18歳の旅立ち
今朝、18歳の息子が北海道へと旅立って行った。
ここ、静岡県三島市ではソメイヨシノが咲き、薄いピンクの花びらが山々の緑から顔を覗かせ心を明るくしてくれる最高の季節がやってきている。
この日が来るのをほんの10年前まで私は待ち遠しく思っていた。
子供ってやつは手がかかる。
一体いつまで一緒にいるんだろう。
一体いつまで面倒をみるんだろう。
私が1人の時間はいつになったら来るんだろう。
そう思っていたのはつい最近のことのようでいて、随分と遠い昔のことのようだ。
高校を卒業したら親元を離れて1人でやっていくんだよ。
と言ってきた。
しかし、いざその時が来たら私の気持ちは大きく傾いていた。
いなくなっちゃうんだ。
と北海道行きが決まってからぼんやりと思っていた。
出発の前日になっても実感などなく、ただぼんやりといなくなっちゃうんだ、最後なんだ、と全く浸透していかない言葉を自分に言い聞かせた。
兄弟たちにも「これが最後だね。」という言葉をかけるたびに心に黒い鉛筆のカスみたいな濁りがジワジワと蝕んでゆくかんじがした。
にいにとお風呂入るの最後だね。
最後にサッカーやっておいでよ。
写真最後だから撮ろう。
最後最後。
最後ってなんだ。
なんの意味があるんだ。
この家族での日常の最後?
巣立って行った彼が戻ってくるのは非日常?
もう頭がこんがらがってる。
彼は私の隣にいつもいてくれた。
片親で育てた分、寂しい思いや我慢をさせてきただろうし、こんな支離滅裂な母親を助けてくれて完全にケアラーじゃんと今では思う。
学校の天井をぶっ壊したり、水道を全開にして廊下にぶち流したり、ガラスの水槽にグーパンして水槽を割ったり、彼の逸話は数限りなくあって小学生の頃は電話が鳴ったと思えば着信の表示は「学校」ばかりで「またかよ」と顔がこわばる日々だったのは今ではすべらない話しになっている。
2人で色んなところに行った。
自転車で、バスで、電車で、飛行機に乗って。
裕福な家庭ではなかったけれど、どうしたら2人で楽しめるか週末ごとに考えていた。
君の行きたかった場所へは連れて行ってたかな。
毎日楽しく暮らせていただろうか。
食べることに興味を持って欲しくてご飯は頑張って作っていたんだよ。
今日のご飯は何?
っていつも楽しみにしていてくれた小学生の頃の君のまま、高校生になっても楽しみにしていてくれてありがとう。
一緒に過ごした日々のどこをすくい取っても今は美しい思い出になっていて、辛かった日々も全部全部ありがとうって思ってしまうのは歳のせいかな。
18歳になって自分の人生を歩み始めたんだなぁという行動が増えて、随分と大人になったなぁなんて思っているうちに巣立ってしまった。
君がいない日々はぽかーんと穴が空いちゃったみたいでまだ全然慣れないよ。
あの頃の私が思い描いていたように彼は成長したのに、まだぐずぐずと子離れ出来ない自分に驚きだ。
と、くるりも歌っていたけど、こんな気持ちどうしたらいいんだろう。
まとわりつく、こんなウェットな気持ち早く消えてほしい。
外は桜。
君が初めて染めた髪の毛もソメイヨシノみたいに綺麗なピンク色でなんだか桜を見る度に切なくなるよ。
通販で買おうと言っていた布団セットも、直通で向かえたはずの飛行機のチケットも、メルカリで落としたこたつも何もかも間に合わなくてごめん。
2人で暮らしたあの10年はほんとについ最近のことで、今でもあのグリーンのチャリンコで狭い路地裏を走ってる姿が見えるようだよ。
ハートって多分、本当にあるんだ。
だって胸のあたりがキューってなって、切なくてやりきれなくなるんだ。
いつかは君がいない生活にも慣れて、懐かしい顔が帰ってくるのが楽しみになるんだろう。
春の嵐は吹いて吹いて吹き荒れて、私のセンチメンタルも乗っけて何処かに消し去ってほしいよ。
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