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第6回 あるべき、すべき論者の本質

第6回は、あるべき論、すべき論を語るヒト要注意って話。

今のような不安定の時だったり、また個人的に不安を感じている場合は特に、「〜あるべき」とか「〜すべき」って断定してくれる人に安心感を得たり、意見に傾いたりしやすいもの。

だけど、そもそも世の中に「正解」なんてモノは存在しない。
良い面があれば、対極に悪い面もある。
こだわりが5つあるなら、対極の譲れること5つを指し示してあげないと、自分も相手もしんどい。。

つまりは何か1つに偏った考え方は、自滅するし、相手も潰してしまう可能性が高い。

今までの歴史を見ても、疫病や戦争はある一面から見れば、悪いことばかりのように見えるし、その反面でその出来事がきっかけで、今の世の中にとって欠かせないものも存在しているのも事実。

もちろん、個人的に疫病や戦争なんてもってのほかだし、無いに越したことはない。

私も「〜あるべき」とか「〜すべき」ってかなりの頻度で使っていた。
なぜなら、それは私自身のやってきた経験や歴史を【肯定】するために、自分の考え方や、やってきたことは正しかったはず・・と思いたいから。

まぁ自己肯定感ってやつね。
だけど、そういう人(当時の私も)は、自分で自分を肯定しないと、他の人が肯定してくれない(もしくは充足感が足りていない)から、自分で自分を肯定、正当化するしかないのよね。

だから、自分の経験則や思い込みで「あるべき」「すべき」を語っちゃう。。

で、これは誰得なの??って話。
相手を想ってとか・・ではないよね。。
だって自分による自己肯定って、いわゆる自己防衛ってことでしょ。。

だから私は、こうあるべき、こうすべき、って意見を言ってくる人の話は聞かなくて良いと思っている。

もし、自分自身がこの言葉を使っているなら、自分自身の【そもそも】を見直す時期なのかもしれない。

昨日、メンタリストDaigoの動画でなるほどなーって話があった。
それは「科学的思考」が大切って内容だったんだけど、どういうことかというと

自分を信じず
自分を疑わず
ただ試して
結果を確かめる

自分を信じすぎると思い込みが強くなり、強烈なバイヤスが掛かる。
自分を疑いすぎると自信がなくなり、行動できなくなる。
だから、ただ淡々とチャレンジをして、そのチャレンジした結果を、感情を抜いて分析する。

つまり、経営をする上で思い込みや、行動しないこと、また分析しない要因は「感情」を自分でコントロール出来ていないってことなのだと思う。

あるべき論者も、根幹は感情な訳で。。

本当に冷静に、正確に事実把握をし、自分の理解も深く、相手のことも深く考えられている人は、

私は〜思うけど、あなたはどう思う?って聞いてくる人が多い。
だから、私もそう心がけ、スタッフ1人1人と向き合い、一緒に考えることで、「管理」しない経営に変わっていった。

教える、ではなく、一緒に考える

次回は、このテーマに触れたいと思う。