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トルストイと恋バナ

    「 恋とは自己犠牲である。これは偶然の依存しない唯一の至福である」

  かの有名な思想家、トルストイの言葉である。いくつもの名言をこの世に残したトルストイだが、彼自身は世界三大悪妻の一人とも言われている夫人との長年の不和に悩み、ある日、耐え切れずついに家出を決行する。だが鉄道で移動中に悪寒を感じ途中下車、1週間後、駅長官舎で肺炎のため死亡した。悲しい末路である。だが私はこのトルストイの話が嫌いではない。「芸術は一種の虚偽である。私はもはや美しい虚偽を愛しえない」とか小難しい事を言っていたトルストイでさえ、恋愛はそうは上手くはいかなかったようだ。トルストイがそうなんだから、人間は皆そうなのだろう。恋愛というのは実に厄介な病だ。これだけ医療の発達が進んでいるというのに、誰一人として恋愛という病の正しい扱い方を知らない。正解もなければ、不正解もない、それはただ運命に翻弄されて絡まったり解けたり、時に切れたりする糸、また繋がったりする糸。恋愛のエキスパートなんてものは存在しない。この世に全く悩まない人間が存在しないのと同じように。毎回手探りなのだ。前回からそれほど成長していない。頭で考えても、心で思っても、上手くはいかない。じゃあどうすればいい。誰に聞けばいい。どこから始めて、どこで終わらせればいい。誰もその答えを持っていない。

 よく恋愛不適合者とか結婚不適合者という言葉を耳にするが、私からすれば適合者の方が珍しい。恋愛や結婚にも向き不向きがあるというが、そんな単純なことではないようにも思える。私には向いていないと言いながら、ちゃんと人を好きになったり、それ故に苦しんだり、傷ついたりするのだから、向き不向きもくそもない。と言いながら、私も明確な答えは持ち合わせていない。

  歳を重ねるにつれ、どんどん下手になっていくのが恋愛だ。経験に基づいて慣れていると思われがちだが、そんなものはただの理想、空想、妄想、慣れるわけがない。そう考えると、恋愛よりずっとわかりやすいのがセックスだ。ここはあえて恋愛とは切り離すが、セックスは恋愛と違って経験値が目に見える形で現れる。好きか嫌いか、白黒ハッキリしているところもまたわかりやすい。自分がどうなのかはさておき、A=B や1+1=2のような明確な答えは恋愛には存在しない。故に人は悩み、苦しむ。

  一方通行でも、両思いでも、違う人間同士が心を重ねる時、あるいは重ねようとする時、糸は複雑に絡まる。 その糸を解いたり、結んだり、切ったりするのが恋愛なのだろう。知恵の輪を解くみたいに、パズルを組み立てるみたいに楽しめばいいだけなのだが、そこに付随する苦悩を楽しめるほどマゾヒストにはなれない。

「十人十色というからには、心の数だけ恋の種類があってもいいんじゃないか」とトルストイさんはとてもいいことを言う。あなたはあなたの恋を、私は私の恋を。大いに悩み、苦しもう。

  

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