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最高のストライカー佐藤寿人引退

プロ生活21年で積み上げた561試合220得点。
言わずと知れたストライカー「佐藤寿人」

広島で生まれ育った僕にとって、気が付いた時から彼は広島の象徴でした。

完璧な裏への抜け出し、目を疑うようなスーパーボレーなど彼は、僕達を常に熱狂の渦に巻き込んでくれました。

今回は主に佐藤寿人の広島時代について書こうと思います。

僕が、サンフレッチェを初めてスタジアムで観た2012年の鹿島アントラーズ戦。
サンフレの知識はほとんどなかったような状態の僕が目を奪われた選手。それが佐藤寿人でした。
彼の得点に熱狂し、すぐ彼の虜になりました。
試合にも2対0で勝利し、サッカーの魅力に気付きました。

吉田サッカー公園に行けば必ず笑顔でファンサービスしてくれる佐藤寿人。
ファンの名前を覚えていてくれる佐藤寿人。

2007年、降格した直後に残留を表明してくれた佐藤寿人。

2008年のゼロックススーパーカップでJ2ながら鹿島アントラーズを破るPKを決めた佐藤寿人。
昇格決定戦のインタビューで噛みまくった佐藤寿人。

2012年、初優勝を決めビッグアーチの芝に泣き崩れた佐藤寿人。
クラブW杯で世界と闘えることを証明してくれた佐藤寿人。

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2014年のゼロックススーパーカップで反転しながらスーパーボレーを決めた佐藤寿人。
鳥栖戦で狙いすましたロングシュートを決めた佐藤寿人。

2015年の湘南戦でいつも一緒にクロス練習をしていた清水航平からのクロスを決めて、ゴン中山の通算得点を超えた157得点目。

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2016年、出場機会が減少していく中でも笑顔で浅野拓磨と交代していく佐藤寿人。
またいつか戻ってくるとメッセージを残して移籍して行った佐藤寿人。

その全てが僕達広島サポーターの心に残っています。

広島で引退して欲しいという思いがとても強かったけど、心のどこかで彼は千葉で引退するのではないかと思っていました。

そう思うのは幼少期から彼の背中を追い続けていたからです。

自分を育ててくれたクラブで引退した彼の決断は佐藤寿人らしさが詰まっていると思います。

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この場を借りて言いたいです。
佐藤寿人選手本当にお疲れ様でした!
あなたは永遠に僕のヒーローです。
これからどのような形になるかは分かりませんが、広島で再会できる日を心待ちにしています!!




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