不幸中にしか幸せはないのか、久子の場合[掌編小説]

久子は、今日10月22日に86歳の誕生日を無事に迎えた。そのことを手帳に書きながら、無事になんて言葉は少し大袈裟かもしれないと自分でも思った。しかし、最近の久子は足の不調に加えて精神的にも落ち込みがちで、致命的な病気を患っているわけでもないなのに目に見えない何者かに余命宣告されているような気持ちで毎日を過ごしている。歳をとるということはこういうことかと経験者しかわからない確信みたいなものを持ち始めている。
幸いなことに夫の隆一は久子より12歳年下で久子に比べると元気そのもので、何の文句も言わず家事の手伝いを率先してしてくれている。買い物、料理、久子の病院の送り迎え、季節商品の衣替え。もうすでに主夫といっても過言ではないくらい動いている。

隆一は務めていた会社を退職してからは、企業のホームページなどをデザインする仕事を自宅で細々とやっていて、贅沢はできないが夫婦ふたりが困らない程度の生活はできている。少し前までは久子もその仕事を手伝っていたが、今はパソコンの文字も見え辛くなりいつの間にか隆一の仕事には関わらなくなっていた。それにあれだけ得意だったネットワーク情報にもついて行けなくなり、久子専用のパソコンも3台部屋にはあるが、電源を入れることさえなくなった。

「誕生日だから、何か美味しいもの食べよか?」
という夫の問いかけに久子は素直に「食べる!」と返事をする。

昼過ぎに隆一が買い物に出かけて、スーパーでいつもよりはちょっと豪華な肉やサラダを買ってきた。その中にはやっぱりいつもよりちょっと高いワインも含まれている。男の料理ではあるが、隆一は手早く誕生日っぽい料理を作り上げる。久子はその夫の後ろ姿を見ながら心からありがたいと思う。でも心のどこかに街のお洒落なレストランに食べに行きたいという欲求もあるのは確かだ。でもそれは金銭的には可能でもこの体と心がそこまでの行動力をなくしてしまっている。

「ディサービスはどうや?」と夫が聞いてきた。
「どうやって…しんどいわ」
「楽になるために行ってるのにしんどかったらあかんやん」
「でもなぁ…」

久子は今年の夏から週2回ディサービスに行っている。これは久子の夫への気遣いのひとつで、本当は家にいて好きな本を読んだりテレビで映画を見たりして過ごすのが一番幸せではあるが、自分が四六時中家にいると夫が仕事に集中できないのではないかと思ってのことだった。それと年老いてうまく動き回れない妻を見ているのも内心イライラするのではないかとも思っていた。しかし久子は団体生活が苦手で大勢で何かやるということを今まで避けてきた。その長年の積み重ねが夫以外の人と長時間過ごすことが苦痛でならないという結果になってしまった。それに広間に集まって健康体操をしたり、ゲームをしたり、合唱したり、そんなことがどこか馬鹿馬鹿しく滑稽でならなかった。「私はそこらへんの老人たちとは違う」とどこかで思っている自分がいた。でも見た目も体もそこらへんの老人と同じだ。ひょっとしたらそこらへんの老人よりダメージが大きいかもしれない。そんな久子の思いが他の参加者や施設のスタッフに気付かれているのだろう。他の参加者たちからは「久子さんは気取っている」という陰口が囁かれるようになり、スタッフからは「どうすれば久子さんはお気に召してくれるのかしら」と嫌味とも取れるようなことを言われている。

今日は誕生日だからディサービスは休んだ。行けば簡単な誕生会みたいなことをしてくれるのはわかっていたが、それもまた久子にとっては馬鹿馬鹿しい行事のひとつだった。


心と体が同時に年を重ねることはとても難しいことだと久子は思う。だいたい心が体について来ない。体は86年生きているけど心はまだ60年くらいだ。そのギャップにジレンマを覚えるがそれはどう足掻いてもどうすることもできない。女はいつもそうだ。実年齢と心年齢の差異に悩む。子供の頃は心が先に行く。成長するにつれてその差が縮まり、成人になると今度は体の方が先に行き心は「もっと子供でいたい」と遅れがちになる。そうして老人になると久子のように20歳以上も差異ができてしまう。男はどうなんだろうと考えてみるが夫に限っていえば差異はないように思うが、それは口に出さないだけかもしれないと久子は思った。

「ほな、やめたらいいやん」

「でも私が家におったら、あんたの雑用ばかり増えて仕事が捗らんやろ」

「なんとかなるやろ。今までもそうしてきたんやから。嫌なところに無理して行かれて余計に体調悪なったらそっちの方が困る」

その返答に困っていると、夫は続けた。

「誕生日プレゼントは何も買われへんかったけど、どんなことがあっても、俺があんたの面倒一生診るよ。約束する。この言葉が誕生日プレゼントや。
プレゼントは素直に受け取るべきやで。委ねたらいいよ、もう充分頑張ったんやから」

そう言うと、夫はスマホを取り出してケアマネージャーに電話をかけ始めた。ご迷惑をかけてすまない旨と事情がありディサービスを止めることを丁寧に伝えている。

久子は思う。これから先、どのくらい生きるのかわからないが、この人としか見ることのできない風景を見ながら生きていこうと。その風景が自分に幸せをもたらしてくれるのだと夫の電話する横顔を見ながら確信した。

不幸の中にしか幸せはないのか...と、ちょっとひねくれた感情はひた隠しにして。


読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。