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アバッキオにしてほしかったこと

  目次

 総十郎は、すでに部屋中に張り付けてあった札を次々と起動させる。
 神籟孤影流斬魔剣の虎式の型が登録された身代わり札は、〈道化師〉の力を体験した後で制作したものだ。
 連続して〈道化師〉に襲い掛かる黒影群。〈とかきぼし〉、〈たたらぼし〉、〈えきえぼし〉、〈すばるぼし〉、〈あめふりぼし〉、〈とろきぼし〉、〈からすきぼし〉。七つの攻めの型が、絶妙な時間差で間断なく殺到。
 少年のこめかみに、汗が浮かび上がった。この数は到底止めきれまい。
 だが――〈道化師〉は両腕を交差させた。

「残念だけど、あなたに構っている暇はないんだ」

 縛鎖を引き千切るがごとく両腕を左右に突き出した。瞬間、蛍光色のいばらが伸びて全周囲を乱舞し、総十郎の身代わりたちが木端のごとく吹き飛ばされる。

 ――接触から軌道変化までに若干の時間差があるな。やはり、あの幻影の植物は……

 心中で冷静に考察しながら、総十郎はさらなる身代わり札を起動する。
 今度は武式である。こちらは受けの型だ。
 さらに虎式の札も再び起動。
 出現した大量の総十郎たちは、型稽古のごとく向かい合い、技を繰り出した。虎式総十郎たちの神速の太刀が、武式総十郎たちによって受けられ、いなされ、方向を捻じ曲げられ、一斉に〈道化師〉へと投げ放たれる。
 それは単純に刀を投擲した時と比べて、威力も速度も遥かに上である。虎式の勢いに武式の技が乗り、単純に二倍の力積が宿る。
 多数の神韻軍刀が回転しながら〈道化師〉に襲い掛かった。刀身の樋に空気が通り、呪力を帯びた音色が幾重にも交響する。
 再び荊の幻影で薙ぎ払おうとする〈道化師〉だが、不意に頭を押さえ、顔を歪めた。

 ――本来は安らかな眠りをもたらす呪音である。苦しんでゐるのは自分の意志か。

 リーネに肋骨を砕かれた際、痛覚を自力で遮断し、さらに体内の骨折をもとの位置に戻して固定できるという旨の発言を彼はしていた。この事実と、他者の動きを停止させる力、そして蛍光色の幻影。これらの現象を可能ならしめる力とは。
 おぼろげながら、総十郎は〈道化師〉の正体に大してひとつの確信を持つにいたる。
 少年は片膝を突き、苦悶に眉を寄せながらも飛来する軍刀群の迎撃を試みる。大半は荊に絡めとられるが、うち二振りは命中し、少年の肩を浅く斬り裂いていった。
 そして。

「顕生――桔梗印。」

 ぽん、と音を立てて神韻軍刀が変化へんげ。霊妙な光を湛えたしめ縄が出現し、〈道化師〉を取り囲んだ。そのまま五芒星を形作って内部に敵を閉じ込める。身代わり札の表裏転換。総十郎が編み出した応用呪術だ。一枚の札の表と裏にそれぞれ別の身代わりを封ずることで、適時二種類を切り替えながら用いることができる。表面が「虎式を繰り出す総十郎」で、裏面が「太玉命ふとだまのみことが編み上げた霊縄」である。

「緩くとも、よもやゆるさず、縛り縄。不動の心、あるに限らん。」

 呪縛印を切り、朗々と詠唱。
 鋭く〈道化師〉を睨みつけ、

オン枳利枳利キリキリ吽発咤ウンハッタ!」
「……ぎっ!」

 白いローブがすぼまり、少年の腕が脇腹に押し付けられる。見えない縄に縛られたかのようだ。
 拘束完了。

「どうかね? 自分が止縛される気分は。」
「はは、最悪だよ。いやぁ、普段自分はこんなひどいことをしていたんだなぁ、罪悪感で胸が張り裂けそうだなぁ」

 総十郎は眉をしかめる。止縛法は、体の動きを止めるだけの呪法ではない。その精神、思考活動すらも阻害する。そのはずである。
 ではなぜ〈道化師〉は喋っているのか。

「……君、まさか、少年の肉体を操ってゐるだけで、正体はまったく別のものなのかね?

 少なくとも呪い師の類ではない。あれほどの幻術を自在に操る術者が、桔梗印の拘束に何ら抵抗できぬというのは道理が通らない。
 事実、今この瞬間も〈道化師〉はいかなる呪術的抵抗も行っていない。常人レベルの退呪レジスト能力しかないのだ。
 なのになぜ喋っているのか。肉体と意志が完全に別個のものと考えるほかない。

「ふぅん、そう考えたか。ま、当たらずとも遠からず、といったところだね。お察しの通り、僕のこれ・・は魔法でも何でもない。純然たる物理現象さ」

 瞬間、少年の足元から翠色に輝く蔓が伸び、くねりながら主の懐に入り込んだ。

「む……。」

 少年が何か行動を起こす前にその首を断ち落とすのは簡単だ。
 だが――ここまで接してみても、〈道化師〉の人品に邪悪なものは感じられなかった。強い目的意識と、友誼の念。彼にあるのはそれだけだ。
 どうやって幽骨牢を抜け出したのかが分からぬ以上、拘束は不可能であり、ならば殺すしかないのだがそれも躊躇われる。

 ――何より、彼を殺せばフィンくんはきっと悲しむ。

 その思いが、総十郎をして必殺の機を逃させた。

「……お甘いことで。では遠慮なくつけ込むとしようか」

 蔓がローブの懐より取り出したるは――骨のような質感の短剣であった。
 総十郎は、息を呑んだ。そして、自分が一体何に対して衝撃を受けているのかがわからず、混乱に見舞われる。
 強い呪いを宿した魔剣妖刀のたぐい――ではない。だが、極めて強い想いの結晶体であることはわかる。まるでそこにひとつの恒星が現れたかのような、膨大な質量の存在感。

【続く】

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