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#174_【近代化遺産】西泊砲台

上対馬は日本のすみっこである対馬のハジッコでもありますので、豊砲台以外にも砲台があったそうです。
今回は、東水道に向いていた西泊砲台をご紹介します。


何を目的としていたのか

西泊砲台は、対馬北部で対馬海峡東水道に面する上対馬町網代にあります。
ここも紛らわしいのですが、西泊という地区名は現在もありますが、砲台との位置関係でいいますと、比田勝湾を挟んだ対岸になります。

【砲台から見える海は比田勝港の入口、その奥が西泊地区です。】

話が脱線しますが、太平洋戦争前に陸軍が秘密戦の兵器や資材を研究開発していた「登戸研究所」の跡地は、明治大学生田キャンパスの中にあります。当時は、地図が機密情報でしたから、わざとやっているんじゃないかとさえ思えます。

豊砲台や海栗島砲台は、西水道を抑える方角に向いていますので、対馬海峡の東水道を抑えるために設置されたと考えられそうです。

【東に行くと、山口県の日本海側に当たります。】

どのような砲台だったのか

1938(昭和13)年に竣工した砲台で、海栗島砲台と同じ45式15センチ加農砲が、こちらは2門と、高射機関銃が2挺設置されました。
また、150糎射光機もあったようですが、収納場所らしきものは見掛けていません。豆酘崎砲台と同じタイプのようですので、あればすぐ発見できそうな気がしますが。

現在はどんな場所

一度行ったことがあれば、次回迷うことはほぼないと思いますが、行くまでの道のりの崩落具合がとにかくひどいです。
軍道を整備した形跡は見られますが、急斜面な上に下草が生えていませんので、晴れていても滑ります。雨の日は最悪です。

【ほぼ崩壊している軍道です。】
【よって、こんな斜面を登ります。】
【帰るときには下らねばなりません…(-_-;)。】

オススメポイント

西泊砲台も、豊砲台と同様あまり手を加えられることなく残っています。
とにかくいい味を出しているのが観測所です。

【カバー画像と違う方角からです。秘匿感満載ですね。】
【天井には方角が示されています。】
【測遠機置き場です。真ん中のコンクリート柱は折れたのでしょうか。】

観測所以外も、割と良い状態で残っています。

【砲具置場です。】
【なぜなら、そのように書いてあるからですf^_^;)。】
【爆風が勢いよく入らないよう通路が曲がっています。入口正面にカベがあり直角に曲がって入る倉庫も同じ意図です。】
【砲座です。】

遺構の状態は非常に良いといいますか、なぜこの状態を保てているのかが興味深いです。
豊砲台のようにサクッと行ける場所ではありませんが、土木、建築が好きな方にはオススメですo(^-^)。

交通アクセスなど

西泊砲台の行き方ですが、車でまずは冨浦を目指して走り、そこならさらに奥に行き、右手に砂浜の海岸をかすめてもう少し奥に行きますと、二叉に分かれる少し広くなった場所があります。
そこで車を降り、右手の緩やかな坂道を歩いて行きますと、左手にロープが垂れ下がった場所が出てきます。そこから一段高い尾根に移り登っていきますと、砲台に到達します。駐車場所から30分くらいで到達します。

【一段高い尾根に登ります。】
【アスレチックに行っている気分になりますが、遊びではありません。】

車で、厳原から120分、雞知(対馬空港)から100分、比田勝港から25分です。
一部急斜面の箇所がありますので、できれば単独行動は控えていただきたいところです。Googleマップでも道なきところですので、よろしければガイドをご利用ください。

そういえば、最近厳原でGoogle先生の車を見掛けた気がしますので、期待したいところですけどねぇ…。

【2024年7月撮影。】

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