マガジンのカバー画像

ヒンズー教と仏教の原風景

44
フランク・ロイドです。CERN(セルン、欧州原子核研究機構)、KEK(高エネルギー加速器研究機構)、スーパーカミオカンデ、多元並行宇宙(マルチバース)間の記憶転移、縄文海進と古神…
運営しているクリエイター

#ヒンズー教と仏教の原風景

フランク・ロイドの『ヒンズー教と仏教の原風景』 INDEX

ヒンズー教と仏教の原風景 ―――――――――――――――――――――――――――― マガジン、ヒンズー教と仏教の原風景 ヒンズー教と仏教の原風景Ⅰ アーリア人とは?アーリア人のインド侵入説ってホント? ヒンズー教と仏教の原風景Ⅱ パキスタンの地形、カイバル峠とアーリア人の侵入 ヒンズー教と仏教の原風景Ⅲ ヒンズー教は仏教よりも古いのではないかって?小乗(的)大乗(的) ヒンズー教と仏教の原風景Ⅳ アーリア人のインド侵入の時期と気候、地質年代 ヒンズー教と仏教の原風景Ⅴ ヒン

紀元前の地中海・黒海のアーリア人奴隷貿易(Ⅱ)

下記の私のnote記事で、この小説の補足事項みたいなものが書いてありますので、よろしければお読みください。 奴隷商人(Ⅰ) 紀元前の地中海・黒海のアーリア人奴隷貿易(Ⅰ)ー 奴隷貿易は欧州承認の黒人奴隷貿易の専売特許じゃないんだ。イスラム商人のやった白人奴隷貿易だって相当なものだよ。 紀元前の地中海・黒海のアーリア人奴隷貿易(Ⅱ) 紀元前の地中海・黒海のアーリア人奴隷貿易(Ⅲ)ー ローマ人の食事 奴隷商人(Ⅰ)下書き 四日前に下記のnote記事を書きました。 紀元前の地

奴隷商人(Ⅰ)下書き

 ユリウス暦は、共和政ローマの最高神祇官・独裁官・執政官ガイウス・ユリウス・カエサルにより紀元前45年1月1日から実施された。この頃はもちろんキリストは生まれていない。だから、紀元前(BC:Before Christ、キリスト生誕以前)や紀元後(AD:Anno Domini、キリストの誕生年の翌年を紀元)などという数え方はなかった。  ローマの年数の数え方は独特である。連続していないのだ。しかし、日本の元号のようなものでもない。  例えば、紀元前314年は、ローマ暦の年で

精進料理 ー 肉食は、絶対禁止という訳じゃない。初期の仏教においては「不殺生の戒を犯さない布施の場合は肉食してよい」という考えがあった。それってのは、「三種の浄肉(さんしゅのじょうにく)」

仏教においては、バラモン教のように断食修行で悟りを積むのはお釈迦さんもトライして挫折したので無理、と考えている。 心身の健康を維持し、修行を続けるために最低限必要な食欲を満たすことはオッケーである。オッケーじゃないのは、欲望のままに過度に食べすぎたり、食について選り好みをして美味を求めたりという、「食」に対する執着である。つまり、食への執着なく、与えられた最低限の食物を摂取するというのが、仏教の「食」に対する基本的な姿勢。 上座部仏教(小乗仏教、タイ、スリランカ、ミャンマ

ヒンズー教と仏教の原風景Ⅶ

ヒンズー教と仏教の原風景 自分で読み返してみて、厳密に言うと違うな、順番、言葉の用法が間違っている、ということで訂正をしたく思います。 よく釈迦の生涯を描いた作品に「バラモン教」という言葉が出てきます。手塚治虫の『ブッダ』では、釈迦はバラモン僧のような描かれ方をしている。しかし、インドの人々やスリランカの人々に「バラモン教」のことを聞いてもキョトンとしています。 まず、日本語の「バラモン教」は「教」と表記してあたかも宗教の一派みたいに思われます。英語では「Brahmani

あるブログからの引用

明日公開するお題は二題書いてしまった。それで、ヒンズー教に関してさらに調べてみたら、あるブログに行き当たった。概ねいいことを書いているし、参考になる。しかし、ヒンズー教と仏教の原風景、これのⅠ、Ⅱを読んで頂くとわかるのだが、「アーリア人の侵略」などと平気で書いている。私は現地に仕事で行ったので、カイバル峠などいわゆる「アーリア人の侵略」など不可能、どう移動するのだ?というのがわかるのだが、この著者にはそれがわかっていない。現地に行かないと絶対にわからない、とは言わないが、紀元

ヒンズー教と仏教の原風景Ⅷ

今回から数回にわたり、スリランカの仏教とヒンズー教を書いてみましょう。その第一回です。 ●スリランカはおかしな国スリランカはおかしな国です。なぜ、私は『おかしな』などというのか?というと、日本語、英語の說明共に、時間線を無視して十把一絡げに多民族国家とか多宗教国家と言っていることです。 まず、在スリランカ日本大使館のサイトに、 というページが有ります。何が書いてあるか、というと、 ●スリランカを訪れる理由 - 人々 スリランカは多民族、多宗教、多文化社会であり、長年にわ

ヒンズー教と仏教の原風景Ⅸ

今日のヒンズー教と仏教の原風景は、「いい加減で知ったかぶりの民族、宗教構成」ではない、時間線に沿った民族の歴史的経緯と仏塔の薀蓄を書きましょう。次回は、「個人に憑依したヒンズーの神々を祀る村落祭祀」を。やっと、超常現象を書く手前までまいりました。私の経験談でもあります。 ●人類の移動、スリランカへの渡来 アフリカを出た現生人類はアラビア半島沿岸部を伝って現在のイラン付近に移動して、そこを起点に、インドから東南アジア、ニューギニア、オーストラリアにたどり着きました。下の地図の

ヒンズー教と仏教の原風景Ⅹ

以下に書くことは、仏教の専門家からすると厳密でもなく、私の理解で書いたのでツッコミどころ満載ですが、難しい専門用語を使いたくもなく、平易に仏教の初期の話を書いてみました。申し訳ない。お断りしておきます。 ●釈迦の生誕と入滅年、仏教興隆時代と三百年違う「ヒンズー教と仏教の原風景Ⅵ」で、釈迦の生誕と入滅年を書きました。いろいろな説があります。 (1) BC.566年-486年(高楠順次郎説) (2) BC.565年-485年(衆聖点記説) (3) BC.564年-484年(金

ヒンズー教と仏教の原風景ⅩⅡ

ほとんどの仏教の伝来、伝播の年譜は、年代がリニアでないので時間ギャップがわかりません。 リニアな世紀ごとの年譜を作成いたしました。各国の年代は多少ずれていることもあります。大雑把です。 まず、インドの王朝と仏教/ヒンズー教の勢力図が左。次にスリランカの王朝、ミャンマー・タイの小乗仏教国、密教興隆のチベット、中国の王朝、右が日本です。 この画像のpdfは以下のURLからダウンロードできます。

ヒンズー教と仏教の原風景ⅩⅢ

「結集」という言葉ひとつとっても説明が難しいですね。仏典の編纂会議をしていただけじゃなくて、言語のチェンジ、翻訳作業(マガダ語→パーリ語→サンスクリット語)も含まれています。また、仏陀はインド人です。王族ですので、カースト上位のアーリア人の血が濃かったでしょうが、でも、インド人ですよ。日本の仏像みたいな容姿じゃありません。白人みたいに描かれるキリストみたいなもんです。誤解を生みます。 ●そもそも仏陀は何語を話していたのか? サンスクリット語は、普通の会話では使いません、文語

ヒンズー教と仏教の原風景ⅩⅣ

●マガダ語の話されていた地域 仏陀やその当時の仏陀直々の弟子たちが話していたのがマガダ語。インド東北部、現在のネパールのすぐ下のビハール州あたり(地図の橙色の地域)にあったマガダ国の言葉です。今も昔もインドは中国と同じ、州が違えば、言葉が通じません。仏教興隆の元となった大旦那のマウリヤ朝のアショカ王。マウリヤ朝もマガダ国に興ったので、インド統一前は王朝の言葉もマガダ語だったんでしょう。アショーカ王が石柱や岩などに刻ませた詔勅であるアショーカ王碑文(紀元前三世紀、そこいら中に現

ヒンズー教と仏教の原風景ⅩⅤ

●お寺のグランドデザイン 仏陀入滅百年後、第二結集が終わって、悶着はあったが仏典のパーリ語編纂も一段落が着いた。祇園精舎にインド北西部から帰依してきた若い仏僧が北東部出身の先輩仏僧にたずねた。 「この祇園精舎もいいんですが、これから各地にお寺も建てないといけませんでっしゃろ?」 「まあ、そうだな」 「そうするとですな、お寺のグランドデザインちゅうか、基本設計を考えなあきませんやろ?」 「キミは洒落たことを言うねえ。うん、それで?」 「まずでんな、バラモンやヒンズーの寺院みた

どうなんだろうか?

どうなんだろうか? 「ヒンズー教と仏教の原風景」も十五話まで書いてしまった。 あくまで、私の解釈だが、できるだけ、仏教やヒンズー教の語られない話をかなり脚色して、インチキ関西弁で書いてみたのだが・・・ わかりますかね?どうでしょうか? 直球で論文調で書こうと思うと書けるんだけどね。 書くのも大変で、下調べはかなりしている。こんな文書もあって、 初期仏典(三蔵)の編纂(結集)と伝承(口伝と書写) こういうのも全部読んでいるんだが、この調子で書いても、読んでいる人は