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あまりに瑣末で、あまりに余毒。


一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。
いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。
『霜柱を踏みながら 17』


母の命日になると思い出すことがいろいろある。それは良いことより悪いことの方が多いのが玉に瑕で、いつも母の写真の前でため息しか出ないのである。古いアルバムに母と私が中学校の校門の前で寄り添うように写っている写真がある。春の日差しに眩しそうな顔をした私とにこやかに笑う母。でも私の眩しそうな顔は決して日差しが眩しかったわけではない。それは苦痛に歪んだ顔だということは私だけが知っている事実だ。

相変わらず我が家は鬱屈した3人がそれをなんとか他人に悟られれないように虚勢を張って生活していた。その中で母の虚勢の張り方は見事なものだった。自分の置かれた生活レベル以上のことをいとも簡単にやり遂げる能力を持っていた。自分の力量でやってのけるのならそれは尊敬に値するが、母の場合は誰かを犠牲にしてやるから私と父にとっては迷惑この上ないことである。

私が入学したのは、特になんてことのない普通の公立中学校であった。その入学式の日の朝、中学校の制服が気に入らなくて憂鬱な気持ちになっている私に向かって、母は「今日は式典に参加するからね」と言った。予想もしてなかった言葉だったのでびっくりした。今まで父兄参観日や三者面談などには仕事を理由に参加したことがなかった母がどういう心境の変化なのかと嬉しいどころか何か突拍子もないことが起きなきゃいいがという不安の方が強かった。不似合いな制服の憂鬱さに加えて何を考えているのかわからない母の言動が憂鬱であった。

私は近所の小学校からの友達と一緒に中学校の入学式に行った。「この制服嫌だね」「スカートが長すぎるよね」などと慣れない制服の話をしながら登校した。校門の前には先生方が勢揃いして新入生を出迎えている。私たちはそれぞれの組に案内されて講堂に向かって行った。友達とは違う組になってちょっと不安でもあったが、小学校からの知った顔が所々にいてまぁ何とかなるだろうと思っていた。しばらくして新入生全員が揃ったようで舞台の上で先生方がいろんな説明をして、いろんな人の紹介などがされてた。そしてしばらく待たされた後、式典に参加する親たちがぞろぞろと入ってきた。私は見たい気持ち半分と見たくない気持ち半分で母の姿を恐々と探した。そして見つけた時のその衝撃は今でも鮮明に覚えている。

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