絶罪殺機アンタゴニアス 第一部 #75
実際のところ、これはシアラの穢れなき魂が生んだ奇跡、などではない。
二人の「青き血脈」から相矛盾するコマンドが為されたとき、〈無限蛇〉システムはタスクを一旦凍結して、どちらかの命令の撤回を待つ。
撤回がなかった場合、通常行われている七十二時間の稼働時間カウントののち、自動的にシャットダウンする。コマンドはリセットされ、再び「青き血脈」からの命令を待つ。
ゆえに――
これは特段、奇跡でも何でもなく、「当然の結果」と言うべき出来事だった。
肉虫たちが、動きを止めた。
「あ……?」
ゼグは茫然と、軽機関銃を取り落とす。腕が痺れていた。
生き残った重サイバネたちも、困惑しながら周囲を精査している。
火傷の少年は、忘我の面持ちで佇む小さな淑女を見やる。
「どこか、いたいんですの? かなしいんですの? わたくしに、できることはございますか……?」
遠くを見ながら。
両腕を広げながら。
ここにいない誰かと、話している。
「お、おい? もしもし?」
顔の前で手を振るが、反応はない。
●
アメリ・ニックラトル・ヴァルデスの癇癪は、収まりつつあった。〈無限蛇〉システムからフィードバックされてくる電子的な「手ごたえ」に、奇妙な感触が混じり始めていたから。
おずおずとこちらに触れてくる、小さな小さなてのひら。
アメリは「手ごたえ」をそのように感得した。押しつけがましくはないが、強い意志を感じる。
自分の腰に抱き着いてくる、小さな女の子の体重と匂いを、確かに感じ取った。
とっさに反応ができなかった。
混乱。狼狽。目を白黒させ、思わず身を引こうとする。
あまりにも唐突だったから。
焦がれ、渇望し、渇き、求めて止まなかったもの。
どれほど手を伸ばしても、決して与えられなかったもの。
あぁ、いまはもう、こんなにも近く。
アメリは、ゆっくりと手を伸ばし――女の子の首に手をかけた。
愛を得んがために。
――愛の証明とは何か。
愛とは決して互助関係であってはならない。
相手のために命を捨てても良いと躊躇なく言える感情の、向け合いである。互助関係などでは断じてない。相手が愛を向けてくれなくば、相手のために命を捨てられないのだとしたら、それは愛ではない。欲である。
こんな当たり前の理屈から背を向け、ぐずぐずと温い関係性に甘んじようとする世界を、アメリは受け入れることができなかった。
――あなたを愛している。あなたのために死ぬ。
――だから、あなたもわたしのために死んで。
アメリにとり、人と関わるとはそういうことで。
それを証明できないと不安でしょうがなく。
だから父親を殺し、だから我が子も殺し、だから夫は逃げた。
だから、お母さんも愛している。
〈無限蛇〉システムの電子的交感ごしに、アメリは女の子の首を絞めた。実際に、物理的に絞殺することはできないけれど。
そうされるのとおなじ苦しみは、届けられるはずだから。
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