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無用の長物

 何の役に立つのかわからないことを続けるのは至難の業である。人間のモチベーションというものは、明確なビジョンとかゴールとかが見えないとすぐに辞めたくなる。だが、何の役に立つのかさっぱりわからないことを続けることは、あとになってから以外なところで「やっててよかったんだな」と思えるものなのである。


 私は、学生時代に所属していたゼミで、たくさんの本を読まされた。夏休みに広辞苑のように分厚い経済学の本を要約してこい、と言われた時には絶叫した。先輩たちはそれを一度やっているので、「まあ、大変だけどがんばって…。」と同情してくれたが、終わらないとクビだと先生に言われてはもうやるしかなかった。


 やけになった私はバイトを減らしてとにかくその本を終わらせることだけに集中した。内容を理解しようとすると時間がいくらあっても足りないので、日本語的におかしくないような要約をすることでおよそ2か月の時間で終わらせることができた。


 それ以外にも、1週間のうちに学術文庫本を一冊読んで書評をしてこい、という時期があったり、2週間に一度5000字のレポートを提出してこい、という時期があったりして、本を読まなかったり図書館に行かない日がないような大学生活を送っていた。(プラスアルファでバンドやったりバイトやったりしてたものだから、何度もキャパオーバーで死にそうになったのは今となってはいい思い出。)


 正直、ゼミに入った当初は「こんな難しい本なんか読んでさっぱり内容理解できないし、読む意味なんかあんのかな」と思っていた。しかし、最近になって先生に言われたことをバカ真面目にやっていてよかったなと思うことが。私は、理解不能な本を読み続けて来たおかげで、人の気持ちを理解しよう、と努力することができるようになったのだ。


 難しい本を読むことで、「この本は何を言いたいのだろうか?」という思考が鍛えられ、親に注意されたことや、上司に言われたことも、素直に受け止められるようになった。「あ、この人は私にこうなってほしいからああいう言葉をかけてくれたんだな」と理解することができると、下手にイライラすることも減るし、ムカついてエネルギー使うことも少なくなる。読んだ本の内容が身についているとはさっぱり思えないのだが、ゼミのおかげでこういう副次的な効果もあるのだな、と学ぶことができた。


 今日の「コントが始まる」を見てそんなことを思い出した。売れるか売れないかはおいといて、自分たちの信じた道を突き進んできた時間はきっと何一つ無駄ではないのだろう。私はそうやって必死になって頑張ってきた人を馬鹿にするような人間になりたくないな、と思う。

カッコ悪いままであがいている人が、実は一番かっこいい。

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