#165_【近代化遺産】上見坂堡塁
私は対馬出身ではありませんので、小中高校でどのような年中行事があるのかほとんど知りませんが、厳原の学校で遠足の定番といえば、上見坂公園なのだそうです。
具体的に上見坂という名前の坂が存在するのかは知りませんが、厳原の城下町からはかなりの山の上になります。とても、気軽に歩いて行けるような場所ではありませんが、景色が良い広場はあるので、選ばれたのでしょうか。
今回は、そんな上見坂公園にあります上見坂堡塁をご紹介します。
何を目的としていたのか
対馬の砲台の多くは海沿いのありますが、上見坂堡塁は東海岸からも西海岸からも同じくらい距離のある山の中にあります。なぜでしょう?
先ほど厳原から近いことは書きましたが、近くにもうひとつ重要な場所、といいますか施設がありました。
雞知にありました、陸軍の雞知重砲兵連隊です。
余談ですが、そこが舞台として描かれた小説が大西巨人の神聖喜劇です。
その跡形は、雞知中学校の近くに記念碑と門柱の跡が残っているくらいですが、上見坂から厳原と雞知に道路が通じています。雞知から要港部のある竹敷も、そんなに遠くありません。
厳原と雞知は東海岸、竹敷は浅茅湾に面していますが、戦争では何が起きるか分かりません。
ひょっとしますと、背後からの上陸作戦も考えられるでしょう。
対馬の海岸線、特に西海岸は断崖絶壁だらけですので、なかなか上陸しやすそうな海岸がありませんが、厳原からほぼ西に位置する佐須地区あたりは上陸しやすい地形になります。
そこから島の中心地である厳原、陸軍の拠点である雞知への襲撃をする場合、通るであろうと考えられる場所が上見坂というわけです。
つまり、西側からの上陸作戦を想定して設置されたということです。
そして、「堡塁」という聞き慣れない言葉を使っていることについて、いまさらですが補足しますと、陸軍では、軍艦などを射撃するため海沿いに設置するものが砲台、砲台の背後を守る陸戦を想定しているものを「堡塁」と区別しているとのこと。
どのような堡塁だったのか
9センチ加農砲4門と7センチ加農砲4門が装備されていたそうです。
ただ、資料を見ますと、どこに設置されていたのかがいまひとつ判然としません。
9センチ加農砲が標高390m、7センチ加農砲が標高386mに設置されたと書かれていまして、誰が見ても分かる砲座の跡は1箇所あるのですが、もう1箇所が藪の中です…。
資料には、佐須、阿連、小茂田、厳原から侵入しようとする敵に対して、根緒堡塁とともに「鶏知平原の掩護(援護)ス」と書かれています。
その他にも、付属施設をはじめ、当時の名残があちこち見られます。
日露戦争が終わったらどうなった?
1934(昭和9)年8月に除籍されました。
現在はどんな場所
砲台や堡塁のある場所は見晴らしが良い場所が多いので、展望台が設置され景勝地として親しまれています。
オススメポイント
景色を薦めておいていうのもなんですが、実は雨の日に訪れるのもオススメです。
雨の日に撮影した写真をご覧ください。
上見坂は標高が高いため、霧が発生しやすく、幻想的な写真が撮りやすいです。しかも、一般的な砲台ですと、車を駐めてから、機材や小道具を担ぎ、山道をえっちらおっちら歩くことになりますので、雨が降ると行く気が失せるところですが、ここは駐車場から徒歩5分程度、歩道もおおむね舗装されていますので、雨が降ってすることがなくなったら、オススメのポイントです。
ただし、上見坂公園までの道は細く曲がりくねっていますので、車の運転は慎重にお願いします。
まとめ
上見坂堡塁は、砲台に比べると大きい砲座や建物がありませんので、いまいちインパクトに欠け惹かれるものがないと感じていましたが、バスガイドの仕事で雨の日に訪れて、印象が一変しました。
展望台からの景色は真っ白で、その後雨の中堡塁まで連れ回し、お客様には申し訳ございませんという感じでしたがf^_^;)。
兵士の方々は、雨の日も、風の日も、寒い日も(冬場は水道管が凍結します)任務に当たっていたわけですから、ただただ頭が下がるばかりです。
交通アクセスなど
上見坂堡塁のある上見坂公園は、厳原からですと、桟原交差点(厳原トンネルの入口手前)から佐須方面に向かっていき、佐須坂トンネルの手前から旧道の山道を登っていきます。
雞知方面からですと、ひとまず鶏知ダムを目指していき、ダムに入る道を行かずに引き続き山登りしていくとたどり着きます。
要所に看板がありますので、見落とさないようご注意ください。
車で、厳原から20分、雞知(対馬空港)から25分、比田勝港から110分です。
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