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失われた時は還らないことを記憶せよ

2020.7.19(日曜日)Gloomy Sunday

枕を濡らしながら眠る経験を数十年ぶりに味わった。昨日、大好きな人が亡くなってしまった。生き物はみないつか死んでしまうものだ。私も死ぬし、夫も死ぬ。ペットの猫もそうだし、ベランダを這ってるカメムシだってそうなのだ。今までも大好きな人がたくさん亡くなった。その度に悲しく寂しい思いをしたけれど、「それは生き物としてしょうがないことなのだ」と自分を納得させることができた。でも自ら死を選んだ人に対してどうしていいかわからない。私は鼓動が早くなり口に焼き芋を無理やり突っ込まれたように胸が詰まる。悲しいとか涙が出るとかそういう当たり前の現象がまったく起きない。不意打ちをくらって頭が誤作動を起こして詰まった胸を抱えて口が歪む。

とりあえずビールを流し込む。流し込んだところで詰め込まれた焼き芋がすっきり流れ去るわけがない。隣室で仕事をしている夫に「三浦春馬くんが死んじゃったのよ、首を吊って...」と言いに行く。夫は声も出さずに「えっ!」という顔をしている。声に出さないところが驚いている証拠だ。人間って本当に驚いた時は声が出ないのだと思う。夫に打ち明けた途端に私は涙が溢れて止まらなくなる。やっと現実を受け止めた瞬間だ。

テレビで流れるそのことに関するニュースを見ながら、ふたりで「何で?何で?」と言い合う。「何で?」しか出てこない。ビールやワインとお酒の量が増えてくる。テレビは歌番組に変わっていて出演者が意味ありげな歌を泣きながら歌っている。

三浦春馬くんのことは子役の頃から知っている。繊細で真面目な人だったように思う。もっと若者らしく能天気に弾けまくってちょっとくらいのわがまま言って...そのくらいしてもいいのにと思っていたが、そんなことができなかったんだと思う。他人の頭の中を100%知ることは不可能だ。「思う」としか言いようがない。親でも恋人でも親友でもそれは同じ「...だったんだと思う」としか言えない。彼の口から本心を語られることはもうない。もう誰も彼に会うこともしゃべることもできないという事実がどれだけ残された者にとって辛いことか...そういうことさえ彼は知らない。

なんでもかんでも伝える必要はない。世の中にはむしろ伝えな方が素敵ってことが多いのだ

これは山崎ナオコーラさんの言葉。私もずっと同じように思っていた。でも好きな人のことは1%でもいいから知りたりと今は思う。

頑張って努力すればどこかで再会できるかもしれない人と、もうどれだけ頑張っても二度と会えない人との差異は果てしなく大きい。

あぁ、好きな人ばかりが先に逝く。

読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。