見出し画像

進む時間と停滞する時間の交差点

短い時間の長い瞬間
21話[進む時間と停滞する時間の交差点]

剣志は美佳と綾乃との生活をし始めて10日ほど経った。
新居に引っ越したと同時に、綾乃と籍を入れた。美佳の親権問題は、問題なく書類も通り、確定日を待つばかりとなった。
美佳は当然のことながら、綾乃のことを「新しいママ」とは思っていない。
でも微妙なニュアンスで、「そうかもしれない...」と思っているのかもしれないが、大人の目からはその確定はできなかった。
「綾乃お姉さん」と呼んで、年の離れた友達のように接している。綾乃も無理に自分の立場を主張せず、流れに任せてゆっくりと美佳との距離を縮めようとしている。
今回のことがあって、剣志は美佳にも綾乃にも教えられることが多い。
相手の気持ちに寄り添うということは、何でもかんでも相手をいっぺんに知ろうとしないことだ。ゆっくりゆっくり...…時にはちょっと離れて少しずつ知っていけばいい。
美涼と結婚しているときは、ちょっと自分と違う意見を言われると「なんでわかんないんだよ」「なんでわかってくれないの」と言い合うばかりだった。お互いにもう少し相手の気持ちを時間をかけて噛み砕こうと努力していれば離婚することもなかったのかもしれないと思う。

綾乃は美佳のことを最優先にして、会社に交渉して勤務時間を短くしてもらい、保育園のお迎えに間に合うように帰宅している。どうしても仕事が遅くなるときは、剣志の母が快く手伝ってくれる。剣志も綾乃にばかり負担を強いるのはいけないと早く帰宅するようになった。感染対策で閉めていた飲み屋も徐々に再開し始めて、同僚に「今夜どう?」と誘われることも多いが、「うちの中がまだお落ち着いてないんで...」と、やんわりと断っている。
美涼と離婚しから自由気ままなひとり暮らしをしていたせいで多少窮屈さも感じるが、今までまったく違う場所で生活していた3人がひとつ屋根の下で共同生活をするというのはそれなりの窮屈さがあるのは仕方ないことで、それは剣志だけではなく美佳も綾乃も同じ条件なのだ。
その窮屈さがどのくらいでなくなるか予想もつかないが、それがなくなるとき、本当の家族になれるのではないかと剣志は思っていた。

数日前、美涼の実家から電話があった。
美佳の様子を伺うのが目的だったようだが、元気にやっていますと答えると、次は美涼の話に移った。
警察からは連絡はなく、変な男から何度か「美涼はいないか?」「どこに行ったか心当たりはないか?」と電話があったそうだ。
その度に「美涼のことは警察に任せてあるから」と言うと、電話はすぐに切れるらしい。
美涼はどこかに隠れているらしいが、どこでどうやっているのかということは誰も、その電話をかけてくる男でさえわかっていないようだった。
警察も本人が成人であることや、何かの事件の主犯格というわけでもないことからそんなに真剣に捜査はしないのではないかと剣志は思った。
美涼のことも気がかりではあるが、この両親のことも気がかりで、美佳を迎えに行ったとき、一気に10年分年をとったように生気を失い、美佳の手を握って「パパの言うことをちゃんと聞いて、元気でいるんだよ」と、泣きながら言う姿はもう見ていられなかった。
剣志に対しても「この子はてんかんの持病がありますけん、手が掛かるばってん、どうかよろしくお願いします」と畳に頭を擦り付けて言っていた。
人間の人生というのは、ひとつのことが狂うとそこから波及していろんな人の人生が狂ってしまう。
それは、人間が「誰かのための自分、自分のための誰か」という思いが強い生き物だからなのかもしれない。
自分だって「離婚した女のことなんて知ったことじゃない」と言い張ることができずにこうやって心を痛めている。
あの両親は自分よりもっと強いがんじがらめの鎖に繋がれて苦しい思いをしているのだと剣志は思った。

美涼の両親は美佳が東京に行ってしまったあと、昼間でも雨戸を閉めて夫婦で部屋に閉じこもっていた。どこかに出かけるときは、周りに誰もいないか確認して、まるで逃亡犯のような生活をしていた。
美涼のことは町中に知れ渡り、陰口くらいならまだいいが、堂々と「お前のところの娘はなんちゅう恥さらしか」「町の恥じゃ」「さっさと出ていけ」などと言ってくる輩もいた。
どこかに引っ越すにもあてはなく、ただ耐えるしかない生活をしていた。
庭に植えられたハナミズキが可愛い花をつけ、春の風にゆらゆら揺れている。だが、部屋の中は暗く湿った空気が流れることもできずにそこで彷徨っているばかりだった。

「これからどげんすると?」
「どげんもこげんも、このままたい」

ふたりはいち日に何度もこの会話を繰り返している。


つづく



*1話から21話までマガジン『noteは小説より奇なり』に集録済。

あらすじ
それぞれが何かしらの問題を抱えて生きている30代の複数の男女がいる。まったく違った時間の中で違った価値観で生きているが、それぞれはどこかでちょっとずつすれ違っていく。そのすれ違いは大きな波を呼ぶのか、単なるさざ波のようなものなのか……
病気、薬物中毒、離婚、隣で起こっていても不思議ではない物語は徐々に佳境を迎えつつある。
何も知らぬ者、すべてを知った者、それぞれが少しずつ近寄っていく。

主な登場人物
柴田菜津:東京で働く女性
高東剣志:東京で働く男性
吉岡美涼:剣志の別れた妻
佐伯綾乃:剣志の現在の恋人(美涼の高校の後輩でもある)
吉岡(高東)美佳:剣志と美涼の子供
茂木:菜津の担当医師
斉藤優里亜:菜津の担当医師




読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。