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【Vol. 13】合わない歩幅も悪くない

合わない歩幅を無理に合わせて前に進むのはしんどい。けれど、互いの歩幅の調節を共に楽しめる相手なのならば、誰かと関係性を深めるのも悪くないのかもしれない。

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今まで連絡ツールとして使用していたSNSアプリで急にわたしと連絡が取れなくなったことに気が付き、手間隙をかけて、わたしの大学のメールアドレスを探し出し、メールにて丁寧な連絡をくれる友人。

昨今では親しい仲間同士でのやり取りとしては古典的となった「メール」でのコミュニケーションを「懐かしいね」と言って共に楽しんでくれる友人。

こちらからお願いした訳ではないのに、別のSNSアプリで新たなグループチャットを作ってくれる友人。

わたしのために自らLINEをダウンロードしてくれる現地の友人。

あらゆる手段を駆使してわたしの身の安全を確認するメールを何度も送ってくれる友人。

旅先で捉えた美しい写真をアルバムにしてLINEで共有してくれる友人。

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画面の中に埋め込まれた他者が生きた過去に自らの時間を費やす、いまのこの時間を、目の前にいる人や目の前にある景色に費やしたいって思って、ほんの数人にだけInstagramをお休みすることを伝え、静かに姿を消した。

そのなかで、不覚にも自分の知らないところで、自分を想ってくれている人たちがいることに気が付くことができて、温かい気持ちになった。


Instagramでボーッとしながらスクロールダウンし、ボーッとしながら絶え間なく更新されるフォロイーたちのストーリーを見る。

私たちがInstagramで見る人びとの日常は、ほとんどの場合、人生のあらゆる側面のうちのいわゆる”美しい“ところ。

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自分に問うてみた。

・わたしは、無数の他者が仕立て上げる、わたしではない他の人たちの”理想“を無意識的に自分の人生観に投影していないだろうか。

・異なる他者の”理想”に惑わされて、自分が大事にしたいフィロソフィーを見失っていないだろうか。

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セメスター留学(1学期間だけの留学)をし終え、祖国に帰国した友人と連絡を取り合っている時、その友人がわたしにこうメッセージを送ってきた。

「(和訳)夜遅くまで共に語り合って、あなたを寮まで送っていたあの頃が懐かしい。もう一度で良いから、あの時間が戻ってくればいいのにな。」

ちょうど先月、人生のほとんどを共にした、わたしの人生の一部だった大切なひとを失った。

エディンバラ大学のあるひとつの授業で出逢った友人との別れ、人生の一部だったかけがえのない大切なひととの死別。2023年の1月は、わたしにとって、決して忘れることのできない月になるのだと思う。

そんな1月の下旬、わたしは急に不安になった。

スマートフォンで絶え間なく流れ続ける他者の日常を見るために、感情を無にしてスクロールダウンしているこの時間、いま見えていない或いは気が付いていない大切な何かを見落としていないだろうか。真顔でスクロールダウンするこの時間、ランダムな他者の過去を生きるこの時間に、自分を大事に思ってくれているひとや自分が大切にしたいと思うひとともっともっと丁寧に向き合いたいと思った。

気が付いたら、今まで多くの時間を費やしていたSNSアプリを削除している自分がいた。

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最初は孤独感を抱くことを想像していたけれど、待っていたのは、いまある時間とその空間を嗜むこころの余裕、わたしのことを想ってくれている人たちと丁寧に育む日々、穏やかな日常でした。

異なる他者が投稿した写真のみから相手を恣意的に想像し、その想像の中で妄想するのではなくて、相手から直接的にもらえる「ことば」で、少しずつ、丁寧にその人のことを知ることができる地道な営みが、わたしの性には合っている。

すべてを単純化させるのはラクで簡単だけれど、それだと大事なコアな部分を見落としちゃう。

わたしなりのデジタルデトックスをはじめて、早くも約1ヶ月が経った。調子はすこぶる良い。

しばらくの間、この生活を続けてみようと思う。


一人ひとりの歩幅はみんな違うけれど、異なる歩幅を合わせようとするその瞬間を共に楽しめる人たちがいること、またその快楽に気が付けたのは、デジタルデトックスという方法であらゆる無数の束縛から自らを解放することができたからだと思う。

合わない歩幅も悪くないのかもしれない。

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自分が愛するひとにはどんなにふかい愛を注いでも、注ぎ足りないんだね。いろんな角度から君を見て、朝起きたら力強くギューってハグをして、寝る前には顔をギューって擦り寄せて「今日もだいすきだよ」って伝えたい。毎日毎日、あなたを想っているけれど、いくら想っても想い足りないと思っちゃうんだ。想えば想うほど、しあわせな気分になる一方で、胸がギューって苦しくなる。

それでも、今日もわたしは、あなたとあなたと生きた日々を思い出すんだ。狂おしく、鮮明に、わたしの記憶を今日も埋め尽くす。

あなたが虹の橋を渡ってから、もう1ヶ月が経ったんだね。元気にしていますか。
今日もわたしは、あなたに会いたい。

2023年2月16日 (特別な写真と共に)

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