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デニソワ人ってなんだ?胸躍る異種交配ガ━━Σ(o゚Д゚p)p━━ン!! ー フィリピンの民族、デニソワ人のDNAを最も高い割合で保有、進化の謎解明に光

フィリピンの民族、デニソワ人のDNAを最も高い割合で保有、進化の謎解明に光

新人類と旧人類の差、違いはなんでしょうか?

生物の分類というのは、

「界>門>綱>目>科>属>種」に分類されます。

現生人類の「ホモ・サピエンス」は、

 動物界
>脊索動物門(>脊索動物亜門)
>哺乳綱>サル目(>直鼻猿亜目)
>ヒト上科(>ヒト科>ヒト亜科)
>ヒト族Hominini(ヒト亜族Hominina)
>ヒト属Homo
>ホモ・サピエンス種Homo Sapiens

です。この最後のホモ・サピエンス種は二種類の亜種がいます。

「ホモ・サピエンス・イダルトゥ」(絶滅)
「ホモ・サピエンス・サピエンス」(現生人類)

じゃあ、ネアンデルタール人は、分類上どうなのか?というと、ヒト属Homoまで一緒。それで、その下の種族名が、

>「ホモ・ネアンデルターレンシス」(ネアンデルタール人)

じゃあ、デニソワ人は、分類上どうなのか?というと、ヒト属Homoまで一緒。それで、その下の種族名が、

>「ホモ・デノソヴァ・ヒューミニ」(デニソワ人)← 未確定ですよ。

という非常に親しい間柄です。白人種や黄色人種のように同じ種に属するよりは、染色体DNAは異なりますが、八十万四千年前のヒト属Homoの共通祖先から、人類現生人類であるホモ・サピエンスとネアンデルタール人&デニソワ人の祖先が分岐して、六十四万年前にさらに、ネアンデルタール人とデニソワ人から分岐した人類です。だから、人類と彼らのご先祖は、八十万四千年前までは三者一緒六十四万年前まではネアンデルタール人とデニソワ人は一緒だった、ということです。

もちろん、同じヒト属ですので、交尾可能、子供を作るのも可能でした。ちなみに、ゴリラやチンパンジーと人類が子供を作れるか?というのは、わからない。(参照:我々はチンパンジーと子作りできるのか? とある博士の異常な実験)しかし、交尾は可能でしょうね。

参考:
現生人類とオランウータンが分岐した(共通の祖先)年代は、506万年前
現生人類とゴリラが分岐した(共通の祖先)年代は、255万年前
現生人類とチンパンジーが分岐した(共通の祖先)年代は、255万年前
現生人類とネアンデルタール人・デニソワ人が分岐した(共通の祖先)年代は、80.4万年前
ネアンデルタール人とデニソワ人が分岐した(共通の祖先)年代は、64万年前

で、分岐した直後は、爺さん・婆さんの時代からそれほど離れていないので、交尾も子作りも可能ということです。分岐した時代から離れれば離れるほど、交尾は可能でも子作りはどうかな?ということになります。

だから、ネアンデルタール人・デニソワ人と分岐した直後の現生人類とは、交尾も子作りも十二分に可能ということ。

もしも、現在、ネアンデルタール人・デニソワ人が生存していたら、分岐から80.4万年経っていますから、交尾は可能でも、子作りはどうなのか?たぶん、子作りも可能なんでしょうね。だから、いつ分岐したかが重要で、現在のDNAが離れた状態を想像してはいけないということです。数十万年前なら、現生人類とネアンデルタール人・デニソワ人は、バンバン、セックスができて、バンバン、子作りできました、ということ。

これは、映画の「全裸監督」にでもこの異種交配(イケメンの現生人類と野性的で美人のネアンデルタール人・デニソワ人のセックス)を撮影させれば、大ヒット間違いなし!(冗談です!)

現生人類と共存していた?ネアンデルタール人とデニソワ人の新たな発見

ネアンデルタール人とデニソワ人から日本人が受け継いだDNAの新たな推計値が判明~ゲノム解析で明らかになる現生人類(ホモ・サピエンス)、ネアンデルタール人、デニソワ人の分岐年代と複雑な遺伝的交流の歴史~

現代人に存続するネアンデルタール人とデニソワ人のDNAによって語られた人類の歴史の物語(英語動画)
Tales of Human History Told by Neandertal and Denisovan DNA That Persist in Modern Humans

パプア人とネアンデルタール人・デニソワ人が交尾交配していたのは46,000万年前、東南アジア人とネアンデルタール人・デニソワ人が交尾交配していたのは35,000万年前、東アジア・シベリア人とネアンデルタール人・デニソワ人が交尾交配していたのは10,000万年以上前

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一万八線年前の最終氷河期以前の話ですよ、これは。

弥生小海退 R1

日本人もネアンデルタール人・デニソワ人の血はつながっていますよ。

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東南アジア、シベリアから日本を経由して、ネアンデルタール人・デニソワ人との混血も伝わったんじゃないかな?氷河期だったし。

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それで、インド洋、太平洋南半球にも広がっていった。

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フィリピンの民族、デニソワ人のDNAを最も高い割合で保有、進化の謎解明に光

2010年に初めて発見された謎の初期人類「デニソワ人」。デニソワ人が存在していたことを示す化石上の決定的な証拠は、シベリアのアルタイ山脈のふもとにあるデニソワ洞窟で見つかった5つの骨だけだ。

しかし今、4828キロ離れたフィリピンの民族のDNAが、人間の進化における最大の謎に新たな光を当てている。

米科学誌カレントバイオロジーに12日に発表された論文によると、フィリピンの民族「アイタ・マグブコン」は、デニソワ人由来のDNAの割合が確認されている中で最も高い。

現在の人類の一部にデニソワ人のDNAが残っているのは、私たちの祖先のホモサピエンスがかつてデニソワ人と出会い、性的関係を持って、子どもをもうけたことによる。

こうした「交雑」が起きたのは今から5万年以上前、アフリカを出た現生人類がネアンデルタール人やデニソワ人と出会った時のことだ。ただ、特にデニソワ人の場合、遭遇がどこで起きたのか特定するのは難しい。

これまでにデニソワ人の化石が発見された場所はシベリアのみ。それ以外にはチベット高原で見つかったあごの骨がデニソワ人のものである可能性が指摘されている。

フィリピンとスウェーデンの共同チームは今回、フィリピンの人類史を幅広く調査し、118の集団の遺伝子構成を調べた。

その結果、アイタ・マグブコンがデニソワ人の遺伝子を約5%保有していることが判明。論文の著者であるスウェーデン・アプサラ大の遺伝子学者、マティアス・ヤコブソン氏によると、これは以前の研究で約4%との結果が出ていたオーストラリアのアボリジニやパプア人を上回る値だという。

論文の著者らは今回の研究結果について、デニソワ人がかつてアジア全域で暮らしていたこと、ホモサピエンス到来のはるか前にフィリピンに住んでいた可能性が高いことを改めて示すものだと指摘。異なるデニソワ人の集団がさまざまな時と場所でホモサピエンスと交雑していたこともうかがえる。

Wikipedia ー デニソワ人

ロシア・アルタイ地方のデニソワ洞窟(ロシア、中国、モンゴルの国境に近い地域)に、約4万1千年前に住んでいたとされるヒト属の個体および同種の人類である。デニソワ洞窟は、アルタイ地方の中心都市バルナウルから約150km南方に位置する。2020年現在、正式な学名は存在しないものの、ホモ・サピエンスの亜種とされることが多く、暫定的にホモ・サピエンス・デニソワ(Homo sapiens ssp. Denisova)や、ホモ・サピエンス・アルタイ(Homo sapiens Altai)とも呼ばれる。ネアンデルタール人と並んで、我々現生人類であるホモ・サピエンス・サピエンス (Homo sapiens sapiens) とは、遺伝的に非常に近い化石人類である。また現生人類の一部(メラネシア人など)と遺伝子情報を部分的に共有する可能性が高いとされている。

アジア内陸部でデニソワ人と交雑した現生人類祖先は、その後、長い期間をかけてメラネシアなどに南下していったと考えられる。また、中国方面に移住したグループは漢民族となり、高地に移住したグループはチベット人となったともされる。

Wikipedia - 人の移動の歴史
オーストロネシアの展開

ナショナルジオグラフィー ー デニソワ人に別グループ、アジアでまた驚きの発見

10年近く前、謎に包まれた初期人類の小指のかけらがシベリアで発見された。この未知の人類は、骨が発見されたアルタイ山脈のデニソワ洞窟にちなんでデニソワ人と名付けられた。

彼らはネアンデルタール人に近い種で、何万年もの間アジアで暮らしていたと考えられている。そこまでわかったのはDNAが採取できたおかげだが、化石は指の骨、数本の歯、頭蓋骨のかけらが1つしか見つかっていない。しかも、発掘された場所はデニソワ洞窟だけと、試料の数自体はきわめて少ない。

ところが、4月11日付けで学術誌「Cell」に発表された論文により、驚きの新事実が明らかになった。いや、むしろデニソワ人の謎が深まったと言える。東南アジアの現代人のDNAを大規模に調べたところ、デニソワ人は実は1つのグループではなく、独立した3つのグループが存在したことが示唆されたのだ。そのうちの1つは、ネアンデルタール人とデニソワ人の違いと同じくらい、他のデニソワ人と異なっているという。

さらに、1つのグループは、およそ4万年前に姿を消したネアンデルタール人よりも新しい時代まで生き残っていたかもしれない。論文によると、デニソワ人は少なくとも3万年前、おそらく1万5000年前まで、ニューギニア島で現生人類と共存し、交配していた。この年代が確かなら、デニソワ人は、知られている限り、私たち現生人類以外で最も最近まで生きた人類ということになる。

近年、古代アジアの人類が驚くほど多様だったことを示す発見が相次いでいる。4月10日にも、フィリピンで新種の初期人類ルソン原人が見つかったと発表されたばかりだが、今回の刺激的な発見もそうした流れに連なるものだ。

「初期人類の多様性の中心は東南アジアの島々だということが、突然表面化したようなものです」と、論文の共著者でニュージーランド、マッセー大学のマレー・コックス氏は、フィリピンやマレーシア、アジアの先の広大な海域に浮かぶその他の諸島を指して言った。

2018年、米ワシントン大学のシャロン・ブラウニング氏らが、デニソワ人と現生人類の交配の波が2度起きていたことをすでに明らかにしていた。今回の論文はそれを拡張するものだが、ブラウニング氏は今回の結果と意味に興奮しつつも、こう注意をうながす。

「人類史のほんの一部にすぎません。でも、こうした小さな発見の積み重ねで、全体が明らかになるのです」

デニソワ人は、少なくとも40万年前にはネアンデルタール人との共通祖先から枝分かれした可能性が高い。そして、ネアンデルタール人がヨーロッパと中東に広がる一方、デニソワ人はアジアに広がり、やがてアジア系の現代人の祖先と交配した。そのおかげで、デニソワ人の遺伝子の痕跡が現代のホモ・サピエンスに残され、デニソワ人の謎を解き明かす手がかりとなっているのだ。

人々の健康から激動の人類史へ

コックス氏の研究チームは、もともとデニソワ人の多様性を研究していたわけではない。興味があったのは、インドネシアと近隣の東南アジアの島々における医療だった。この地域の病気に関連する遺伝子変異を解明すれば、もっと住民に特化した治療法につながる可能性がある。

「私たちにとっては、とても重要なことです」と、論文の共著者ヘラワティ・スドヨ氏は話す。同氏は、インドネシア、エイクマン研究所のシニアリサーチフェローで、論文の共著者の一人だ。インドネシアの人々の遺伝子は非常に多様だが、「ここインドネシアでは、遺伝子分析の技術がなかなか普及しなかったので、遺伝子研究は行われてこなかったのです」と同氏は述べる。

こうした多様な遺伝子を調べたところ、はるか昔に初期人類の分離が起きていたことを示す証拠が見つかった。アフリカからやって来た新参者の現生人類ホモ・サピエンスと、その前からアジアにいたより古い初期人類の流れをくむ人々が交配し、その証拠が現代人にまで世代を超えて受け継がれていたのだ。

たとえば今日、アフリカ人以外の人の最大2%に、ネアンデルタール人のDNAが見られる。その一部は有益で、感染症を防ぐ人の免疫システムに貢献している。しかし、ホモ・サピエンスが6万4000年ほど前にアフリカを出た後に交配した人類は、ネアンデルタール人だけではない。アジア系の大半には、デニソワ人のDNAがある程度含まれている。しかもニューギニア島を含むメラネシアの人々では特に多く、ゲノムの最大6%にもなる。現代メラネシア人の祖先は、メラネシアの島々へ向かう途中でデニソワ人と出会い交配したと考えられる。

コックス氏の研究チームは、その痕跡を詳しく調べるため、ニューギニア島を含むインドネシア14島の住民161人のゲノムを解析した。このデータと世界中の317人のゲノムのデータを統合し、ネアンデルタール人とアルタイのデニソワ人のゲノムと比較した。ニューギニア島先住民である現代パプア人のDNAのデータからは、デニソワ人の痕跡のピークが1つだけ浮かび上がると研究チームは予想していた。だが、明らかに異なるピークが2つ現れた。

「世界一くだらないデータ処理のミスか、本当に素晴らしい研究成果かのどちらかでした」とコックス氏は話す。

入り混じった遺伝子を解き明かす

今回の研究で見つかった2つのピークは実に興味深い。これはおそらく、2つの異なるデニソワ人グループの影響を示している。しかも、アルタイ山脈の洞窟で見つかったデニソワ人とは、遺伝的にまったく異なるという。

その1つであるグループ1は、ネアンデルタール人と枝分かれした後5万年も経たずに、36万3000年ほど前にアルタイのデニソワ人とさらに分かれた。その後、現生人類と交配し、子孫が現在東南アジアからインドにかけて広がっている。

「今回の研究成果を完全に支持します」とカナダ、トロント大学の古人類学者ベンス・ビオラ氏は話す。同氏は、謎に包まれたデニソワ人の化石形態学の第一人者だ。(参考記事:「人類3種が数万年も共存、デニソワ人研究で判明」)


同氏の研究チームがデニソワ人について初めて報告した2010年の時点で、現代メラネシア人に含まれる初期人類のDNAが、デニソワ洞窟の骨と歯から採取したDNAとは明らかに異なることに科学者たちはすでに気付いていた、と同氏は振り返る。2014年、同氏の研究チームは、デニソワ人が27万6000年前〜40万3000年前に2つのグループに分かれたと推定した。今回の論文の推定年代は、この範囲に収まる。

しかし、今回の論文で本当に悩ましいのは、第3のデニソワ人グループという説だ。この第3のグループ(今回の論文のグループ2)は、約28万3000年前にアルタイのデニソワから分かれ、現在のニューギニア島先住民の祖先とのちに独占的に交配し、混血したと考えられる。

この結果に困惑する科学者もいる。理由の1つは、デニソワ人が深くて海流のきつい海を渡る方法を見つけていたと考えられる、と論文の著者が述べている点だ。異議を唱える科学者は、そうした海を渡れるのは船を作れた現生人類だけだと長い間考えてきた。しかし、今世紀になされた多くの発見が、この説を否定している。例えば、体の小さなフローレス原人は、おそらく70万年前にはインドネシアのフローレス島にいた。インドネシアのスラウェシ島で見つかった石器は、11万8000年前〜19万4000年前のものだ。ごく最近では、ホモ・ルゾネンシスと新たに命名されたルソン原人は、5万年前にはフィリピンのルソン島にいたとされる。

「問題は単純で、ニューギニア島やオーストラリアでは、近代以前の人類の考古学的な証拠や化石などが、見つかっていないことです」とビオラ氏は話す。これは、存在しないという意味ではない、と同氏は言う。しかし、「この地域については、わかっていないことがあまりに多いのです」

最新の分析法を開発している進化遺伝学者ベンジャミン・バーノット氏は、データ分析の仕方についてさらなる懸念を抱く。今回の研究では、現代人のゲノム中にあるデニソワ人の大小さまざまなDNAを特定したにもかかわらず、正確さを期すために、デニソワ人のものと同定された最長のDNAのみに限定して分析した。

バーノット氏は論文の説には同意しているものの、「何かを分析する必要があり、何万ものサンプルを同定したのに、そのうちの500個だけを選んで分析を行うのであれば、強い疑念を抱かざるを得ません」と話す。

それでも、バーノット氏や他の研究者たちは、この新たな遺伝子データベースを使って何を研究しようかと前向きだ。今回の研究で収集した遺伝子データは、現在、他の人でもダウンロードして利用できるようになっている。「こうして科学は進歩するのです」と同氏は話す。

コックス氏やスドヨ氏の研究チームは、現在、デニソワ人のDNAの断片が、現代人の健康にどう影響しているのかの解明に取り組んでいる。さらなる研究が必要だが、一部の遺伝子が、免疫システムと脂肪の代謝において中心的な役割を果たしているという有望な手がかりを、すでにいくつかつかんでいる。一方、コックス氏は、インドネシアの研究から将来何がわかるのかと興奮しているという。

「私の勘では、興味深い説がさらにいくつかこの地域から出てきますよ」

フランク・ロイドのエッセイ集

ヒンズー教と仏教の原風景

縄文海進と古神道、神社、天皇制



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