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[私小説] 霜柱を踏みながら

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私小説です。時系列でなく、思い出した順番で書いてます。私の個人的な思い出の物語です。
このマガジンは私の私小説風のエッセイで、月に3本くらい2000文字前後の作品を投稿していく予定です…
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#思い出

時がたち、インクの滲みが消えるころ

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 19』 私の部屋のクローゼットに、スカーフやハンカチなどの小物が収納された籐カゴがある。何枚ものスカーフが折り畳まれたその一番下に一枚の古い絵葉書が仕舞われている。その絵葉書だけは誰にも見られたくない。やましいことが書かれているわけではないが、それは私の人生に影響を与えた出来事が関係しているからだ。消印は1998年3月3日となっている。グアテマラからのその絵葉書に

愛の匂いのするスープ

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 18』 先日何気なく見ていたテレビドラマの中で、不治の病でもうすぐ死ぬであろう娘がお父さんにひざ枕で耳掃除をしてもらうというシーンがあった。子供の頃の思い出を最後にもう一度味わってみたいという娘の願いに応えた父の姿がそこにあった。そのシーンを見た時に、とても悲しい場面のはずなのだけどすごく懐かしい気持ちが込み上げてきた。それは、ずっと忘れていたけど私も子供の頃こう

青春は、傲慢と謙虚のはざまでゆれる

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 15』 両親があんな風だったせいもあり、それに加えひとりっ子だったせいもあり兄弟・姉妹の世話をすることもなく、親戚も遠方にいたため四六時中の付き合いもなく、両親と向き合っていない時はひとりで時間を過ごすことが多かった。今のようにインターネットやゲームなどはなく、ひとり遊びの原点といえば漫画本を読むか児童図書を読むかくらいしかなかった。今の子供たちからすればなんて退

まさにその世界で、笑っていた無垢なアイツ

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 14』 その子は、名前の一部を取ってみんなから「シン」という愛称で呼ばれていた。高校の3年間を通して付かず離れずの友達だった。親友と呼べるほど親密ではなかったけど、常に振り向くとそこにシンはいた。シンは小柄で髪はショートカットで日焼けしたような小麦色の肌をしていた。顔は特別可愛いというわけでもなくかといってブスでもなく、平凡な顔だったように思う。でもどういうわけか

眉毛のない男と恋をする

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 12』 私は17才の誕生日を迎えていた。高校生なった時から17才ってなんとなく特別な年齢のような気がしていた。16にも18にもないキラキラに少しヌメリやコクを足したような特別さがあるように思っていた。キラキラ感だけじゃなくそのプラスアルファが欲しくて早く17才になりたかった。なぜそんなふうに思っていたのだろうか...流行りの歌謡曲には「17才」という言葉ががよく使

神様は、ときどき優しい顔をする

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。 いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。 『霜柱を踏みながら 9』 私は生まれてこのかたずっと無宗教だ。ほとんどの日本人と同じように、大晦日にはお寺の除夜の鐘を感慨深げに聴き、年が明けたら神社に初詣に行き、お盆にはお寺で手を合わせ。ハロウインにこそ手を出してはいないが、クリスマスになればチキンを食べ、煌びやかなケーキも食べる。心の底から何らかの宗教を信仰されている国の方からすれば、なんて優柔不断な国民性なんだろうと思われてい