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奴隷商人(Ⅰ)下書き

 ユリウス暦は、共和政ローマの最高神祇官・独裁官・執政官ガイウス・ユリウス・カエサルにより紀元前45年1月1日から実施された。この頃はもちろんキリストは生まれていない。だから、紀元前(BC:Before Christ、キリスト生誕以前)や紀元後(AD:Anno Domini、キリストの誕生年の翌年を紀元)などという数え方はなかった。

 ローマの年数の数え方は独特である。連続していないのだ。しかし、日本の元号のようなものでもない。

 例えば、紀元前314年は、ローマ暦の年で言うと、「リボとロングスが共和政ローマ執政官に就任した年」とローマの二人の執政官が就任した年で数えていた。紀元前59年だと、「カエサルとビブルスが共和政ローマ執政官に就任した年」だ。

 だから、今年は、カエサル(独裁執政官、ひとりだけ)の四期目(紀元前45年)の年、ということだ。

 執政官は毎年変わるから、その年の執政官の名前を覚えていないと、そりゃあ、いつの話だい?と聞かれて、「え~っと、確か、あの年はポンペイウスとナシカが執政官(紀元前52年)だったな」「え~、ちゅうことは、(指を折って数えて)七年前か?」「たぶん、そのくらいだな」という会話になる。※【共和政ローマ執政官一覧

 別に、年数の連続性とか一年(春夏秋冬)の流れとか、厳密に考えなくてもいい時代だったのだから、これでも問題なかったのだろう。

 さて、私の今いるところ、私の拠点は、カエサリア・マリティマ(海辺のカイサリア)である。もちろん、紀元前45年だからそう呼ばれていない。カエサリア・マリティマと呼ばれるようになったのは、ヘロデ大王が紀元前25年ごろからパレスティナのヤッフォのすぐ北に建設してからである。ヤッフォは二十一世紀でいうところのテルアビブの港だ。ヤッフォは四千年以上前の古代都市からの歴史を持つ。 

 まあ、どうでもいいが、地中海に面した気候温暖な港町だ。

 私の名前はモハメッド。え?イスラムの始祖のモハメッドの親戚か?だと?失敬な。モハメッドは西暦七世紀の人間だ。私は紀元前一世紀の人間。第一、この地方ではモハメッドなど、日本で言う鈴木とか佐藤なのだ。それで、私の商売はというと、奴隷商人をしている。

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 いやいや、自分で船を駆って、黒海沿岸まで出向いて野蛮人のゲルマン人共を罠でひっ捕らえて、ボスポラス海峡を越えて、運んでくる、なんて汚れ仕事はやらない。私は、海賊に金を与えて、汚れ仕事は彼らにやらせるのだ。

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 え?海賊にいくら払うかだって?それはだね、今、流通している貨幣を知らないといくら、なんて説明できないよ。米国ドル換算なんて言えないのだから。

 ローマの通貨は、アウレウス(金貨)、デナリウス(銀貨)、セステルティウス(青銅貨)、デュポンディウス(青銅貨)、アス(銅貨)だ。

 そうだなあ、二十一世紀と今のパンやワインや肉の価格で比較すると、デナリウス(銀貨)は、二十一世紀の15ドル、千六百円くらいなんだろうか?アウレウス(金貨)はデナリウス(銀貨)の二十五倍の価値だから、375ドル、四万円くらいの価値だろうか? 

 私は、航海前の海賊共に200アウレウス(金貨)を渡してやる。航海前の海賊は前回の稼ぎを豪勢に使ってしまってすってんてんだから、航海用装具や食料、船員の雇用に前渡金が必要なのだ。航海が終わって、黒海沿岸から蛮族のゲルマン人共(コーカサス人)を拉致してきたら、性別と年齢によって、人頭で支払ってやるのだ。十代前半の処女のベッピンだったら五十アウレウス(金貨)とか、その年の相場による。

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 さて、そんなある日、気持ちのいい朝を迎えた。執事兼ハーレム頭兼私の性欲処理の宦官のアブドゥラが私を起こす。こいつは、十才の時に去勢(玉抜きだけで竿は残したが)して以来、もう六年も私に仕えている。非常に賢く、商売でも私のハーレムの女どもの管理でも重宝しているのだ。

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