ジャズポリス[Jazz Police]
じゃず・ぽりす【ジャズポリス】[Jazz Police]
⑴ジャズの持論や歴史観を強要してくる人の蔑称。
⑵偉大なジャズプレイヤーを例に挙げ若手プレイヤーを貶め、苦しめる人のこと。
⑶Gordon Goodwin's Big Phat Bandの曲名。
[凡例]ジャズセッションやジャズバーに定期的に出没する所謂ジャズ通の悪性種。一種のアドバイスとして発言しているが、偏りの強いジャズ論を展開している自覚がない。価値観を共有、或いは強要してくる。
[判別]多くの場合「〜でなければならない」「〜であるべきだ」「絶対〜だ」という決めつけ論法を用いる。また「(名盤を持ち出し)〜を聴いたか?」と音源を勧めてくるが、音楽的な内容ではなくプレイヤーの人生や逸話を中心とした話題を語り始める。1950年前後のジャズ以外は見識が狭い。
※『架空の音楽用語辞典』より
ジョークです、ほんとに真に受けないでください。でもジャズを志してセッションに通っていたプレイヤーは必ずこのような人物に遭遇するのです。
ロックについてもクラシックについても、なにかしら「こうでなければならぬ」を強要してくる人を総じて【〜ポリス】と称することがありますね。ネットミームから派生したのだと思います。
概してジャズ好きな方々は愛情をもって「これ知ってる?」「これを聴くといいよ」と有益な情報もシェアしてくれるのですが、これがマウントを取る形で「これを知らないとかありえない」だとか「これはこうじゃないとダメでしょ」と強要してくる場合、ジャズポリスになってしまいます。
マウントを取ろうとしちゃダメですし、そもそもジャズっていう音楽は広い意味やフィールドがあるジャンルですから、「こうでなくてはならない」という理屈自体が(あえて強くいうなら)間違っているんですね。
けど若手に何かを伝えたい気持ちは理解できます。心当たりのある方への処方箋としては、若手プレイヤーに対して『聴かれるまでは話さない』と決めておくとか、『知らないことで貶めない』とか、社会人としてごく普通のマナーを守っていれば大丈夫なんじゃないかと思います。好きなジャズだから熱くなっちゃう気持ちも分かりますが、それによって誰かを苦しめてはいけない。
デイミアン・チャゼル監督の『セッション』という映画で、テレンス・フレッチャーという鬼教師が「新しいチャーリー・パーカーを生み出すんだ」みたいなことを言って生徒をしごくのですが、はっきり言って現代を生きているジャズサックスプレイヤーはチャーリー・パーカーを遥かに超えるテクニックを持ち合わせていますし、新しいスタイルのジャズインプロヴィゼイションは沢山生まれています。フレッチャー先生はそういった「進化したジャズ」から目をそらしている典型として、そういった思い込みの強さを天才肌として賞賛するような音楽の歪んだ文化も醜く描かれていました。
(そうは思わなかったという感想の人が多かったことも日本の音楽カルチャーの歪みといったところでしょうか・・・・)
新しい音楽を作るためにも、若手ミュージシャンを見守ることが大人の仕事なのかもしれません。正しいアドバイスはいいのですが、決して規制するようなことをやってはいけませんね。
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