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カイゴはツライ?第26話~海鳥さんについての忘れがたい体験

亡くなった海鳥さんのことで、ユリには信じがたい、忘れがたい体験があった。
ある夜勤の時に、海鳥さんは畳敷きの布団から四つ這いでリビングに出てきて、巡回中のユリを見つけると手招きしてユリを読んだ。
海鳥さんをどうやって部屋に戻そうかと考えながら近づくと、海鳥さんは「ちょーっと、あんた」とユリをつかまえ、身の上話を始めたのである。
「あったくし、生まれは尾張名古屋でござんしてね。夫は軍人でござんしたのよ。」
この後しばらく話は続き、終わったときには、ユリは夢でも見ているような気分だった。身の上話を終えた海鳥さんは、「ごきげんよう」と言って、四つ這いで部屋に戻っていった。
翌日、海鳥さんの話の内容をそれとなくユニットリーダーの松岡さんに確認すると、「昨日の夜、娘さん来て行った?娘さんから聞いた?俺もその話ちらっと娘さんから聞いたし。あなたにも話したんだ。」と言うので、そうではない、海鳥さん自身が話したのだと伝えたが、松岡さんは本気にしなかった。娘さんは来ていない、そのことは確かだが、ユリが他の職員から聞いたと思っているようだ。
直接聞いたユリだってキツネにつままれたように感じているのだ。松岡さんが信じないのも当たり前だ。しかし、事実なのだ。人間についてわかっていないことはまだまだ多い。解明されていることのほうが圧倒的に少ないのだ。ユリは乳幼児保育の経験からそのことがよくわかっていた。決めつけ、思い込みは事実を歪曲させてしまう。それでも松岡さんは譲らなかった。あの人しゃべれないよ。ユリが質の悪い冗談を言っているとしか思えないようであった。

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