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パラサイト−半地下の家族−を見て


この映画は、見終わったあと感想や疑問をいろいろ話したくなってしまう映画だけど、同時にネタバレ厳禁なのでここに残したい。

以下ネタバレ注意!
(これから映画を見る人は読まないで!!)



ギウとダヘの愛

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まずチェウシクさんがかっこよかった〜〜!
脈の演出がよかった、、
(韓国作品は何かを見るたびに必ず出演俳優を好きになってしまう悲劇...)


血塗れの惨劇の中、目の前に刺されたギジョンがいようとも、見向きもせず車のキーを優先させるドンイク、ギジョンを直前まで慕う様子を見せていたヨンギョも結局見ているだけだった。

だけどダヘは石でぶたれて血だらけになった瀕死状態のギウをおぶってたのが、よかった。


何故あのシーンが描かれたのか、何故ダヘとギウの間に生まれる恋愛が必要だったのか、有能な考察者さん達をみてハッとしたのが、

格差社会に差し込む唯一の光、「愛」を描いたというものだ。

確かにギウとダヘの愛だけは、唯一この映画の中で階級を超えていた。
勿論ギウが身分を偽っていなければ出会わなかったし、半地下に住む人間だと知ったらダヘはどう思うのかわからない。

それでも何故か私はダヘがギウのこと、毛嫌いするような態度を見せないような気がしてしまう。ダヘがギウに惹かれている理由は、自分を気にかけてくれる存在である点が大きいと思うから。恐らくその前のミニョクに対しても。

格差を唯一超えようとするのは、いつの時代であっても、どこの国であっても「愛」だとしたら、それは希望とも絶望とも捉えられる。


ダソンとモールス信号

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ダソンがモールス信号"たすけて"を解いているのに何も行動に起こさなかった理由がずっと気になっていてわからなかったのだけど、

これも有能な考察者さんによる、富裕層からしてみるとモールス信号やインディアンの象徴などがお遊びのひとつであって、気に留めなかったというのがしっくりきた。

いち早く半地下の匂いを嗅ぎ分けていたダソン、雨の中庭のテントに篭ったのは、リビングに潜む半地下の匂いを嗅ぎ分けたからなのだろうか。

だけど家政婦のおばさんに心を許していたようだったし、彼は半地下の人間ギジョンにもてなづけられていた。

彼の瞳にどんな風に映っていたのか、何を思っていたのかすごく気になってしまう。

そして単純に2回もヤバすぎるトラウマに遭ってしまって可哀想に思う。私だったらもうトイレにも行けないしお風呂にも入れないし今これを打ってても背筋凍ってきた...

あと1回目の階段から上がってきたあの人を見てしまったとき、あの人の目元がゴーグルみたいなのついてたのなに...あれすごい怖かった....


ギジョンと皮肉

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パクソダムさん演じるギジョン、

クールで有能、パク家での振る舞いも様になっていた。その演技がすごく好きだった。

桃を颯爽と買って、繊維を吹く様子。

水没しそうな家の中、真っ黒な汚水が噴き出すトイレの上でタバコを吸う様子。

最後襲われたときも、ああクソっと言っていた。傷口を、痛いから押さないでと少し嘲笑気味に。

彼女はどういうことか自らの力でダソンをてなづけていたし、自らの境遇に自暴自棄にもなっていなさそうなところが魅力的だった。

唯一弱そうに見えたのは、計画が破綻して大雨の中、半地下の家に戻るシーン。計画はないのか、どうしたらいいのかって、父ギテクを問い詰めて、この計画は自分達しか知らないから、なかったことと同じなんだとなだめられていた。

そんな彼女が唯一キム家の中で死んでしまうから、すごく皮肉に感じる。

彼女も生まれた境遇が違えば、才能を生かし、あんな風に殺されることはなかったのだろうか。

彼女のキャラクターが好きだったから、悔しく思ってしまう。


誰のせいでもないエンディング

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世の中の理不尽。

この世は生まれた時点の誰のせいでもない要素によって左右されることが多すぎる。

例えば容姿、家庭環境、そして貧困。

これでもかと描かれる格差の中で、半地下に住むキム家は、ひとりひとりが理不尽に喚いたり自暴自棄になるようなシーンがなかった。

どうして私だけ、どうして俺は、

どうしてこんな目にあわなきゃいけないの?
何も悪いことしてないのに、どうして

そんなふうに泣き喚いて絶望するようなシーンがなかった。

他人の家のwifiが届くところを家の中で探す。

友達に「お前だったら安心できると思って(ダヘと恋愛関係になることはない)」と緩やかな見下しを受けながら家庭教師を頼まれるギウ。

偽装書類で面接に行くときも、お前が誇らしいといって送り出す父ギテク。大学に受かる前に書類を先につくっただけだと言うギウ。

大人の女性として、年頃の女の子として、贅沢なんてできたもんじゃない妻チュンスクと娘ギジョンもそうだ。

消毒剤を撒かれようと、酔っ払いが用を足そうと、その足元が目線の窓の中に、どうしようもなく鬱蒼とした空気はなかった。

パク家に寄生することに成功し、彼らがいない時間にお酒を飲んだり好き放題するときも、根本的なものは何も変わってなかったように感じる。

子供たちは親を憎んだりしてなかった。親も子供を愛していた。"いい家族"だったのだ。


だけどあの夜、夫婦の下に息を潜めて、半地下の匂いをボロクソに言われるシーン、誰のせいでもないのに。

豪雨にあって避難所で寝るとき、ギウは父に、

「ごめんなさい、ぜんぶ」と謝っていた。

父親に屈辱的な思いをさせたこと、自分が不甲斐ない息子だからという意味だろうか。それとも計画がうまくできないという意味なのか。

だけど、ぜんぶ、誰のせいでもなかった。


対してパク家の方も極悪人かと言われるとそうではなかった。それなりに家族の形をしていた。だけどそこにあった優しさや余裕は満たされたお金によるものでもあった。

家政婦の夫婦も、キム家も、貧困の元は誰のせいでもないのに、上にいこうとしただけで、一方は妻を殺され夫は犯罪者となり、一方は娘を殺され息子も重傷を負い父は犯罪者となった。

計画を立てると失敗するから、無計画でいた方がいい。だけどギウはまた父を救う計画を立てた。

ギウがあの家を買うのに500年もかかるそうだ。つまりは地下に潜む父を救うことができない。

誰のせいでもないエンディングである。


つらつらと

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映画館を出たあと街の景色が不思議に思えた。
なんだか当たりまえの色が違って見える感じ。

あの半地下の家がある一帯がセットらしく、美術さんの技術もすごいと思った。

暴力的なシーンも肝心なところを隠すなどせずに思いっきり見せていて目を覆いたくなる感じ、刺激はとても強い。

特にギウが石で2回ぶたれるときはええギウは殺さないで〜!(チェウシクさんがかっこいいから)と思っていた。あれで死んでないのすごい、、


見終わった直後よりも、帰ってから振り返ってるうちに、どんどんキム家に愛着が湧いてきて、何故かもう一回見たくなってくる中毒性すらも感じる映画だった。

友達の「でも本当に半地下に住む人はこの映画を見ないね...」がずっとぐるぐるしている。


제시카 외동딸 일리노이 시카고 과 선배는 김진모 그는 네 사촌〜🎶

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