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『Beep21』真・セガハード列伝─セガサターンデザイン秘話【後編】

【追加更新】US版セガサターンコントローラーの写真と解説を追加しました(2024/02/29)


2024年はセガサターン30周年! 次々と明かされる当時の裏舞台

2024年はセガサターン30周年の年となりますが、本記事の前編ではセガサターンのデザインは、どのようなものが提案され、どのような経緯で最終的にあの形になったのか?についてお届けしました。

この中で、本邦初公開のソルクス・デザイン社による黒いセガサターンのモックアップの写真も掲載され、大きな反響を得ました。ブラックカラーをベースにメガドライブからの系譜を正統進化させ、本体に大きく金色で「32・BIT」の文字が印字されたその姿は、ご覧のように非常にスタイリッシュで、ソルクス社・渾身こんしんのデザインと言えるものでした。

セガ・マスターシステムからハードウェアのデザインを手がけることになったソルクス・デザイン社は、その後メガドライブ、ゲームギア、スーパー32Xに至るまでの間、セガの家庭用ゲーム機のデザインを担当していたが、セガサターンのデザインコンペではこの写真のモックアップでコンペに提案。最終的に、社内の及川氏のデザイン案とで票が割れ、最後は及川氏のデザインが採用されることとなった…。

▼参考  ソルクス社・高須社長メディア初登場!前編【全編無料公開中!】

©SEGA  1994年6月の'94東京おもちゃショーで一般に初公開されたセガサターンのモックアップはシャンパンゴールドのメタリック塗装がされたものであった。次世代の幕開けを予感させる魅力を放っていたこのデザインは、大量生産されるハードでありながら、”塗装をする”という大胆な発想からきていたのだが...。今回はその顛末を含め、当時の裏舞台の話が当事者たちによって克明に明かされていきます。
『Beep21』「真・セガハード列伝」のナビゲーター : 戸崎健司(とさきけんじ)セガでコンシューマゲーム機の開発部門に所属し、周辺機器などの開発を担当。セガ入社はメガドライブが発売された1988年。セガ退職はドリームキャスト撤退時の2001年。13年間セガのハード開発部門に在籍した当時の話はこちらの記事で掲載中。
菅井(利道)さん(※写真左)はセガサターンのメカ設計を担当及川(明敏)さん(※写真右)はセガサターンのデザインの担当。2人は1993年4月にセガ・エンタープライゼス(※当時)に入社した同期で、その後のドリームキャストの設計、デザインにも関わっている。

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当時の誌面に載っていた予想図について

──当時『BEEP!メガドライブ』に掲載された予想イラストは、まだ東京おもちゃショーで公開されるかなり前の段階の予想図だったんですが、今見ると結構デザインが本物(の製品版セガサターン)に似ているように見えます。

『BEEP!メガドライブ』1993年11月号で初めてその存在が掲載された次世代機(コードネーム「サターン」)。デザイン外観はのちに公開されるセガサターンの特徴が見てとれるが、本体のカラーリングがブラックで、薄型であるあたりは、ソルクス・デザインのモックアップの雰囲気も加味して「予想図」として描かれたようにも見える。※クリックすると記事を拡大して読むことができます。

及川 ……これは僕はタッチしてないですね。僕が描いたものではないです。

──当時、編集部側で描いた予想図ですので。たぶん状況から見て、非常にクローズドに見せてもらったものを絵にしたのかもしれません。当時この記事を担当していたのは『BEEP!メガドライブ』の編集長だった近藤裕でしたが、残念なことにもう亡くなられているため、その当時のことが今となっては...でして。

及川 ああ、そうですか…。何で僕が描いたものではないのかって、この再現図はロゴが綺麗きれいに描かれてないからです。スケッチを描くときにロゴは命ですからね。人形の目と一緒なので。ロゴを曲がって描くとかはありえない。だからたぶんスケッチかデザインモックなどを見て、(モックアップの)現物はメディアにはまだ出せないということで、現物を見て一生懸命イラストに描き起こしてくださったものなんでしょうね。

──この(テレビモニターに投影されている)及川さんのセガサターンのデザインはイラストではなく"(モックアップの)現物"なんですか?

及川 これはモックアップ本体を実際に撮ったものです。画像があらいのは、なぜかというとDIGIO(デジオ)という当時最先端(笑)のデジカメで撮ったものだからですね。

©SEGA     1996年秋にセガが唐突に発表したデジタルカメラ「DIGIO(デジオ)」及川さんが3日間でデザインしたもの。 当時デジタルカメラが徐々に手が届きそうな価格帯になっていった中、29,800円という激安価格で市場にリリースされた。メディアはスマートメディア(現在は撤退)を採用し、プリクラと連携して印刷できるのが特徴だった。低価格を実現するため画質は25万画素といまいちだったが、手軽にデジタルで写真が撮れることに意味があった。

戸崎 画質が悪くて全然シャンパンゴールドに見えないね(笑)。

及川 CGですか? スケッチですか? って感じなんですけど、これ、実物なんです。

戸崎 当時(これは)すごいインパクトがあったんです。シャンパンゴールドに塗られて、ちょっと家電チックというかAV機器チックな、おしゃれなデザインがポンと目の前に出てきて、みんな目を奪われてしまいました。他のデザインは、そんな感じではなかったんじゃないかな。

及川 ソルクスさんは、それまでのセガの手法で生産できるデザイン

樹脂のシボのザラザラしたところ(金型に施す梨地処理)と、光沢のコントラストで。あとはシルク印刷するくらい。

他の案はそれすら考えてなかったですね。だから事実上、そんなにデザイン案の選択肢はなかったかな、と思います。

戸崎 ソルクスさんは、セガの当時の設計力とか生産インフラを踏まえた上で「もうちょっと頑張ったら、これは作れますよ」というレベルのものを提示してくるんですよね。今のレベルの中で収まるものじゃないです。今回はここをがんばらないと、このデザインは実現できないですよ。でも、その頑張り方はこうですよと、業者を紹介してくれたり、部分的にそこの図面を書いてきてくれたりして、実現方法も提案してくれる。そこがすごい会社なんです。「なるほど、そういうやり方が世の中にはあるんだ」と勉強させていただける会社だったんです。それが今回はどうするんだ??と。

及川 世の中で、同じプロダクトを何千万台か作る機会に恵まれることというのは、ほとんどのデザイナーはないわけです。ソルクスさんのような優しいおおらかな方もいれば、僕みたいに雑な人は「やりなさいよ、それぐらい」と(笑)。「こんなに沢山作られる製品に携わって、すごく恵まれた環境で仕事しているんだから、トライしなさいよ。全く不可能ではないので、頑張りなさいよ」と思って、デザインが先行しちゃったんですね。

戸崎 モーターショーのコンセプトカーで「どこにエンジン乗るんですか?」っていうものと同じかな?

及川 そこまで言わないでよ(笑)。

戸崎 「どうせこれ、作らないんでしょ」と思ったら、「えっこれ、生産しろって言うんですか!?」みたいな話で大騒ぎになったのを覚えてます。

──コントローラーも、ワイヤレスの想定で?

及川 それも「技術的にできることなんだから、当然やりなさい」っていう話で(笑)。だって、その方が親切ですし。当時の家電を引き合いに出したらアレですけれど、ワイヤードのリモコンの家電なんかなかったですからね、'90年代は。5万円くらいの製品なら、コントローラーもリモコンでしょう、という話なんですけれども。僕は外(のデザイン会社)から入って来た人間なので、しがらみもなく言ったんだけど、結局そこは論破できず…、という話だったんですけど(苦笑)。

戸崎 セガサターンの最初のトピックは、ここら辺の具体的な経緯の話ですよね。

シャンパンゴールドをどうするか問題と実際のスケジュールの問題

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