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【小説】 隣人までの距離

【オリジナル掌編小説】 隣人までの距離


今日から6月か、と軽いため息を漏らしながら、いつものようにカレンダーを1枚後ろへ回す。梅雨などもあって6月ってどうも好きになれない。

部屋の机の一角に葉書サイズの卓上カレンダーが置いてある。
特に思い入れがあって買ったものではなく、いつからこの机の上にあるのか、どういう経緯でここにやってきたのか、私にはさっぱりわからなかった。たぶん、夫が会社だか取引先だかにもらって、そのままここに置いたのだろうと私は思っていた。そんなこと気にするほどのものではなくそれを夫に聞いたこともなかった。
それぞれの月に海外の美しい風景写真が施されている。
その下にその月の日付が並んでいるような取り立ててどうだということのない普通のカレンダーだ。
そのカレンダーで日付を確認することなどほとんどないのだけれど、月の初めに今月は祭日はあるのかなと確認するくらいの気持ちでちらっと見るくらいのものだった。

5月はスイスかどこかの晴れ渡った山の風景に動物らしき影が写ったものだったが、6月はバックに壮大な山があり、手前に勢いよく流れ落ちる滝の風景が写っていた。
「さて、今月の祭日は...」と日付欄を見ようとして、何かその風景に違和感を感じた。
よく見ると、滝の下の岩場にひとりの人物が座っている姿が写り込んでいる。カメラ目線でこちらを見るような感じだ。
今までカレンダーに人物など写っていることはなかった。
不思議に思ってその人物をじっと見てみた。初老のアジア系の顔をした男性のようだが、気持ち悪いくらいに目線がこちらに向いている。
カメラマンは気づかなかったのだろうか、それとも現像ミスか…
なんだか、嫌なことを予感させるような目つきであった。
気持ち悪い.…
そう思った瞬間、私の左斜め後ろを横切る黒い影が見えた。
夫だと思って、「ねぇ見て、カレンダーに変な人が写ってる」と言いながら左斜め後ろを見たら、知らない男性が私の部屋にいた。
背筋がゾッとして「誰?」と声にならない声が出た。もちろん驚いたし怖かったが、自分でも不思議なほど大声を出す気は起きなかった。それより、この顔はどこかで見たことがある、そう思って思い出そうとして、必死に相手の目を見つめる。
相手もこちらを見ているようだが、私の目線を通り越して私の後ろ側を見ているような目つきだった。何か喋り出そうとする気配もない。

そうだ、カレンダーに映り込んでいた男性だ。

そう思ったと同時に大声で夫を呼んだ。
「どうしたの?大きな声を出して」と、呑気に私の部屋に夫が入ってきた。
「この人は誰?あなたの知り合いなの?」
夫はその男性を見てはいるが「知らない」と、そんなつまらないことで呼ばないでよとでも言いたげに言った。
「なんで驚かないの?知らない男が部屋にいるのよ。警察に電話してよ。人の家に勝手に入り込んでいるんだから、ねぇ!」
「その人何か悪いことしたの?してないでしょ、そこにいるだけでしょ。そんなに目くじら立てなくてもいいじゃない」
私は夫がなぜそんなに平静を装っていられるのか不思議でならなかった。

私はその男性に向かって「あなた誰なの?どこから入ってきたの?
出てって。出て行かないなら警察に知らせるわよ」と怒鳴った。
その男性は私の声が聞こえていないかのように、部屋を横切って窓のところに行き、外の様子を少し眺めてリビングルームに移動して、ソファに座ってテレビのスイッチを入れてテレビを見始めた。
テレビからはお昼の情報番組が流れていて、男性はそれをじっと眺めている。
私は怖いというより呆れたと言った方がいいような気持ちで、6月のカレンダーを持って夫に「これ見て。あの人ここに写っている人でしょ。なんでだと思う?なんでここに写っている人がここにいるの?気持ち悪じゃない。なんとかしてよ」と、夫に詰め寄った。
すると夫は次の7月のカレンダーを手に取って、「ほら見て、ここには二人の女性が写っている。7月はこの二人がここにやってくると思うよ」
私はそのカレンダーを夫の手からもぎ取り目を凝らして見てみた。
真っ白な砂浜で海をバックに、やはりこちらを見ている二人の女性が寄り添って座っている。
他の月も確認してみる。
8月は子供、9月は若いカップル、10月は老女…
「この人たちが順番にここにやってくるって言うの?そんな馬鹿なことって…」
「そうだよ」
「何のために、それよりこのカレンダーは何なの」
私は気持ち悪くなってそのカレンダー全部をゴミ箱に捨ようとした時に、夫はさっきまでの呑気な口調ではなく、少し慌てたように、
「あっ、ダメだよそんなことしちゃ」と言った。
「だって気持ち悪いわよ。あなたの言うことが本当なら、これを捨てたらあの男性もこれから来るとかいう人たちもいなくなるんじゃない?」
「そりゃそうだけど...」
「だったら捨ててもいいわよね、なんなら今すぐ燃やしちゃおうかしら」
「ダメだよ、そんなことしちゃ...」今度は悲しそうに言った。
でも悲しいのは私だと思った。
夫はなぜかこのカレンダーに写っている人たちの味方ばかりをする。
私の困惑などどうでもいいのだろうか…
「なんなのよ、あなたとこのカレンダーに写ってる人たちの関係はなんなのよ」私は泣きそうになりながら夫に訴える。

私は手に持っていたカレンダーを床に投げ捨てた。
床に12枚のカレンダーが散らばる。
3月分には猫が、4月分には子猫2匹が、5月分には子犬が…
私たちが飼っているペットたちだ。
そして2月分を見て震えが止まらなくなった。
見覚えある二人が写っている。
私と夫だ。
それをじっと見る。
夫が静かに言った。

「それを捨てちゃったら、僕たちもこの世から消えちゃうよ」


読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。