり、自身の記憶の中にあった可視化してこなかった部分に関して、それを明らかにしていく事で、私の中の暗黙知に対しての何らかの「気付き」への期待も含んでおります。
可能な限り客観的に、正しい記憶を頼りに書き記していこうとは思いますが、30年前の話になりますので怪しい部分も含めどうか生暖かく受け止めて頂けますと幸いです。先ずはじめに、その「音楽」から紐解いていきたいと思います。
その前に「DAYTONA USA」開発当時の経緯や背景等からまずは語っていきます。
1. Historical Context ~時代背景~
1993年あたりだったと思うのですが私が楽曲制作を担当していた「Virtua Racing」の開発が終わり、当時のAM2研のフロアでは「Virtua Fighter」にテクスチャが貼られた2作目のプロトタイプ「Virtua Fighter 2」が(鈴木)裕さんの席にある筐体に映し出されていました。
「Virtua Racing」で裕さんと一通り仕事をご一緒して、良くも悪くも少し距離をおいた仕事がしたいな、と思っていた矢先、当時2研の中でNo.2だった名越(稔洋)さんが「ドライブゲーム」を立ち上げる、という話を聞きます。
ちなみに、私は1990年に当時のセガ・エンタープライゼスへ入社、所属先が「第8研究開発部」と言う鈴木裕さん率いる「体感ゲーム」を開発していたチームへ配属されました。その後、組織改変に伴い「第2AM研究開発部」略して「AM2研」となります。
しばらくして名越さんの席へ赴き「私を(名越さんのプロジェクトに)引っ張ってもらえませんか?」と直談判したのを覚えています。名越さんが忖度してくれたのか、裕さんが旅をさせてくれたのかは不明ですが「Virtua Fighter 2」ではなく名越さんへと託されました。
そのカウンターバランスで、その後「シェンムー」のサウンドディレクターを任される事になる訳ですが、その話はまた別の機会に…。とにかく、それが「DAYTONA USA」プロジェクトへ配属されるきっかけ、でした。
名越さんは初めてのディレクター業務で多忙だった事もあってか、サウンドに対しても殆ど注文がありませんでした。むしろ私が報告や相談をしなさすぎました。本当に好きにやらせてくれたんだと思います。
当時の時代背景はこの様な感じでした。
では、その上で「DAYTONA USA」の音楽について語っていきます。
2. Music ~音楽とそれにまつわる誕生秘話~
色々な所でお話しているので耳タコ状態かも知れませんが、当時の「DAYTONA USA」開発チームに経営陣から一つのオーダーが下されていました。それが
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