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vol.6 ワイルド・サイドが私を呼んでいる

 ふらり、ふらりと来た道を戻ると、人だかりのできている店があった。気になって近くに寄ってみると、肌を焼いた筋肉質な青年が黙々とトウモロコシを焼いていた。有無にトウモロコシを焼き続ける青年に魅かれ、ちょうどお腹も減ったこともあり、この店で昼食を摂ることにした。


 大衆食堂の雰囲気が漂う店内は、ただ空腹を満たしに来た人たちがほとんどであり、目の前の食べ物に夢中であった。中には、昼間からビールを飲んでいる人もいた。奥の座敷に案内された私は、あぐらをかいてどかっと座り込んだ。水を口に含みながら飾り気のないメニューをめくると、三崎の魚を使った定食たちが現れた。昨日に引き続きマグロを食らってもいいかとも思ったが、なぜか無性にアジの塩焼き定食が食べたくなり、私はそれをオーダーした。オーダーを待ちながら、窓から吹き荒れる風を感じ、のどを鳴らしてビールを流し込む人を眺めて安堵している自分が不思議で仕方なかった。


 アジの塩焼き定食を完食した後、私は城ヶ島を後にするためにバス停へ向かった。バスに乗り込んだのはほんの数人であったが、後ろの座席に座った両親と共に来ていた少年が、「今この時間だから空いてるんだよ。絶対三崎港戻ったら人たくさん乗ってくるよ。」と言っていた。その少年はどうやら賢いらしく、来た道を覚えていてバスの曲がる方向を予想しては当てていた。両親は聞き流していたようなので、そっと面白い少年の話を聞いた。


 三崎港にたどり着くと、少年の予想通り、バス停には大行列ができていた。マルシェで土産物を買いたかった私は座席を立ってバスから降りた。私以外にも数名降りる客がいて、少年は、「ええ。ここで降りる人なんかいるんだ。」と理解できない様子を示していた。―少年よ、君の頭はたいへん賢い。将来が楽しみに思う。ただ、合理的に行動するだけが人間ではない、ということをまだ君は知らないようだ。―


 マルシェで切り干し大根と無添加ジャムを購入し、しぼりたてジュースとトロまんを食して満足した私は、三崎口駅に戻るために先ほど下車したバス停に向かった。相変わらずバス待ちの列は長かった。15時前後だったこともあり交通量も増え、片側一車線しかない道は、渋滞を起こしていた。


 三崎港のバス停から乗るのは難しいと考えた私は、徒歩で一つ前のバス停に戻ってそこから乗ることにした。ガラス張りの介護施設で懸命に運動をする老婦と目が合い、会釈すると、彼女は嬉しそうに笑った。バス停にたどり着くと、私と同じことを考えたらしき二組の中高年夫婦が先にいた。時間から若干遅れてバスが止まると、すでにバスは満員であり、座るのは到底難しそうだった。一緒に並んでいた老夫婦は残念そうにしていた。


 一つ前から乗ったとはいえ、三崎港で人がさらに乗り込んできたこともあり、バスはすし詰め状態となった。さらに道路の渋滞のせいでバスは進んでは止まって、を繰り返した。なかなか進まないバスと、店員超過の圧迫感が徐々にストレスとなってゆき、このまま乗り続けることが身の危険だと感じた私は、駅はまだ先にも関わらず、途中下車をした。馬力は格段に落ちたが、何よりも開放感が心地よかった。


 じわじわと暑さが襲ってくる中、水分をこまめに摂りながらゆっくりと歩みを進めていった。駐車場が無駄に大きいロードサイド店舗とのどかに広がる畑の景色は、日本の田舎そのものであり、神奈川県だって横浜と川崎以外はこんなもんだよな、と思うと笑えてくる。


 ようやく駅まであと一息、というところで、一面に広がるキャベツ畑に惹かれ、吸い寄せられるかのように畑の敷地内に足を踏み入れた。入って大丈夫なところなのかさっぱりわからなかったが、前に犬の散歩で入っている人がいたのできっと平気だろうと思い、寄り道を始めた。


 世間はゴールデンウィークにも関わらず、農家の方々は懸命にキャベツの収穫作業をしている。私はスーパーで春キャベツが安く売られていたのを思い出し、心の中で深々と頭を下げた。前方からトラクターが走ってきて脇によける。トラクターを運転していたのはなんと30代くらいの女性だった。かっこいい仕事をしているな、と直感で思った。


 キャベツ畑から見える海の景色が美しいな、と思いながらふと我に返る。そういえば私、バス通りすらも外れてキャベツ畑のど真ん中を歩いている。バスを途中下車して駅まで向かう発想もなかなか普通じゃないが、まさかキャベツに囲まれることになるとは。ああ、そうか。私はこういう人間だった。目的地も特に決めずに、自分の心が動く方向へ勝手に動いていく。その道がたとえ、普通の人間が選ばないような道であったとしても、「そこに行きたい」と思ったら迷わずそこに行く。私は、ワイルド・サイドに呼ばれている。


 だから、「どうしたい」のか、「どうなりたい」のか、なんて、わからなくて当然なのだ。結局私は、「行きたいと思うところ」にしか行けないのだから。そう思うと、バスを降りて歩いた道も、いま歩いているキャベツ畑も、立派な私の道なのだ。ゆっくりなペースでも、脇道に逸れても、道は必ずどこかに続いている。まるで、人生のようだ。そうだ。私の人生はまだ始まったばかりだ。


 キャベツ畑を抜けて、駅にたどり着いた頃にはすっかり日が傾いていた。昨日私が三崎にやってきた時間に近い。帰ろう。そう、帰ろう。すべてが解決したわけではないけれど、私は私の場所に帰らなくてはならない。


 すべてが思い付きだったこの旅は、私の生きる道を再確認させてくれた。頭の中で、GLIM SPANKYの「サンライズジャーニー」が流れる。レスポールの快音が、旅の始まりを連想させる中、私は帰路についた。

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