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あるブログからの引用

明日公開するお題は二題書いてしまった。それで、ヒンズー教に関してさらに調べてみたら、あるブログに行き当たった。概ねいいことを書いているし、参考になる。しかし、ヒンズー教と仏教の原風景、これのⅠ、Ⅱを読んで頂くとわかるのだが、「アーリア人の侵略」などと平気で書いている。私は現地に仕事で行ったので、カイバル峠などいわゆる「アーリア人の侵略」など不可能、どう移動するのだ?というのがわかるのだが、この著者にはそれがわかっていない。現地に行かないと絶対にわからない、とは言わないが、紀元前、車輪を持つ移動手段も未発達で、ローマを侵略したハンニバルのアルプス越えよりもさらにキツイ地形で、どうやったら「アーリア人の侵略」などができようか?

歴史学者、歴史研究家は、得てして、分野外の地形、地理、天候、気象など地球物理的な現実を無視するのだ。脳内お花畑で歴史がわかるというのであろうか?さらに、カチンと来たのは、このブログで、「このインダス文明は現在遺跡調査が進められているが共産主義、社会主義を信奉する人々にとって嬉しい報告が届いている。それは発掘された遺跡の中で大規模且(か)つ上等な建物というのは全て住民用の施設であって支配者豪族達と一般住民の住居は平等で簡素な建物であるそうな」などと書いていること。インダス文明にマルクス・レーニン主義を無理やりこじつけてどうする?歴史に自分の信奉するイデオロギーを持ち込んでいただきたい無いですな。

その他、私にとってツッコミどころ満載。だから、URLなど公開しないこととする。

と、今日は引用だけにしておく。

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あるブログからの引用

天地開闢(かいびゃく)の始め高天原(たかまのはら)に現れて万物を創造し宇宙を主宰したと言われている神々は三神で天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)高皇産霊神(たかみむすびのかみ)神産巣日神(かみむすびのかみ)と呼ばれている。その中心である天御中主神は全知全能であり最高神ではあるが空であるというのが一般的な理解である。そしてこれは日本特有のカラ傘連判的な「和」の精神文化であると思っていた。
ところがヒンドゥ教に触れてみてその理解が誤っている事に気付いた。ヒンドゥ教はキリスト教の「聖書」もイスラム教の「コーラン」のような教書もなければキリスト(人間として地上に現れたキリスト)やマホメットといった歴史的人物も存在しない。凡(およそ)紀元前50世紀頃に始まるインダス文明の頃から土俗信仰として成長し天界空界地界の自然信仰であったようだ。それが紀元前18世紀頃から徐々に衰退してゆくインダス文明の中で「バラモン教」として定着していったようだ。
このインダス文明は現在遺跡調査が進められているが共産主義、社会主義を信奉する人々にとって嬉しい報告が届いている。それは発掘された遺跡の中で大規模且(か)つ上等な建物というのは全て住民用の施設であって支配者豪族達と一般住民の住居は平等で簡素な建物であるそうな。
そのインダス文明は紀元前15世紀頃になるとアーリア人の侵略により崩壊したようだ。尤(もっと)もそのアーリア人達もイランに定住した別系のアーリア人に追われてインドに逃れて来たのだが。そこでインダス文明を構築していたハラッパー人、土着のドラヴィダ族やムンダ族を支配下に置きあるいは抗争を持続しながらインドに定着してゆく。アーリア人というのは白皙(はくせき=色白)、長身でヨーロッパ血種であり、土着のドラヴィダ族、ムンダ族は肌黒で鼻が低かったようだ。その歴史の流れの中でアーリア人達はバラモン教を取り入れ統治に利用する事を考えた。
そもそもバラモン教は「業(ごう)」と「輪廻転生」が基本的概念でありこの世で為した業(カルマ)に起因して来世の輪廻転生が決まると考えたようだ。ヴェジタリアンというのは肉、魚はもしかすると自分の祖先、子孫の生まれ変わりかもしれないのでそれを食べる事はしないというものだ。これを不殺生(アヒンサー)と言うそうだが更に徹底すると球根野菜も食べないのが真のヴェジタリアンだという。何故なら鍬(くわ)等で土を掘り起こす際土中に潜む虫を殺さない為だと言う。祖先や子孫が前世で為した業によって虫に輪廻転生しているかもしれないと考えるからだ。しかし大いなる矛盾も存在する。
それは生贄(いけにえ)である。牛(インド瘤牛(こぶうし=ゼブ))や蛇(ナーガ)は神聖な生き物であるから殺さないが悪魔の乗り物とされる水牛や羊、山羊(やぎ)、豚等は平気で神の生贄として捧げる。バラモン教の初期は人間迄も生贄にされたらしい。不殺生と生贄が併立するのだ。ただこれを以ってバラモン教・ヒンドゥ教を批判してはいけない。宗教とはそういうものであるし、矛盾の無い宗教はこの世に存在しないと言っても良い。
そのバラモン教も紀元前5世紀頃になると釈迦が出現してバラモン僧を攻撃し始めたり仏教、シーク教、ジャイナ教がバラモン教に替わって庶民の信仰を勝ち取るようになった。この頃危機感を持ったバラモン僧達は様々な理論武装をしたり土俗信仰を吸収したりする事により少なからず変質してバラモン教からヒンドゥ教と名称をも変更したようだ。序(つい)でながら仏教はバラモン僧の苦行を否定し輪廻転生からの解脱を目指し、シーク教は偶像崇拝やカースト制度を否定し、ジャイナ教は無神論的で苦行を肯定する宗教である。バラモン教、否、ヒンドゥ教から物を言わしめれば仏教、シーク教、ジャイナ教は我がヒンドゥ教から別れていった異端児共であるということであろう。
そのヒンドゥ教は最高神が三神存在する。中心に立つのがブラフマーという世界の創造神であり梵天(ぼんてん)とも呼ばれる。ブラフマーの左に立つ神はヴィシュヌ神と言いブラフマーの創造した世界を維持する役目である。そして右に立つのがシヴァ神であり彼は恵みと破壊を受け持つ。ヒンドゥの世界ではブラフマーが創り、ヴィシュヌがそれを維持しシヴァが破壊しそれをまたブラフマーが創り直すという繰り返しが永遠に続くとされる。
このヒンドゥ教の最高神三体は三神一体とも言われまたそれぞれに数多の化身を持つ為化身も含めた神々の数は3億3000万体と考えられている。そしてヒンドゥ教の三大宗派と聞けばブラフマー派、ヴィシュヌ派、シヴァ派と考えるのが普通であろうが実はそうではない。宇宙を維持する神ヴィシュヌ、恵みと破壊の神であるシヴァ、この二神を崇拝する宗派は存在するが宇宙の創造神であるブラフマー(梵天)を崇拝する宗派というのは存在しない。もう一つの宗派が崇拝する神は女神カーリーである。カーリーはシヴァの妃であり本体は生殖と生産の恵みを与えるシヴァの妃としてのパールヴァティという名の女神なのだが破壊を司どるシヴァの別顔に添う軍神としての名をドゥルガーと言いそのドゥルガーが女神から恐るべき黒色の女神として分身するのがカーリーである。この女神カーリー魔人達を一挙に殺戮してその血を一滴余さず飲んでしまう程の豪の者であるところからヒンドゥ教徒からは大いに人気があり悪に立ち向かって負けることなくしかも平時は別顔であるドゥルガー、パールバティとなって生殖、生産の恵みを垂れ給うという事で三大宗派の偶像とされたのだろう。
ブラフマーは余りにも高遠(こうえん)、高邁(こうまい)に過ぎるのかもしれない。だから敬遠されたのだろうか。日本神話にも天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)が登場することは殆んどない。ある意味ではブラフマーも空なのかもしれない。それとも長い歴史の流れの中で途方も無い距離を伝わって来たインダス文明、バラモン教が日本に流れ着いて日本流の育ち方をしたのではないのかとも思う。
ヒンドゥ教を考えればアーリア人の侵略に始まりアレクサンダー大王の長征イスラム教、キリスト教に征服された時代もあり仏教、シーク教、ジャイナ教、ゾロアスター教等々ヒンドゥ教が淘汰されても不思議ではない歴史環境に置かれていたにも拘(かかわ)らず現在インド人口に占める八割強がヒンドゥ教徒であるというのは驚異である。しかもキリスト教イスラム教に次いで世界第三位の信者数を誇る。因みに仏教は全世界の仏教徒を合算してもヒンドゥ教徒の半数にも満たない。ということはカースト制度の是非を超えた魅力がヒンドゥ教にあるという事であろう。
戦前の日本は元寇と黒船来航以外外敵の侵入を経験することはなかった。それでもヒンドゥ教のような民族的な圧倒的支持を誇る宗教は育っていないように思える。がしかし日本の仏教、儒教、道教も一神教であるキリスト教、イスラム教も大多数の信者を持つ一大勢力に成長し得ない原因は全ての宗教が日本の大地を踏んだと同時に変質してしまうからである。あくまで一階部分は古神道でありその上に各々(おのおの)の宗教を重ねるから基礎部分を逸脱した発展は有り得ぬだろうと考える。その意味で日本の古神道はインドのヒンドゥ教と軌を一にしているのかもしれない。

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