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海外駐在から帰国したら浦島太郎になっていた

日本に帰ってきた。
“Welcome to Japan”
成田空港で出迎えをしてくれるマリオ。何度見てもこの光景が「日本に帰ってきた」という私の実感になる。とても安心する。ありがとう、マリオ。ありがとう、任天堂。

日本は夏季休暇の真っ只中だった。SNSで帰国したことを友人達に伝えると色々なコミュニティから遊びに誘われた。中学、高校、大学。BBQに海、音楽フェスにスポーツ観戦。昔ながらの友人と遊ぶと一気に日本に戻ってきたという実感を得られる。

約1年半。院卒2年目、25歳で海外赴任を経験した。とてもいい経験ができた。と思う。新規製品の設計業務、加えて自社工場への据付、試験までを経験させてもらった。なかなかできない経験だと思っている。
ただ、帰国すると27歳が目の前。まごうことなきアラサーである。これが院卒の弊害なのかと嫌気がする。

ご存知の通り、アラサーに与えられる1年半という年月は人生を進めるには十分すぎる期間である。大学生の頃、2年間も会ってなかった高校時代の友人に再会したところで、そこまで大きな変化はなかったように感じるが(当時は感じてたのかもしれないが)、社会人になってから2年間会っていなかった友人と再会した時の驚きは誰しもが経験しているのではないだろうか。
ただですら社会人になると過去の友人関係が希薄になりがちである。私としては半年に1回会ってたらかなり親密な方で、小学校の同期なんて今何をして生きているのかすら知らない。
そんな私が日本と時差のある国に約1年半いた。日本に置いてきたコミュニティと国交を断絶してしまったのだ。1年半ぶりの帰国。再会。完全な浦島太郎状態になっていた。

8月某日。海の近くでBBQをした。
「サークルのA先輩さ、東京にマイホーム買ったらしいよ」
江ノ島という幼少期から慣れ親しんだ景色を観ながら、大学時代の友人から聞いた。
「え、東京で一戸建てってめちゃくちゃ高くない?」
「建売だからそうでもなかったらしいよ」

社会人になってからというもの、私の友人はInstagramの投稿頻度が大学生時代と比較して激減した。もちろん、今でも投稿を毎日のように続けている友人もいるが、母数は確実に減った。これは“大人になったから”なのだろうか、“新しいものに触れる機会が減ったから”なのだろうか。はたまた、“もうストーリーでアピールしなくても人生が豊かだから”なのだろうか。理由はなんでもいいのだが、私はA先輩が結婚したことも、子供ができたことも知らなかった。駐在前には「同棲を始めたらしい」くらいの情報密度だった。

同じく、8月某日。久しぶりに高校部活動の同期とフットサルをした。
友人B「俺さ、10月に子供産まれるんだよね」
私「え、おめでとう。てか結婚してたんだっけ?」
B「お前が駐在したすぐ後くらいに」
私「そうなんだ。大学時代の彼女と結婚なんて理想的だね」
B「あ、その子とは別れたんだよね。新卒で配属になった名古屋支店のエリア職の子と結婚したんだよ。めっちゃ可愛くてさ」
社会人2年目〜3年目で“第一次結婚ブーム”という得体の知らないものが近づいてくることは知っている。何故なら、すでに学部卒の友人は私が大学院を卒業した頃には結婚ラッシュという波を興していたからである。ただ、院卒2年目の初め、誰も知り合いのいない海外へ渡った私は今でも社会人2年目の気分で気が付かなかったのだろう。“院卒”の“第一次結婚ブーム”が到来したのだ。

同じく8月某日。研究室の友人と音楽フェスに行った。
友人C「そうそう、俺9月から東京勤務なんだよね。戻ってこれたわ」
私「お前の会社って東京配属あったっけ?」
C「転職したんだよね。もう田舎はきついし、出来ることなら都会に住みたいじゃん?」
私「それはまぁ。転職おめでとう。いつの間に転職活動してたんだよ」
友人D「C君、転職できたんだね。本当におめでとう。俺も来年から東京住みになるから遊ぼうね」
私「え、Dは関西勤務だったよね?お前も転職したの?」
D「あ、いや。うちの大学の博士課程に入り直そうと思って。やっぱりアカデミアの道で挑戦したいって思ってさ」
私の友人達は、私が駐在をしている間に人生のキャリアを一歩、いや二歩は進めていた。友人として誇らしい限りだ。

夏季休暇の最後に実家に立ち寄った。
私「そういえば、サークルで仲良くしてもらったA先輩って覚えてる?東京に一軒家を買ったんだって」
母「懐かしいわね、A君。東京にマイホームなんて凄いじゃない」
私「高校のBは結婚して、しかも子供ができたってさ」
母「あら、昔からあの子は結婚が早い気がしてたわ。結婚式にはちゃんと顔を出しなさいよ」
私「大学のCとDは転職したり大学院に戻ったりしてたよ」
親へ自分の友人の話をすることにより、なにかしらの痛みを伴う日がくるとは思わなかった。ごめん、私の親。私は特に人生を進められてないかもしれない。

私「A先輩が一軒家買ったっていったけどさ、ちなみにうちの家っていくらくらいしたの?」
親「そうねー、まぁだいたい〜」

いくらかの独身アラサーが直面するであろう悩みの1つに、“仮に自分が結婚して子供ができたとして、自分の両親が自分に与えてくれた教育と同等の教育を自分の子供に与えられる気がしない”が悩みの1つとしてあることを願っている。少なくても私の悩みではある。加えると、少なくても自分にはそれは無理だ。

30歳前後で東京で数千万もする一軒家を購入し、子供を産んで育てて、小学生になったら莫大な教育費を払って中学受験の専門塾に通わせ、東京の私立中高一貫に入学される。大学どころか大学院までの教育費を払う。ざっと算盤を弾くだけで血の気が引きそうだ。

私の父親が結婚したのは今の私の歳、27歳だ。夏季休暇に実家に帰ったので父親に尋ねてみた。
「初めて聞くんだけどさ、結婚の決め手ってなんだったの」
「初めて“この人と家族になりたい”って思ったからだよ。この人が1番近くにいる人生だからこそ、生きていく価値があると思ったから、かな」
めちゃくちゃカッコつけられた気がするが、めちゃくちゃカッコいい。言ってみたい、そんなセリフ。もし言えたら、今頃私はゼクシィの編集者になれていたかもしれない。

とはいえ、男女ともにそんな人に私は出会ったことがない気がする。家族になりたいほど好きになった異性もいなければ、一生こいつと暮らしてもいいと思った同性もいない。独身の読者にはいるだろうか、そんな素敵な恋人や友人が。

駐在を経験して、皆より経験豊富になったという自負をもって帰国したはずだった。駐在なんてなかなか出来ることではないと思ってた。勘違いだった。みんなそれぞれが様々な経験をして、考え、行動していた。

私も頑張って自分の人生を進めなければならない時がきた気がするが、それにあたって最初に行動したことが“Twitterログイン”と“note執筆”の時点でまだまだ先は長そうだ。

End

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