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仄暗き都、猖獗せし魔性

  目次

「あら、お眠りかしら? 困ったわねえ――」

 その語尾が消えぬうちに、閃くものがあった。
 ギデオンは、指を二本立てる。その間には、黒い短刀が挟み止められていた。ギデオンの首筋を狙って投げ打たれたものだ。
 指先から白煙が立ち上る。体内に入らずとも、ただ触れただけで致命的な作用を起こす薬物が塗り込められている証であった。もっとも、アンデッドたるギデオンには何の意味もない代物であったが。

「この神殿では客に刃物を投げつけるのが礼儀か」
「あら、嫌ですわ。〈鉄仮面〉さまほどの方ならどうとでも対処できると確信してのおイタですのに」

 くすくすと肩をすくめて嗤う。ほとんど露出した褐色の乳房が別の生き物のように揺れる。
 その目尻は嘲りの形にいやらしく歪んでおり、濁った黄金の瞳からは内面の下劣さが滲み出ていた。
 顔の両側からは、エルフと同じく長く尖った耳が伸びている。凍った滝のような銀髪。そして肩や太腿が露わになった呪的な洒装。
 外見を重視する人族ならば、妖美なる佳人、とでも称して魅力的に感じたのかもしれないが、ギデオンからすると正直なところ視界に入れるのにも葛藤が必要なほど胸の悪くなる存在であった。
 ダークエルフの呪術師。彼らの間では〈死の巫姫〉と呼ばれる支配階級である。幽鬼王レイスロードとなったギデオンは、彼女らにとっては興味深い実験生物であり、さまざまな便宜を図ってもらったものだった。

「ご注文の品はこちらに。驚きましたわ、本当にオークごときが歪律領域ヌミノースに目覚めるなんて」

 彼女の手には、一振りの剣が携えられていた。闇色の金属から鍛造された魔導具である。ダークエルフの歪んだ美意識を反映して、奇怪に歪んだ刀身であった。鍔元には、大きな宝玉が埋め込まれている。目を凝らすと、内部で握り拳大の奇妙な塊が蠢き、脈動していた。

「ヴォルダガッダ……」

 言葉にならぬ感慨を込めて、その醜怪なる塊に呼びかける。
 オブスキュア王国を席巻せし悪鬼の王の、脳髄であった。

「調律には苦労しましたわ。エルフどもの処女から生きたまま搾り取った血を鋼材に練り込んで、何層にも鍛えたこの拵えでなければ、歪律領域ヌミノースを生かしたまま加工することは不可能ですの。本当に貴重なものですのよ。最後に手に入ったのは百年ばかり昔ですもの。それから、人族の子供を拐かしてたっぷり時間をかけて苦痛を与えたのち、神経を引きずり出して乾燥させ、定期的にアンデッドの体液に浸すことによって、一種の呪的生命となりますの。この不死神経網は歪律領域ヌミノースを損分なく伝達し、刃先に発現させられますわ。まさしく魔導冶金学と魔導生物学の高度な融合の産物ですわね」

 柄を受け取ると、ギデオンはしげしげと剣を検分し、その場で軽く振る。
 刃風とともに、血の臭いが広がるような気がした。重心が切っ先に寄っており、ギデオンの剣技とはあまり相性は良くなさそうだ。
 しかし、問題ない。そもそもこれは武器ではないのだから。

「本当に、この下賤なオークときたら死んだ後も手こずらせてくれたものですわ。体さえ残っているなら、惨たらしく切り刻んで調教できましたのに。わたくしの鍛冶奴隷が五人ほど取り殺されましたの。……あぁ、もちろんお気になさらずとも結構ですわ。奴隷なんていくらでも調達できますから。うふふ、〈鉄仮面〉さまに比べればゴミ以下の値打ちしかありませんもの」
「どうやって歪律領域ヌミノースを解放する?」
「突き刺して、犯せと念じるだけで、刃を通じてこのオークの法が流し込まれますわ」
「そうか。では少し試してみよう」
「はい?」

 ギデオンは、物も言わずに魔導剣を突き出した。何の予兆も予備動作もない、気を張っていたとしてもその瞬間を視認できないであろう、無拍子の刺突であった。

「かっ……」

 女呪術師は、何が起きたのかわからないようだった。だが、己の腹に埋まった魔導剣を見下ろして、ようよう理解が広がっていったようだ。

「かっ、き、きざま……ッ!」
犯せ
「ガァ……ッ!!」

 瞬間、女呪術師の褐色の肌に、無数の裂傷が出来上がり、大量の血が全方位に噴き出した。まるで紅い爆発が起こったかのようだ。

「ア、ガ、ガァ……な、ぜ……ッ」
「あぁ、やはり無理だったな。お前ごときがヴォルダガッダの虐殺の法をその身に受け入れるなど。まぁ、最初から期待もしていなかったが」
「あ、ああああああああッ!! 殺ずッ! よぐも、ごの、わだじを……!! 殺ずッ!!」
「本当に、しょうもない生き物だな、ダークエルフとは。太古の大戦で敗北して以降、地下に引き籠り、地上の種族に対する嫉妬を果てしなくこじらせているだけで、己の本心から目を逸らしつづけた怯懦と屈折の申し子どもよ。古代よりこちら、誰一人として神統器レガリアに選ばれし者が現れなかった事実が、貴様らの魂の下劣さと軟弱さを証明している。お前たちに比べればオークどもは遥かにひたむきに生きていたよ。少なくとも、善側種族に実際に襲撃を仕掛け続けている時点でお前たちよりは勇猛と言えるだろう」

 ギデオンは、肩をすくめて冷笑する。

「お前ごときが? 〈化外の地〉に覇を唱えた闇の梟雄たるヴォルダガッダを? 苦痛を与えて調教する? 笑える冗談だな。こいつはもはやそんな次元には生きていないのだ。生物としての先天的な枠組みに囚われている存在が、歪律領域ヌミノースになど目覚めるわけがないだろう。肉体がなかったことをお前は感謝すべきだ。五体満足の奴と対峙して、一秒でも生き残れるはずがないのだからな」
「あが……あがが……っ」
「ところでいつまで見苦しく呻いている? さっさと死ねよ。息が臭いんだよお前」

 魔導剣を、捻った。瞬間、全身の裂傷がひとりでに深度を増し、ダークエルフの肉体を切断する。〈死の巫姫〉はバラバラの肉片となって四散した。
 それは、魔力によってかまいたちを起こして殺傷した――などという尋常な現象ではなかった。より上位の、概念的攻撃であった。
 悪鬼の王が布く、虐殺の法。その顕現であった。

「……まぁ、品の出来については文句はない。ご苦労だった。地獄で苦しめ」

 踵を返し、歩み去った。

【続く】

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