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アニキ 拝啓 ILL-BOSSTINO様

いつか貴方に会えるときが来たら一度でいいからアニキって呼ばせて貰いたいって思ってるんすよ。



私にアニキはいない。

妹と歳の離れた弟がいる。

兄や姉という存在に憧れたことは無い。

年上の男性っていうのは、「いい」らしい。
女友達は口を揃えてそう言う。
私には分からないそうゆう「いい」ツボがあるんだろう。

年上の男性といて楽でいいな、と感じたことが無い訳ではないがだからなんだというかんじだ。

これはどうしたものか、、、。
何故「いい」と思わないのか分からないのだ。

素敵なお店に連れて行ってくれても、何かに対しての相談への答えも、だからなんだよ、みたく斜めに見ているようなクソ生意気な自分というのがいる。

ただ、アニキの言葉は私に重く響く。
いつもは忘れているんだけど、確かにソコにある御守りみたいな存在だ。
アニキの言葉を借りればメンタルレメディーってやつか。

積もった雪が土に徐々に溶けてゆくように年月をかけて私の中に浸透した数々の言葉。

その言葉に胸が震える。
景色が見える。
コレは共感なのか?
どこか違う気がする。
言葉や彼が持つ強さみたいなものに引き上げて欲しいと思っている。
憧れているのだ。
出来れば届かない存在であって欲しいと。


私がアニキの存在を知ったのは、まだ地元で暮らしていたときだったと思うから10代の頃、、、?

妹が買ってきて聴いていたCDそれはTHE BLUE HARBの「STILLING,STILL DREAMING」

だった。

当時の自分にはヒップホップやラップというものにほぼほぼ面識が無く、なんなんこれ?と、好んで聴くようなことはなかった。

ただ、同じ雪深い地の育ちで何処か伝わるような部分があったのだろう。

その、深く、重い言葉の波は冬の空気冷たさや北風、近寄るのが怖いとすら感じる真冬の海のようだった。

そして上京した私は沢山の音楽に触れることになり、聴ける音楽の幅も増えた。

ある日、ハッパーズオールスターなる催しが代々木公園であるという。

今思えばあんな豪華な面子のフリーイベントだなんて絶対に見逃せないじゃん!と思うが、当時はあまりダブとかレゲエとかヒップホップ、、、興味なかったのだ。
無かったが、行ったのだ。
足は軽いぜ。

そこでTHE BLUE HARBと再開するのだ。

ライブを観ても、妹が好きな人達じゃん、な私だった。

ドラヘビのリクルマイちゃんが「もっとバイブを、、、!」とマイクで叫ぶ声だけが私のあの日の記憶の中でハッキリとしている確かなものだ。

それからもう何年もたった。

アレは嫌だ、コレはカッコ悪い。
毛嫌いしている物やコトが年齢や経験と共に勿体無いと思えてきて、物事をちゃんと知ってみようと思えるようになってきた。

その一つに日本語ラップというものがあった。

その「苦手かもしんない」という垣根を取っ払ってみたらどハマりしたw

今は日本語ラップと言っても色んなタイプの人達がいて、自分が子供だった頃に比べたらラップというものが割とお茶の間にも入り込んでいる時代だと思う。

そうゆう部分で完全に苦手だったオラオラとしたラップにもすこーしづつオブラートを重ね、いやむしろ好きだし!になれたことは今は嬉しく思う。

不思議なもんで、きゅんきゅんするガールズ要素強めの曲はそう言えばあまり聴かないのかもしれない、と今書いていて思った。
昔はそんなこともなかったのだが、、、。

思い返せば、強さが欲しかった頃があった。

弱い自分では乗り越えられないときがあった。
それは多分離婚して、シングルマザーになったとき。

揺らいだままの弱い自分では乗り越えられないことが沢山あって、強さというもののモデルが欲しかったのだと思う。

そんなに誰とでも上手くやれるタイプじゃない。
問題があると正面から取り組んじゃう変な真面目さが、こんがらがっているのがたまらなくキツかった。

私は男ではない。
だから、漢気ってやつはよく分からない。
ただ、それを感じることは出来る訳で女としての男の人がこうだったらいいな、という漢気への妙な憧れ、ってやつはあるのだ。

そこにドンズバでハマってくるのが、THE BLUE HARBのラッパー、BOSS THE  MCこと、ILL-BOSSTINO氏。

先日、配信で2021のフジロックでのステージ拝見させてもらいました。

ステージの上の貴方ほど漢を感じる漢はいないのです。

貴方の言葉が、今の状況が、どう動いたら正解なのかがまだ分からない自分の上に降り注いできて涙が出ました。

自分もまだ間違ってるんじゃないか、って思いながら話している、という貴方の言葉の真っ直ぐさが、胸を掴む。

不信感しかない、政治家という人達に向かって頭を下げる貴方に頭が下がります。

言葉に重力を纏わせるのが北の流儀?

沢山のライムの中にグッとくる言葉があり過ぎて一言では語れません。

短い夏。
長い冬。

雪深い国の貴方の生活はどんなんでしょうか。

パーカーのフードを深く被る、そんな姿の想像のワンシーンは雪景色と共にあって。

自分の中の北国の記憶。
痛いくらいの北風。
雪なんて当たり前の深い白い景色。
心と共に静かに積もる沢山の結晶に見る美しさ。
ホワイトアウトの中の運転。
ダウンとボアのブーツを装着して呑みに行く友達の顔。

最初の頃と今、確かに違いはある。
でも貴方は「好きにしな」と言っていて、私はいいとこ取りでアレも好きだしコレも好きでいられて幸せだなぁと思う。

ド重たいビートがどかっと効いてて出だしからたぎる『BOSSIZM』

スピリチュアルラップなんて言われるTBHの世界観ガッツリきめてくれてる『智慧の輪』



まるで故郷の駅なんじゃないのかと錯覚する言葉と光景に目頭が熱くなる『バラッドを俺等に』


細かい部分をきっちり聴くとキリがないのだが、THE BLUE HARBはチャラさが無い。
もー、全然無!

そこがおそらく、私の感じる漢気とリンクするんだと思う。

そこは多分、雪国の無骨な男たちを子供の頃からみてきたからなんだと思う。

やることはやんねえとダセえってことをやり遂げてきた男像。
逃げずに筋を通す男。
この人だったら、期待ってものを寄せてもいいのかもしれないと思える男はなかなかいない。

そんなに強い女でありたい訳じゃない。
ただ強くないとやってられないのだ。
誰かに何かを委ねられる、そうゆう心のゆとりに憧れているのだ。
私の望みは高いような気がしてさえいる。

そう言えば、割と近距離でライブを観れたのは沼津でのことだった。

ライブは凄まじく良く、なんだコレは、、、完全プロっす、、、!と驚きをくれるほどの圧をくれた。

吐き出す白い息がまるで煙になって冬の空と馴染むそんなイメージで、私の弱さを溶かしていって欲しい。

いや。
弱くても大丈夫っしょ、と本当は言ってほしいのかもしれない。

まだまだ続くと思われる私の人生。

1番いいのはまだきてない。
だからこそ、まだやれる。

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