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相対性理論というバンド

 中学時代、アングラな音楽にハマっていた私にとって相対性理論という言葉はアインシュタインよりもバンドを想起させる言葉だった。そして当時、「ゆめかわいい」という言葉と概念が生まれた時代であったから、そんな時に絶賛厨二病を拗らせていた私にとって相対性理論というバンドは避けては通れない道だった。

 そんな時代背景があるものの、このバンドの本当の奥深さに気づいた歳というのは大学生にあたる時だった。代表曲でもある「気になるあの娘」をふと聴きたくなった。その日は、所属する軽音サークルのライブ終わりだった。なんだかもやもやした1日だった。サークル内では、揉め事が生じていて、そこに板挟みになった人たちから愚痴を聞かされる、そんな日だった。私は運良く、そのトラブルに巻き込まれることなく外野からボーッと見ていただけなのだが、ぐるぐると若さという無駄でもあるエネルギーが渦巻いている中、それを傍観することしかできない無気力さを感じていた。そんな無気力さを包容する力が、相対性理論というバンドにはある気がする。

 言語化するとなんだか意味不明だけど、でもそこには確かに意味不明な言葉の羅列のような虚無が広がっている。理解しようとすると頭が痛くなりそうだけど、何も考えずに感じているとふわふわと気分が良くなってくる。実際に体験したわけではないけれど、なんだか情景が匂いをもはらむ程に脳内に浮かび上がってくる。このままダラダラと過去と未来の真ん中に居座り続けるのは良くないことだと分かっているけど、時間が流れるままに今はまだここにいたいと思える。

 そんな矛盾を内包したのが相対性理論の音楽だと、その日、ひとりでに、なんとなく考えていたのだった。聴いたところで気づきとか解決方法とかそういうものが得られるわけではないけど、ただ何の意味もない今を認めてくれるような気がした。何が嫌だったとか、何が辛かったとかそんなのはもう思い出せないし、最初から何も考えていなかったのかもしれないけど、少し暑さが残るあの初秋の日、どうしようもない私を肯定してくれた気がした音楽を私は忘れないだろう。

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