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ヒンズー教と仏教の原風景Ⅲ

表題のヒンズー教と仏教の話。

まず、ヒンズー教よりも古い仏教から書きましょう。

え?ヒンズー教は仏教よりも古いのではないかって?いえいえ、土着の原始宗教としてはヒンズー教も古いですが、宗教として体系化されたのは仏教が先です。

こんなにざっくりとしてはいけないのですが、古い順に、

1.原始アーリア人の宗教、原始ドラヴィダ人の宗教
2.原始バラモン教(顕教的、小乗的)
3.原始仏教(顕教、小乗)
4.原始ヒンズー教(密教的、大乗的)
5.インド南部仏教・ラマ教-チベット/ネパール-(密教、大乗)

何が小乗(的)で何が大乗(的)か、何が顕教(的)で何が密教(的)かとこれまた、怒られるでしょうが、ザックリと言うと、

● 小乗(的)= 特定の階層(要するに修行する僧侶)のみ得度、救済、解脱可能
● 大乗(的)= 庶民まで含めて得度、救済、解脱可能で、修行も緩やか、在家出家なんて釈迦が聞いたら卒倒しそうな制度まで包含する
● 顕教(的)= 人の解脱が主題、死してどうなるか?解脱か輪廻転生か?ということ、生きている間は死んだ後の結果を出す過渡期にしか過ぎない
● 密教(的)= 生まれてから死ぬまでも主題、空海のように生きていて仏も可!という釈迦が聞いたら卒倒しそうな制度まで包含する、もちろん、生まれてから死ぬまでも主題だから、現世利益追求も可

とこう分けてもいいでしょう。識者が聞くと怒られるだろうが、私の端的理解はこうです。

この分け方で言うと、小乗(的)+顕教(的)って、天下万民、庶民から見ると虚しいですね?お布施ってあるじゃないですか?あれはですね、天下万民、庶民が、特定の階層(要するに修行する僧侶)が解脱できるお助けをして、お助けすることで天下万民、庶民自身は解脱できないまでも、次の機会、将来の人生(それが人間とは限りませんが)で、業(カルマ)が減って、未来いつかは、自分も特定の階層(要するに修行する僧侶)に生まれ変わって、解脱できるかもしれない、というボランティア精神に満ち溢れた行為です。

今生(こんじょう)ではどうにもならん!来世に賭けます!ということです。虚しいでしょう?虚しいですよね?

だから、原始バラモン教(顕教的、小乗的)も原始仏教(顕教、小乗)もあまりに天下万民、庶民が虚しくなってしまって、人気がなくなったわけです。おまけに、極めて哲学的であって、それも口伝(書物に残さない、師匠から弟子に口移しで教える)の部分が多く、専業僧侶でしか可能でない宗教です。晴耕雨読、片手間でも解脱できます!なんてものではありません。

これ日本の仏教界に似てませんか?南都六宗は官製(つまり、天皇家)の宗教で、庶民・万民なんて関係ないわけです。同じ顕教の天台宗も庶民・万民なんて関係ない。密教である真言宗も同じく。すべて小乗的です。空海がなんと言おうと小乗的です。空海だって、庶民・万民なんて関係なかった。自身の即身成仏と教団の存立、継続、存在それが目的だったからです。だから、廃れます。あまりにも虚しすぎるでしょう?

原始バラモン教も何宗派にも別れていました。科学と違って証明不可能ですから、我思う故に我あり、唯我独尊なのです。その内のいち宗派、それが釈迦が最初に学んだバラモン教です。断食したり、逆さになったり、念じたり、唸ったり、瞑想したりしてました。その間、彼の費えは、一生懸命働いて、しかし、解脱なんざできない人達がボランティアで恵んでもらっておりました。それは、バラモン教から離れて仏教になっても変わらない。祇園精舎なんてのもお布施です。商人からの恵みものです。その商人が、そのような良いこと(?)をしたとしても、業(カルマ)は減っても輪廻転生から逃れられません。

しかし、原始バラモン教と違って、多少は庶民・万民も気遣った。当然だ!という態度では望まなかった。庶民・万民の教化にも多少務めた、ということだけはマシでした。

宗教の体系化には勤めました。母体であるバラモン教よりも優れている。それも、釈迦ではなく、釈迦の意図しなかった、仏教教団が体系化を進め、口伝だけではなく、文書に残すこともした、というのは先進的なことでもあったのです。

少々後戻りして、インド・アーリヤ人のインド侵入(民族移動)の頃に戻ります。ヒンズー教、仏教のインド亜大陸の展開は、紀元前2千年から1千5百年のアーリア人の移民侵入(民族移動)に関わるからです。

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釈迦 = ガウタマ・シッダールタの生誕から入滅は、紀元前5世紀頃のことだと思います。紀元前563年生誕、紀元前483年入滅、これは誰が設定したのか、Googleで、『釈迦 生誕日』、『釈迦 死亡日』と検索すると出てきます。『釈迦 入滅日』ではでませんので念のため。むろん、誰もこんな事実は確定出来ません。インドの歴史は、編年で記録するなどというものではないからです。

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インド・アーリヤ人がインドに民族移動し、ドラヴィダ人の原始宗教と混交しながら、ヴェーダを編纂し、原始バラモン教を形成し始めたのが紀元前15世紀頃で、釈迦が王子の地位から出奔し仏教思想を形成、入滅するまで、約1,000年の隔たりがあります。

日本で言えば、仏教が秦氏などの渡来人が持ち込んだのが紀元後5世紀くらいでありましょうか?それから、顕教である奈良六宗(南都六宗)の成立が紀元後6~7世紀、同じく顕教の最澄が持ち帰った天台宗が紀元後9世紀、密教である空海の持ち帰った真言宗が同じく紀元後9世紀という日本の初期仏教の成立期間から見れば約1,000年という期間は長いと思われますが、日本はほぼ体系として完成していた仏教、それもサンスクリット語やパーリ語から中国語(つまり、漢文)までの翻訳は、後漢~随朝~唐朝の皇室がやってくれて、後はそれを読んだり修行したりするだけだったので、手間がかかりませんでした。

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しかし、インド・アーリヤ人か、インド・アーリヤ人とドラヴィダ人混淆でヴェーダを初期から体系化するには、約1,000年の月日がかかったことは否めますまい。また、アーリア人の侵入(民族移動が)が短期で済んだわけがありません。この上のカイバル峠の地図を見ても、箱根の山か函谷関、せいぜい数百人の集団がほそぼそと民族移動してきたことでしょう。

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それは、宗教の体系化の他に、バラモン階級、クシャトリア階級、ヴァイシャ階級、シュードラ階級、少なくとも前二者の形成も合わせて行われていたわけです。

ここで、仏教の用語を整理しておきましょう。

1)釈迦、ゴータマ・シッダッタ(Gotama Siddhattha)、サンスクリット語形 ガウタマ・シッダールタは、釈迦 ≒ 仏陀、です。或いは、釈迦 ≠ 仏陀です。釈迦、ガウタマ・シッダールタは、仏教の開祖にして、実在の人物と言われています。紀元前5世紀頃の人です。
2)仏陀、基本的には仏教を開いた釈迦ただ一人を仏陀と呼ばれています。しかし、「仏の悟り」を開いた人は釈迦ただ一人であったか?そうとなれば、いくら修行しても仕方ないわけです。

スリランカでは、仏陀(仏の悟りに達した人)は釈迦の前に7名いると伝わっています。i) 毘婆尸仏、ii) 尸棄仏、iii) 毘舎浮仏、vi) 倶留孫仏、v) 倶那含牟尼仏、vi) 迦葉仏、それで7番目で、vii) 釈迦仏なんだそうです。

●フランク・ロイドのエッセイ集ー記事一覧
https://note.com/beaty/m/m2927b9ba7a08
●A piece of rum raisin(note)
 目次ー小説一覧
https://note.com/beaty/m/mc0c2a486fc74

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