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教師に真面目すぎると言われた

教育実習の出来事。
わたしは徹夜で授業の準備をして、多数の先生に生徒の席の後ろから評価される研究授業に臨んだ。

その前の授業からカンペを見過ぎと言われたので、3回は一人で授業前に練習してほぼ暗記した。加えてマスクで口が覆いかぶさるので、その日は不織布から薄いエアリズムのマスクに変えた上で、声も張れる意識もした。

結果は、惨敗だった。
言われて気づいた、授業の構成の悪さ、暗記方法に偏りすぎた授業内容。
成績を上げることを意識しすぎた結果、教育の本質、知的好奇心を刺激することを置いてけぼりにしてしまった授業は私が本当にやりたかったものなのか、深く反省した。そして誰もいない校舎の四階のトイレの鏡の前で涙を流した。

これは素直な反省、しかし、帰り道でのこと、比較的コミュニケーションが取りやすかった教師に言われた一言が、また深い傷になった。

「お前は真面目すぎる」

そう言われた理由はまあわかる。
「じゃあ雑談の時間で…」と言ったことに対して、「雑談を雑談しますと言って始めるやつおるか」と笑われたのだ。

確かに、そう生徒に伝えることの違和感について、その視点はなかった。
しかしだ。真面目すぎると言われたのは、教師にとって笑われる要素なのはダメージを受けた。

わたしは根は真面目なのはわかっている。

そうであっても、私には本気でやった授業準備についてイジられてしまったことは、笑いに昇華できなかった。
加えて、私の学び舎での姿を見ていた人間に言われたことだった。私の学び舎での姿は、暗い思い出が後をひいている。真面目すぎて、頭が硬くてノリについていくことができず、孤立していた私を見ている人間が、真面目すぎるでイジってきたのだ。

どれだけコンプレックスを抱えているかわかっていないのか、そしてスルーできない自分にも、コンプレックスを乗り越えられない私にも辛さが増した。
真面目さをむしろ活かしていきたかったのに、だめなのか。
否定されるのか。

結局柔軟で生きるのが上手い奴らが評価されるのか、私も真面目というだけでなく芸人みたいに面白いことが言えればよかった。

これが変えられないのだから悲しい。

苦しい。

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