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安部譲二先生が俺を「アニメ全部見る信仰」から救ってくれた

久しぶりにあった友人と2時間ほど喫茶店で話し込む。その行為そのものに「おっさんになったなー」と思う。しかし、これがめっぽう楽しい。

どんな話の流れかは忘れたけど、作家の安部譲二先生は刑務所での"お勤め中"、チェーホフの全集だかを差し入れしてもらったが、数年間で1冊の半分も読めなかったらしい、という話を聞く。

読むもの(娯楽)がそれだけしかない状況でも、興味がない小説を読むのは退屈よりも苦痛なのか!とちょっと衝撃を受ける。


何でも芸道化するのは、日本人の良いところでもあるし、悪いところでもある。そして、芸事に「修行」や「勉強」はつきものだ。

とりわけ"オタク道"の修行は厳しい。

アニメに関しては、この多様性の時代に「全部見る信仰」がいまだに勢力を保っている。「覇権アニメ」という言葉があるくらいだ。全部見ないとアニメを語ってはいけないという雰囲気が未だにある。

かなりぬるいオタクである私も「全部見る信仰」の信者であったみたいで、過去の名作から最新の話題作まで、全部を見ていないとアニメを語ってはいけないような罪悪感のようなものを感じていた。

しかし、全部見るのは、時間的にも厳しいし、何より人からどんなに面白い、名作だ、と勧められても見る気力が出ない作品はあるのだ。


熱狂的なファンがいる「けものフレンズ」も、Amazonプライム・ビデオで3回チャレンジしたけど「食べないで下さいー」で、3回とも戻るボタンを押してしまった。「このノリが30分続くのか」と思うと耐えられなかった・・・。

評判がいい「SHIROBAKO」も「どんどんドーナツ、どーんどん」で「きっつー」となって戻るボタンを押してしまった。このノリは冒頭の1回だけだったのかもしれない。しかし、どうしても許容できなかったのだ。許してほしい。本当にすまないと思っている。


「興味の持てないものは刑務所の中でも読めない」という安部譲二先生のエピソードは、「話題作は漏れなくチェックしなければならない」という強迫観念から俺を救ってくれた。

刑務所の中でも興味のないものは読めないのだから、娯楽であふれているシャバではいわずもがなだ。

当たり前のことなんだけど、今、面白く感じないなら別に無理して見たり、読んだりする必要はないだよなあ。


変にまじめぶって"お勉強"するのはやめて、今、興味のあるものを面白がればいいや、と思えるようになった。

寝かせておくとそのうち「飲み頃」もやってくるだろう。けものフレンズもいつか見られるようになる日がくるかもしれない。

そのときになって「これを見ていなかったなんて、俺はなんてバカなんだ。人生損してた!」と思えばいいのだ。

手のひらを返す勇気を持とう!


そして、面白くない作品に出会っても「"今"の自分にはそれが楽しめないだけだ」ということに自覚的になろうと思った。

そんな春の午後。

ありがとう、友人。ありがとう、安部譲二先生。


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