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種族全員耳フェチでどうしようもない

  目次

 瞬間、むふーっ、と鼻息が聞こえた。

「で、で、でわ、失礼いたしますっ!」

 少し温かい指先が、フィンの耳朶に触れた。親指と人差し指でふにふにと弄ばれる。肌の擦れる音が、大きく聞こえた。
 それから、弾力のある軟骨で構成された外耳に指が移る。円形の溝を、それと表裏一体となった出っ張りを、リーネの滑らかな指が愛おしむようになぞってゆく。

「えへへぇ~」

 横目で見ると、なんかもう見てらんないくらい締まりのない顔をしていた。
 と、そこで、フィンの逆側にすとんと腰をおろす影があった。

「あ、殿下」

 リーネだけずるい、とでも言いたげなジト目で、シャーリィはこちらを睨んでいた。
 その深い湖のような碧眼に気圧される。フィンはおずおずと髪を掻き上げ、左耳を晒した。

「え、えと、どうぞ……」

 途端、姫君はすっかり機嫌を直してにっこり笑顔を煌めかせた。
 そして、硝子細工のように繊細な感触が、左耳に絡み付いた。
 両耳の軟骨をぐにゅぐにゅと揉みしだかれながら、フィンは息をついた。ごそごそ、ぞりぞり、世界は肌の擦れる音でやかましく満たされている。
 フィンは口をにゃむにゃむと波線状に動かしたのち、眉間をつまんだ。

「……なんだこれ」

 誰にもわからないのであった。

森閑たる時空2

 ともあれ、宴は夜半にまで及んだ。
 総十郎ほど積極的ではないが、フィンもエルフの人々とさまざまな言葉を交わした(両耳をいじられながら)。
 そして彼らの精神を流れる、独特な時間をおぼろげに認識する。

「あれはどれくらい前だったか、確か俺が餓鬼のころだったと思うんだが、人族の冒険者たちが〈化外の地〉の探索から無事に戻ってくるということがあってね」

 エルフの青年が――本当に青年かは確信が持てなかったが、振る舞いは比較的若々しい――語る。

「珍しいことなのでありますよね?」
「そりゃあもう。いつもは行ったきり帰ってこない連中だからな、再び元気な姿が見られて都市まちじゅうが大喜びさ。今みたいに宴会を開いて、みんな〈化外の地〉での冒険の話を聞きたがったんだ」
「待て待て、最後に人族が帰還してきたのは、確かわたしが元服したくらいのことじゃなかったか?」

 リーネが口をはさむ(フィンの耳をいじりながら)。

「あれ? そうでしたっけ? まぁいいや。それで、彼らは〈化外の地〉に点在する〈暁闇の時代〉の遺跡を探索して、いくつか考古学的発見ってやつをしてきたらしい」
「ぎょうあんのじだい?」
「あぁ、そうか、こっちに来たばかりだから知らないんだな。歴史区分ってやつだぜ。〈星幽の時代〉、〈篝火の時代〉、〈暁闇の時代〉、〈黎明の時代〉、そして現代に至るわけだ」
「〈暁闇の時代〉というのは、どれくらい前なのでありますか?」
「さぁ、よく知らないが、たぶん俺が生まれる前だろう。それで、その人族の冒険者たちが言うには、〈暁闇の時代〉には、〈化外の地〉にも人族が暮らしていた明らかな証拠を見つけたんだとか」
「大発見でありますねっ!」
「あぁ、そうだな。俺たちエルフは神代――つまり〈星幽の時代〉からこの森に生きてきた。その間、人族が大量に森を通って〈化外の地〉に入植していった、なんて伝承は残っちゃいない。つまり、このとき発見された人族の痕跡は、ここ以外にも〈化外の地〉と行き来できる場所が存在していることを物語っている」
「それは、まずいような……」
「人族的には大問題だわな。なにしろ化け物どもは俺たちエルフの騎士さまがたがみんな追い返してくれていたからこそ、人族たちも安心して暮らしていられたんだ」
「むふーっ」

 リーネが小鼻を広げて鼻息も荒くドヤ顔をした(耳をいじりながら)。
 青年は苦笑しながら続ける。

「もし他にも出入りできる場所があるんだったら、こりゃあことだぜ。人族は自力で化け物を追い返さなきゃならない。だもんだから、冒険者たちは急いでこの発見を報告しなきゃならないと言った。まぁまぁでも疲れてるだろうから? 少しぐらい休んでいきなさいと俺たちは引き留めた。みんな人族には興味津々だったし、まだまだ話し足りなかったからな。で、しばらく森に逗留させ、もてなしていたんだが……」

 青年はばつの悪い顔になる。

「ある日、急に冒険者たちは取り乱し始めた。ここに来て何日目だと聞いてきたが、あいにく俺たちも特に日を数えていたわけじゃないから、よくわからなかった。奴ら大慌てで帝国に帰っていったぜ」
「どれくらい引き留めていたのでありますか?」

 そう聞くと、エルフの青年は真顔になってしばし考え込んだ。
 そしてぽつりと言った。

「……確か、百年は経ってなかったと思う」
「いやいやいやいや! いくらなんでもそんなに引き留められるわけないでありますよ! 寿命が来ちゃうであります! たぶん長くても数か月とかそれぐらいだったのでは!?」
「あれ、そうだったっけな? 人族って何百年生きるんだっけ?」

 フィンは絶句する。

「まぁ、俺たちもこの件で人族のせっかちさってやつを理解したから、それなりに反省して歓迎の宴は数十日で切り上げることにしたよ。安心しな」
「す、数十日……」

 森の時間。巨大な時間。ただ滔々と流れる悠久。暦の概念は一応あるようだが、エルフたちは一日や一年という区切りをさほど重視しない。意識して日数を数える者などおらず、また年齢を数える習慣もない。ただ肌に感じる季節の変化でのみ時間をぼんやりと認識している。
 太陽の出入りではなく、命が生まれ、育まれ、殺され、また生まれる、その豊穣なサイクルの中に存在する時間。
 その雄大さ、長閑さに、フィンはどこか敬虔な気持ちになる(耳をいじられながら)。
 エルフたちが身をゆだねる時間の大きさに、圧倒される(耳をいじられながら)。

 いつまで耳いじってんだこの主従。

【続く】


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