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無花果なんてすべて思い出の果て

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。
いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。
『霜柱を踏みながら 22』


小学生の頃の友達の家の庭には大きな無花果の木があった。学校の帰り道、その子の家の前に差し掛かると、玄関より先にその無花果の木が目に入ってくる。「じゃ〜ね、また明日。バイバイ」と手を振る。その子が玄関へ入っていくのを見送ると、私はもう一度大きな無花果の木を見上げる。夏になると立派な実をつけていた。後になって知ったことだが、無花果には「夏果」と「秋果」があって大きさも少し違うらしいが、私が見ていたのはどちらなのかは定かではない。無花果が特別好きなわけではなかったが、私はいつも「いいなあ」と思いながら見ていた。実のなる木が家にあるということが羨ましかった。それは大きな実のなる木であれば蜜柑の木でも柿の木でも良かったのかもしれないが、今思うと、蜜柑や柿とは違うエキゾチックな雰囲気を無花果に感じていたのかもしれない。

そしてその子の家の前には小さな川が流れていた。そこに小さな橋がかかっていた。歩数にして5〜6歩だったように思う。そんな小さな流れは果たして川と呼べるのかどうか疑問を持っていつも眺めていたが、ある日水の中に小さな魚が泳いでいるのを見つけて「やっぱりこれは川なんだ」と確信した。大きな木も羨ましいが、川も羨ましかった。川に魚がいると気づいた時からは、そこ子が家の中に入ったら大きな無花果の木と川の流れを見るのが下校時の日課のようになっていた。

その子の家には何度か遊びに行ったことがある。庭の広さに比べると家自体はそれほど広くなくて、こんなに広い庭があるのだからもっと部屋を広げればいいのにと子供ながらに思ったりもしたが、家というのは大きければ良い、広ければ良いというものではないことを大人になって知った。1階の茶の間でふたりで他愛のない話をしていると、お母様がおやつやジュースを持ってきてくれて、「いつもお母さんが家にいるといいね」とその子に言ったら「いつも母さんはいないの?」と聞かれて、正直に「いないよ、仕事してるから」と答えたら「仕事しているお母さんってかっこいいやん」と言ってくれた。それは本心なのか気を使って言ってくれているのかわからなかったが、ふたりでケラケラ笑った。

「私たちは結婚してお母さんになってもかっこよく仕事する人になろうよ」

と、その子が言い出した。

「どんな仕事がしたい?」

「そうだなぁ、世界を旅する人がいいな」

「スチュワーデスとか?テレビのレポーターもいいね」

などと、夢みがちな少女が考えそうなことを延々と話し合った。

その後は違う中学に進学して、当然高校も違う学校で会うこともなくなったが年賀状のやり取りだけはなぜか続いていて、私が東京に引っ越して新しい住所から手紙で送ったが、それに対しての返事はなく年賀状もそこで途絶えてしまった。それから私は東京生活にどっぷり浸かり、その子のこともあの無花果の木や小さな川のことも思い出すことはなく長い時間が流れていった。ある年の春、父の容態が悪化したとのことで母から「時間を作って一度奈良に帰ってきてくれないか」と連絡をもらって帰ったことがある。近鉄奈良駅に到着した時、ふと目をやった観光案内のところにあの子がいるのを見つけた。その観光案内所で働いているようだった。私はふわぁ〜と嬉しくなって用もないのにその案内所に入っていった。その子は私に気がついていないようで「いらっしゃいませ」と丁寧に接客を始めた。

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私小説です。時系列でなく、思い出した順番で書いてます。私の個人的な思い出の物語です。

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