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勝手に自立するちょうと親の脛齧りの人間

昨年の秋の終わりに害虫駆除でびんに放り込んでおいた青虫が勝手にサナギになって、この春サナギから勝手に孵化して次々と飛びたっていっている。
ブロッコリーやカリフラワー、キャベツを食い荒らして腹は立ったが、それらも取ったら取ったで、そこから新しく芽を出して花まで咲かせている。
なんか人間との違いに彼我の思いである。
成人とは名ばかりで、高校を卒業した途端進学か就職か知らないが車を購入し、今まで通り親元からその車に乗ってどこぞに出かけてゆく。狭い庭や通りは子どもと親の数だけ車が増える。
最近の若者は車に乗らないなどと社会学者とか言う人たちは統計を基にしたり顔で言うが、それは都市部や市街地でのことである。
郡部では親の脛齧りでも、年寄り同様に車がいるのである。でなけりゃ、中坊よろしくお迎えを頼まねばならず、肩身の狭い思いをしなけりゃなりない。小遣い以外は全部親がかりでも、なんら恥ずかしくもなけりゃ、肩身も狭くないが、お迎えを頼むのは辛いときたものである。それが田舎の痛いところ。

ヨロヨロしながらも、空高く飛びたっていくモンシロチョウに感無量も無理ないわ😑

びんにぶち込んだカタツムリたちも、引きこもりをやめて交尾と産卵のかまえである。

こちらも人間とはおおいに違い、彼我のかん😑

カタツムリは雄雌両方有するので、どっちがどっち役ってのがどう決まるのかは知らないが、生むとなれば何百である。砂粒のようなチビチビカタツムリが、これまた生まれ落ちた途端、勝手に餌探しにてんでにばらける。

親に死ぬまで依存するのが高等動物の証拠といったところか…

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