自己救済の物語
私はなんで教師になろうとしてるのか。
実は6年大学にしがみついてまで分からなかった。
わからないから、生きるため、自分が好きなことで稼ぐためと説いた。
でも気づかせてくれた、愛しい隣人に。
隣人は言った。
私は世の中のジェンダーと戦っているのは、後輩たちのためだけでなく、自己救済のためなのだと。
親の期待に応えるために、姉よりも弟よりもこなしてきた私は、結局女だからというだけで、相続に加わる価値も最初から与えられなかった。
女だからスタートが低かった。
そして、病んだ。大好きだった親を憎み始めた。その時に気づいた。
小さい頃、女だからと頑張りを認められず絶望した私を、抱きしめて上げる、そんなエゴのために、頑張るのだと。
小さかった自分の自己救済。
私は気づいてしまった。
中学三年間いた、ソフトボール部の私を救ってあげたいんだ。
私は、三年間、きっしょ、死ねと声をかけ続けた、同級生に憎しみを抱き、また憎む自分に葛藤するし、そんな環境にいる私に介入せず傍観した顧問、先輩、声を上げるまで気づかなかった教師の存在は忘れない。
母校なんて大っ嫌い。
今だって思い出して語るだけで涙が出てくる。何も乗り越えてない。
こんなんでも、私はこれをいじめではなくイジりと周囲に言い張ったんだ。だから誰にも気づかれず、毎日家に帰って号泣していたんだ。我慢を美徳とする環境は親の教育の影響を感じる。
そして高三の合宿の何でも話していい時間(今思えば、デブリーフィング)、同級生は何の悩みもないとお気楽に部活の楽しかった思い出を語った。私がいる場で。
私は積年の怒りで、毎日泣いて帰っていた過去、本当に辛かった、学校が大っ嫌いと吐き散らかした。
そのあと気まずそうに謝ってきた。
その時もう気にしてないとか言ったけど、まだ許せない私がいる。
そして、許せない自分を責める。
一人ぼっちで、一人ぼっちから救って上げられたと言われ続けた、身だしなみにも興味がなく、喋りが下手で、ノリが悪くて、芸能人知らなくて、おもんないと見下され続けた私を、仕方ないと思ってしまう私がいる。
家でも毎回一位を取っていた唯一の取り柄の社会も褒められなかったから、賞状が一個もない私は、自分に自信を持てず、他者評価に頼った。
結果、部活のある週5で見下され続ける他者評価の中にあったから、自尊心と自己肯定感が低いまま、ここまで来てしまった。
だから私は、声を上げず苦しんでいる子、一人でいる子、ただただ笑顔で耐え続けてる子に、自分を重ねて、救済したいと思っているんだ、と気づいた。
そう、クラスメイトだって、サークルだって、小さなグループワークだって、目につくのはいつも、ぽつんと一人でいる子だった。好きで一人でいたとしても、私は積極的に話しかけたくなってしまう、興味を持ってしまう。
あまり話さない後輩から、一人で孤立して、何をしていいかわからない時も話しかけてくれてありがとうございますと、引退のコメントに書いてくれたのを思い出した。
私は、自己救済のためだったとしても、寂しい人たちの気を少しでも楽にしていたことを、誇りに思う。
それは好きな自分だ。あの時の絶望を忘れずに、他者の孤独に目を光らせる存在になった。
私は教師としていじめに向き合いたい。そして、過去の私をよく頑張ったと心の底から抱き締めてやりたい。
それが叶った時、私は教師に未練がなくなるんだ、きっと。
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