葛藤系自虐独裁者ダルヴァレス
後世に伝えなければならない。
なんとしても伝えなければならない。
私は目の前に映るこの惨状を、委細漏らさず書物にしたためねばならない。
こんなものを許すわけにはいかない。
絶対に。
私は急いで羊皮紙を取り出し、目の前に広がるこの光景を、詳細に書き記すことにした。
最初は描写から。
かくもおぞましい眺めを描き出すのに、さほど語彙は必要なかった。
最初の言葉は――そう、「そこはまるで地獄でした」にしておこう。
それ以外に、言いようがない。
●
そこはまるで地獄でした。
炎の矢を射かけられ、成すすべもなく燃え盛る家屋。
周囲には無数の死体が転がっていました。
いずれも武装などしていない、無力な農民たちでした。
虐殺です。
男も女も、子供も老人も。
一切の区別なく、皆殺しでした。
剣で斬り殺され、槍で突き殺され、騎兵の馬蹄に踏み潰され、体から何本も矢を生やし、投石機による岩の直撃で打ち砕かれ、恐怖と苦痛の表情で。
――怒りと絶望の表情で。
彼らはことごとく息絶えていました。
「見たか! 愚かなる民草よ!」
そのただなかに、一人の男が立っています。
血まみれの剣を携え、哄笑を放っています。
「これが王の意志である! 貴様らは我が王国にいてはならぬ害毒なり!」
そして大きく剣を振り、血を飛ばしました。
虚飾にまみれた甲冑が、彼の身分を現わしています。
彼は、国王なのです。
「ゆえに殺した! 皆殺しだ!」
鞘に収めながら、ふたたび哄笑を撒き散らしました。
そのさまは、悪鬼ですら目をそむけるほどに、醜く歪んでいました。
●
この酸鼻な光景を書き終えると、私はひとつ息を吐いた。
我が国王は、辺境にある平凡な農村をひとつ丸ごと滅ぼしたのである。
正気の沙汰とは思えなかった。
彼らが、一体何をしたというのか。
私は、その光景を見ていた。目に焼き付けていた。そして、それまで国王に抱いていたイメージが、音をたてて崩れてゆくのを感じている。
彼は、よく近隣諸国に戦をしかける王であった。そのことごとくに勝利し、多くの国を併合し、彼の王国は並ぶもののない大国となっていった。
また、内部に対しても苛烈で、権力の中に不正や腐敗が発生すれば即座に関係者を皆殺しにする王であった。厳しい処置が功を奏し、有能で忠実な者のみが宮廷で生き長らえる結果となった。
だから、私はこの王を英雄だと思っていたのだ。真に国のことを思い、民草を富ませようとしているのだと、愚かにも勘違いしていたのだ。
――とんでもない誤りであった。
彼はただの殺人嗜好者だ。
ただ人を殺したいから他国に戦を仕掛け、ただ人を殺したいから臣下を些細な理由で処刑し――――ただ人が殺したいから、何の罪もない自国の村を焼き打ちにしたのだ。
見下げ果てた暴虐の王。
そしてそれは、私も同罪だ。
ひたすらに武芸にはげみ、騎士として叙任を承ったのは、こんなことのためではないのだ。
不名誉な血に汚れた己の剣が、ひどくおぞましいもののように思えてくる。
……私に、王を倒す力などない。
彼の武勇は、人の領域を超えている。人格面でどれほど欠陥だらけであろうと、それだけは動かしようのない事実であった。私が刃を王に向けたところで、討ち取れる可能性など万に一つもない。
だから、せめて記録に残すのだ。
彼の悪行を、決して風化させぬために。
私は何食わぬ顔で王のそばに戻ると、凱旋につき従った。
●
十数名の老人たちが、磔にされていました。
いずれも瞳の奥に叡智を湛え、穏やかな眼差しで前を見ています。
かれらの視線の先には、王が立っていました。
「覚悟は、出来ていような」
王は言います。すでに何人の血を吸ったのかわからぬその剣を抜きながら。
老人たちは聞こえているのかいないのか、ただ穏やかな眼差しを王に注いでいます。
「王よ、さあ、お早く裁きを」
王の傍らにいる、冷たい顔立ちの文官が言いました。
鼻を鳴らすことでそれに答えた王は、老人たちに向き直ります。
「さらばだ。我が有能なる臣下よ」
そうして老人たちに歩み寄り、一人ずつ、その首を刎ねていきました。
殺人の歓喜が全身を駆け巡っているのか、その体は細かく震えていました。
全員を斬り終えた時、王は狂ったように笑いました。
返り血に塗れながら。
●
私は忸怩たる心持で、老人たちの遺体を荼毘に付した。
彼らは有能な家臣たちであった。古来より伝わる星詠みの技に長け、代々の王たちに様々な助言をしてきた占星術師の一団である。
――容赦など、なかった。
王は突如として彼らを捕らえ、裁判もなく処刑したのである。
王国の法に照らし合わせてみても、おおよそ考えられぬ蛮行であった。
彼が何を考えているのか、まるでわからない。
●
「おやめください」
美しい衣装に身を包んだ女性が、涙ながらに訴えます。
彼女は身を屈め、一人の少女を抱き締めていました。
「ならぬ」
殺戮の王は言いました。
頬は歪み、残虐な笑みを形作っています。
「子供に何の罪があるというのです!」
女性が叫びました。
腕の中の少女は、哀れなほど震え、かちかちと歯を鳴らし、今にも叫びを上げそうでした。
「余に逆らった罪だ」
剣を抜きながら、王は言います。
ゆっくりと歩み始めます。
わざと彼女たちの怯えを助長するかのように、ゆっくりと。
「人としての情はないのですか! お慈悲を!」
「関係ない。死ね」
左右から兵士が進みでてきて、女性を強引に子供から引き剥がしました。
「おやめください! ……やめて!」
女性は腕を掴まれながら泣き叫びました。
取り残された少女に向かって、王はなおも歩みを進めます。
恐怖のあまり尻餅をつく少女。
「どうした。隠し持っていた武器で余に立ち向かうくらいの気概は見せてみろ」
しかし、少女はいやいやと首を振りながら後ずさるばかり。
王は馬鹿にしたように鼻を鳴らします。
「興ざめだな。もういい」
無造作に剣を一閃させました。
少女の首が飛びました。
紅い飛沫が噴き出しました。
女性の絶叫が劈きました。
王の哄笑がすべてを塗りつぶしました。
やがて、兵士に引っ立てられて、王に憎悪の言葉をぶつける女性がいなくなると、王はひとり、少女の首なし死体を眺めました。
いつまでも、眺めていました。
●
そこまで書いて、筆を置く。眉間を揉みほぐし、溜息を吐く。
情景を思い出すのも苦しかった。だが、逃げてはならない。王の魔性を、記録せねばならない。
……鬼畜の所業とはこのことだろうか。
もはや抵抗の意思もない、ただ怯えるばかりであった子供を、何のためらいもなく……
王にとっては、姪にあたる少女だった。
私は、いまだに自分の目を信じることができない。
肉親すらも、彼にとっては刃を止める理由にならないのか。
人として最も失ってはならないものが、彼の中にはひとかけらたりとも残っていないというのか。
もはや支配者失格という次元ではなく、人間として失格である。
彼の胸には、膨れ上がる殺意しかないのだ。
国民の間では、彼を英雄王として祭り上げる風潮が盛んらしい。
彼らは知らないのだ。自分たちの王が、どれほど獰悪なる本性を隠しているのか。
このままでは、彼は希代の名君として史書に名を残してしまう危険すらある。
……それだけは、絶対に阻止せねばならない。
彼の凶行を記録し、後世に伝えねばならない。
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黒煙が漂う戦場でした。
無数の屍が転がっています。
そんな中、王は自らの陣中でふんぞり返っていました。
今回の戦も大勝でした。
目の前に、敵国の王が引っ立てられてきました。
「死に損ないになどなりたくはない。殺せ」
「心得た」
ろくに言葉も交わさぬうちに、王はその首を刎ねました。
お決まりのように笑い声を上げます。
そしておもむろに、懐から何かを取り出しました。
それは、羊皮紙の束と、筆でした。
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度し難い男だった。
王は、自らの国の貧しさに耐えかねて立ち向かってきた勇敢なる異国の君主を、慈悲もなく斬り捨てたのだ。
もはや言うことはない。
この男こそ、外道の中の外道。
どんな手段を払ってでも、打ち滅ぼさなければならぬ存在なのだ。
私は、愛する故国をかくも血で穢したこの男を許せない。
たとえ私の代で彼を打倒できなくとも、いつの日かこの記述を読んだ歴史家が、彼を人類史上最悪の暴君である事実を伝え、公開してくれる日が来ることを信じて。
何年かかるかはわからない。
少なくとも、この男が生きているうちは、自分にとって都合の悪い事実が広がるのを許すはずはないのだろう。
彼に連なるであろう王朝も、祖先の恥を公にするつもりはないのだろう。
だが、例え千年の時が経とうとも、この男の罪は消えることはない。
私が、それを許さない。
殺された人々の無念が、千年の怨讐となって、彼を罰するのだ。
●
敵国の王の首なし死体を眺めながら、王は傍らの机で書き物をしていました。
「また、そんなものを書いておられるのですか」
王のそばに仕える文官の一人が言いました。
王は顔を上げ、深い溜息をつきます。
「どうにも文才がなくていかんな。悲惨さがまるで出ぬ」
そばの机に筆を置き、さっきまで自分が文章を書き記していた羊皮紙の束を眺めます。
それは、王の所業を糾弾する内容の文章でした。
「やはり、専属の詩人でも迎え入れるべきであろうか」
「何度も申し上げた通り、陛下はそのようなことをなさる必要はありません」
側近は、冷たい口調で言います。
「辺境の農村を焼き打ちにしたのは、そこで蔓延していた疫病に対し、他に打つ手がなかっただけです。ああしなければ、国中に死病は広がっていました」
王は眉をしかめました。
「やめろ」
「占星術師たちは宮廷の病巣でした。怪しげな占いでいい加減なことばかり言い、幻覚を見せる秘薬をばらまき、どれほどの王や貴族たちが道を踏み外してきたことか」
「やめろと言っている」
王の声に苛立ちが混じります。
「陛下の姪という立場でありながら、病的な野心にとりつかれ、暗黒の邪神の力をもって陛下を弑し奉らんとしたかの娘の狂気は、もはや命を奪う以外にとめる方法などなかったと言わざるを得ません」
「……黙れ」
王の手が毒蛇のごとく跳ね上がり、文官の口元に食らいつきました。
瞋恚の焔が、王の眼光を赫々と滾らせました。
「その考えこそが、独善を生む。仕方がなかった。方法がなかった。他にどうしようもなかった。そんなことを嘯きながら成されてきた悪のなんと多いことか」
そして、足もとに転がる敵国の王の屍を見やります。
「余は、あまりにも殺しすぎた。他にどういう解決策も見いだせなかった愚かしさも含め、余の行いは賞賛されてはならんのだ」
そして、乱暴に文官を解放しました。
「……それゆえに、わざと他人を装った文章を残し、自らの評判を下げようと?」
「英雄王などと持て囃す民草の声が、もはや遠まわしな怨嗟にしか聞こえなくなってしまったのだ」
王はそうしめくくると、羊皮紙を懐に戻し、側近に命じました。
「この骸を故郷に送り届けてやれ。丁重にな」
「……女々しいことをなさるな」
側近は冷たい相貌をわずかに歪め、王を面罵しました。
「自虐に逃げれば、さぞや悲劇の英雄として自己陶酔できるでしょう。批判を封ずることもできましょうな。貴方にそんなことが許されるとお思いか。胸を張れ。罪を背負え」
王は一声うめいたのち、手振りでうるさげに退出を命じただけでした。
特に文官を咎めはしませんでした。
【完】