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怨魔

  目次

 その事実を前に、総十郎は苦汁を飲み下す。すぐそこで顛末を見ていたシャイファとケリオスに、合わせる顔がなかった。

 ――そしてまだ成すべきことがある。

 煉獄滅理の源を断たねばならない。恐らくは、王城の玉座に何らかの仕掛けが施されているのだ。一刻も早く対処が必要だ。
 ……という思考に逃げた・・・・・・・・・。いったい、シャイファに何と声をかけていいのかわからなかったから。彼女が復讐を願うなら、総十郎は伏して首を差し出す以外にどうしようもない。だがそれも、オブスキュアの危機を完全に祓った後にすべきだった。
 総十郎は制帽を被り直して目元を隠し、速やかに――脱兎のごとく――その場を去った。
 去ろうとした。

「ソーチャンさま!」

 甲高い警句がなければ、総十郎はその時点で命を落としていたことだろう。
 剣光。
 それは、何もない空間から、何の前触れもなく迸る斬撃だった。
 鋼の悲鳴が連続し、八手までは凌いだものの、続いて実体化しながら迫りくる干からびた右手には反応が遅れた。

「か、はっ!」

 喉元を掴まれる。凄まじい握力だった。
 獣のような絶叫とともに、残る全身も実体化を果たす。
 鬼がいた。蓬髪を振り乱し、凶気に満ちた眼光を放つ、ひび割れた死体。青白かった美貌は禍々しく歪み、苦悶と妄念と憎悪で壮絶な形相を成していた。

 ――耐えた、だと?

 明王が救済の焔を、身に纏う瘴気と極限の怨念でもって耐えきったとでも言うのか。
 絶対に森を滅ぼすと言う、硬く硬く結晶化した狂気。自らの存在意義を果たすまでは決して滅ばぬ不退転の怨霊。
 条理すら捻じ曲げる深度の絶望は、もはや平将門公や崇徳院に匹敵するのではないか。
 不浄を滅する唸りを帯びた刃が一閃し、ギデオンの腕を斬り飛ばす。
 直後、技も何もなく獣の爪牙のごとく叩き込まれた魔剣が総十郎の首筋から胸板にかけて斬り裂いていった。
 吹き上がる血飛沫。
 体重の乗らぬ雑な斬撃だ。骨まで断たれてはいない。だが、魔剣に乗った瘴気が総十郎を殺すまでにあとどれほど猶予があるのか。

 ――知ったことか!

 二人の男は腹の底から咆哮した。剥き身の感情をぶつけ合うような撃剣が、両者の間で狂い咲いた。一方は片腕を欠いて精妙な剣技を放てなくなり、一方はその身を瘴気が徐々に蝕んでゆく。お互いに守りを完全に捨てている。

血戦2

 神韻軍刀は陽炎のごとく変幻自在に動き、雷光のごとき烈しさで閃く。一瞬が経過するたびにギデオンの肉体は斬り裂かれ、出血のごとく瘴気を噴き出した。だがこの優位はいつまでも続くものではない。肉体から少しずつ血と活力が失われてゆくのを総十郎は感じていた。この身が朽ちるより前になんとしても討ち果たす。その一念だけを刀に込め、萎えゆく手足を断固として動かしつづけた。

 ――討つ! 守る!

 何かを必死で成そうとして、吠え猛りながら足掻くなど、初めての経験である。だがそれは、総十郎にとって決してポジティブな感慨をもたらさなかった。必死に戦うことの何が尊い。苦しみながら相手を打ちのめそうとすることの何が美しい。痛いのは嫌だったし、痛めつけるのも嫌だった。その意味で、総十郎は根本的に戦士ではない。そのような事態に陥らないために、知識を蓄え、武を磨き、神々の加護を得たはずであったのに。
 濁った絶叫が轟き渡り、〈黒き宿命の吟じ手カースシンガー〉が眩い闇をまとう。
 ひときわ凄まじい撃音が轟き渡り、手から愛刀が吹き飛ばされた。
 黒き神統器レガリアの権能。ここまでの戦いで得た衝撃を、今の一瞬で解き放ったのだ。
 歪な不協和音を立てながら、回転して遠くの床に突き立つ神韻軍刀。

「――死ね」

 直後に唸りを上げて迫りくる黒き刃を、しかし総十郎は冷徹に睨みつけた。
 この機を待っていた。いままでトドメを狙わず相手を切り刻むだけだったのは、〈黒き宿命の吟じ手カースシンガー〉の力を警戒していたためだ。だがもはやその要はない。相手から武器を奪ったと確信し、大きな動きで止めを刺しにかかるギデオンに、必滅の反撃を叩き込む。
 今しかなかった。ここが、ギデオンを滅しうる最初で最後の勝機である。総十郎に伍する武錬と、無制限の瞬間移動能力を併せ持つこの難敵を葬るには今しかない。
 これは総十郎以外には不可能なことだった。フィンはもちろん、戦力において総十郎を上回る烈火にも成し得ぬ。
 だが、これを成せば間違いなく自分も闇色の魔剣の前に斬殺されることは必定だった。功を奏したところで、相討ちにもっていくのがせいぜいなのである。だが総十郎は僅かも迷わなかった。自分がどうやら長生きできないであろうことは、なんとなく感じ取っていた。理屈の通った根拠は何もないが、不思議と確信していた。

 ――ゆえに、この生に悔いは残さぬ。

 一万三千の民草の未来のために果てるならば、それは大和男児として最上の散り際であろう。
 月すら身震いするかのような美貌に、燃え盛る氷・・・・・のような微笑がゆらめいた。
 長袖の中に仕込んでいた札を抜き放ち――

「ちょーちょーちょーないわー、マジないわー、それはないわー、お前の性癖と同じくらいないわー」

 ぬう、と割り込んできた巨体によって、作戦は水泡に帰した。

【続く】

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