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あるがままでいること

みなさま、こんにちは。
今日もこの記事を読んでくれている人が、健やかで自分らしく居られているといいなと思っています。
このnote は、豊かに、よりよく生きるために私が実践していることや大切だと思うことをつらつらと書き連ねていく場所です。

今日のテーマは、「あるがまま」。
私は毎日オンライン上でヨガや瞑想をする仲間と繋がって瞑想を実践しています。今日の瞑想のテーマは、あるがまま、だったのです。

瞑想しているときにあるがままの状態でいるのはとても難しいこと。私も、無音の中で目を閉じていると余計な考え事が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返してしまう。実践者ではありますがプロではないので、まだまだ修行が足りないと思う日々です。

ただ、瞑想で大切なのはそうして雑念を思い浮かべてしまう自分を、さらに俯瞰することだと私は思っています。余計な事に心を囚われてしまう自分もまた、今日の自分として一度受け入れるようにしています。
慌てて考え事をやめるのではなく、「ああ、今日の自分はこういうことが気になるのだ」といったんあるがままを受け入れてみるのです。

細かなことに気を取られている自分に気づくと、瞑想の姿勢が崩れています。前かがみになっていたり、眉間にしわが寄っていたりなど、体にも変化があります。それらの変化に気づいて中立の位置に戻す、を繰り返しているうちにだんだん自分を俯瞰していられる時間が伸びていきました。

あるがまま‐ひいては、自分の大きさ、を正しく把握するのには時間がかかります。身体的な大きさもそうだし、心持ちや器、そしてスキル的な事も、自分のあるがままを見極めることは私にとっては難しいことです。
なぜなら、相手に期待されればされるほど、それに応えたいと思ってしまうから。頼まれれば気の進まないことでも引き受けてしまうし、何事も挑戦と思って自分の技量に見合わない仕事を頑張ってしまうこともありました。
だけど、あるがままの自分を冷静に見つめられるようになってからは、そんなことが減りました。

確かに、適度な負荷は成長の材料です。
しかしその成長は本当に自分が望んでいることでしょうか。
周りの人からの評価や、過去の自分からの称賛を求めていないでしょうか。
成長することをいいことだと決めたのは誰ですか。
自分で決めたことでなければ、そこから自由になってもいいのだと思います。

あるがままを受け入れて、自分の大きさを適切に測れるようになると、自分に対しても、他者に対しても過度な期待をしなくなります。足りないと思っていたものが実は満ち足りていることにも気づくでしょう。
そうなれれば、ふっと自分を縛っていた呪縛のようなものが一つ解けるのを感じます。

私もあなたも、いつも完全です。「生きているだけで偉い!」という薄っぺらなポジティブさではなく、心からそう信じてみてください。

今日はここまで。最後までお読みいただきありがとうございました。

全ての命が輝きますように。


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