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見知らぬ人々の見知らぬ時間の中にて

短い時間の長い瞬間
3[見知らぬ人々の見知らぬ時間の中にて]


行き慣れないカフェはどうも居心地が悪い。どの席が落ち着くのか、どの席の視界がいいのかわからないまま菜津は奥まった席にとりあえず座った。
友人に結婚祝いを送ったお返しがこのカフェのネットクーポンだった。今どきの事情といえばそれまでだが、感染予防で式も披露宴もできない状況でお返しもネットで済ませるというのは今どきとしか言いようがない。
店内のクリスマスの飾り付けもどことなく派手で、菜津はどうもそういう派手さがダサいと思ってしまう。それとは反対にその派手さがお洒落だと認識する地方都市から遊びに来ているだろうと思われる若い男女が写真を撮ったりして楽しげに時間を過ごしている。
クーポンを消費するためとはいえ、コーヒーを飲み始めても落ち着くことはなかった。菜津は仕方なく読みかけの文庫本を開く。

真ん中の目立つ席にいる老齢女性は、菜津が入ってきた時からスーパーのチラシをチェックしている。買うものをメモに書いているようだった。
コーヒーカップの横に誰もが知っているスーパーのチラシを広げメモ用紙とペンを持ち、必死の形相でメモをとっている。何度もチラシを裏返したり表に向けたりと繰り返しているから、その度にバシャバシャと紙の音が店内に響き渡る。
菜津はそんな老齢女性を少し嫌だなと思う。
チラシチェックで数百円の安売り商品を手に入れたとしても、カフェで飲むコーヒー代に数百円使っていたら、何のための節約なのだろうと効率の悪さを感じる。
ひょっとしたら、コーヒーを飲むために節約しているとも考えられなくもないが、それならもっと美味しそうに味わって飲んでもいいだろうにと思う。

菜津は1杯目のコーヒーを飲み終えた。
2杯目をお代わりしようかどうか悩む。
クーポンの残高はまだたくさんある。休憩時間もまだ27分ほど残っている。
お代わりしようと決めて立ち上がった時、年配の夫婦らしいふたりが店内に入ってくる。旅行かばんを持っているところから推測すると旅行者なのかもしれない。ふたりは適当に空いてる席に向かい合わせに座り、所在なげに周りをきょろきょろと見回している。
カフェスタッフが片付け台の周りの整理をしている。
そのスタッフに向かって先程の年配の男性の方が声をかけた。
「すみません、ホットコーヒーを二つ」
喫茶店と間違えているようだ。その光景を見ながら菜津はコーヒーのお代わりを受け取る。
「すいません、当店はセルフサービスとなっております。注文はあちらのカウンターでお願いします」スタッフは丁寧ではあるが、どこかこの客を馬鹿にしたような口調で言った。
「あぁ、そう...」男性が立ち上がりカウンターに向かう。
カウンターでも何かわからないことがあったらしくスタッフとやりとりをする姿が菜津の席から見えた。女性の方はそんな姿を不安げに見ている。
田舎から出てきた老夫婦という感じだ。何のためにこんなカフェに入ってきたのだろう。昔ながらの喫茶店のような彼らに相応しい店の方が良かったのではないのかと菜津はおせっかいな気持ちで彼らの行動を見ていた。

いつの間にかスーパーのチラシチェックする老齢女性が帰り支度を始めていた。不器用な格好で片付け台にトレイを置いて出て行った。
入れ替わりにこのカフェの雰囲気に相応しい女性が入ってきた。
菜津はまたしばらく読書に熱中していた。
どれくらい経った頃だろう。

「みすず、お前はそれでよかとね。そげんことでこれからどげんするんな?」
「そんなこと言ったてさ...」
「子供の気持ちはどげんなるとね」
「お父ちゃんもお母ちゃんも、少し落ち着いて」
「私たちがどういう思いで東京に来たと思うとるの?落ち着いてなんかおれるもんか」

どこからかちょっと興奮した話し声が聞こえてくる。
菜津はその声の方に顔を向けると、先程の老夫婦の席にさっき入ってきた女性が同席して話していた。
菜津からはその女性の横顔が見える。

どこかで見たことのある顔だ。どこだったかな…

休憩時間後残り7分。
思い出すには短すぎる時間だった。


つづく

前回までのお話
1話 セスナ機は世界のどこかの空の中
2話 信号待ちの彼方にセスナ機のまなざし


読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。