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①自分の傷や隠れた創造性を認める

「ずっとやりたかったことをやりなさい」ー第1週ー


・自分の中に、幼い頃の子供の自分がいると認識する

どんな子供時代だったか。
満たされない思いはなかったか?

身体は大人になったけれど、本来の自分は
子供のままで、自分の中にずっといる
のかもしれない、
と思ってみる。

まずこの段階では、思ってみるだけでいい。

私は今も、悩みや辛さ、寂しさや悲しさを
感じる時は、自分の中の“子供の自分”を
ケアするようにしている。
 
小さい頃の性格が、今とはかなり違っていた
ことを数年前に思い出した。あまりはっきりと
自己主張できなくて、友達と連れだって遊ぶ
より、一人で自分の世界に浸りがちだった。

思春期にかけても、感情が不安定なことが
多かった。経済的に不自由ない環境で育てて
もらったけれど、両親のけんかなどが絶えず、
非常にストレスフルな環境でもあった。

また、半ば完璧主義の母から家事を徹底的に
教えこまれ、お風呂やトイレ掃除、洗濯物の
取り込みなどをこなしていた。

うまくできていない時は注意されたし、
「いくら学校の勉強ができても、こういった
ことがきちんとできないと、人間としては
不足した状態だ」、ということも言われていた。

母自身も厳しい環境で育ってきて、
しっかりと身の回りのことができるように、
という意図があったのだろうけど、
家の中が不安定な中で、親自身も
不安定だったと思う。
 
夏休みなどの長期の休みは特に嫌いだった。
もちろん、旅行などでいろいろなところに
連れていってもらったりしていたけれど、
日常は、掃除、洗濯物などの家事の上に、
兄弟の面倒までみないといけないため、
早く学校が始まらないかと考えていた。
机に向かっていても、途中で呼ばれて食器を
片付けたりすることもあった。
 
子供ながらに学んだことは、家事というものは
終わりがなく、さして感謝もされない
とてつもなく過酷な労働であること。

そして自分一人の快適な環境を得るためには
経済的自立が必要で、いくら家事を真剣に
やったとしても、経済的自立にはつながらない
ということ。(それを仕事にする場合を除き)

だから学生として今できることをしっかり
積み重ねて、将来経済的に自立できるように
準備しよう、と心に決めていた。そんなことを
机に座ってずっと考えてきた。
 
そんな環境から、ゆったりと甘えたりすることが
十分にできなかった小さな女の子が
自分の中にいることに気づいた。

そして、大きくなるにつれ少しずつ記憶が
薄れつつも、小さい頃からの家事による
精神的な負担が、ずっと心の奥底で凝り
固まっていて、どんなに疲れていても
きっちりと家事をやらないと自分がダメになる、
家事=人生という脅迫観念に近いものが
あることにも気づいた。

そこからまず、その自分を癒していく
必要があることをしっかり認識した。

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